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102話

 

 縮地。

 それは、大地を掴み、大地と一つになり、大地の力を借り、爆発的な超加速によって瞬く間に距離を詰める神速の移動術。己の身体のしくみ、重心、足運び、技量、精神。その全てを、真の意味で理解し極めた者だけが扱える絶技。

 忠勝は、一刀斎ならばその境地に達していると確信していた。一人の武人として、伊藤一刀斎という剣士の実力を認めていた。故に、そこへ足を踏み出すと分かった。己ならば、勝つ為にはそこで加速するしかないと判断したからだ。

 その仮説を証明するかのように、一刀斎が足を踏み込んだ瞬間に赤い闘気が爆発した。縮地を使う為にタメを作ったと確信。忠勝もまた、足を踏み出し攻撃を繰り出した。

 技の撃ち合いとなれば、初速の速さが勝敗を分ける。当然、最初から予測していた忠勝の方に軍配は上がる。宙を切り裂き、敵を刺し穿つ神速の一突き。その一撃は、縮地へ入った一刀斎の眉間を貫いた……かに思われた。



 ――しかし、それは皮肉にも忠勝の勝利への確信が見せた幻影。



 一刀斎は、未だに踏み込んだ体勢を保っていた。飛び出していなかった。真に気迫の込もった踏み込みを前に、忠勝はまんまと騙されてしまった。ここで、縮地を使うに違いないと。

 忠勝の推測は正しかった。予想地点も正しかった。狙いも間違っていなかった。だが、一刀斎は忠勝の予想を上回った。忠勝は、一刀斎の肝の太さを履き違えていたのだ。攻撃を仕掛けてきた敵の眼前で、それでも尚、踏み止めることが出来る胆力を。

 その結果、攻撃を外した忠勝の体勢が前方へ崩れる。そして、忠勝は目を見開いた。先程までの赤い闘気が、まるで嘘のように消え失せている。陽炎のように。ブラフ。罠にハマったと察するには十分過ぎた。

(しまっ――)

 己の失態を悟る忠勝。されど、最早気が付いた時には手遅れ。目の前で、明確な隙が生まれたのだ。当然、一刀斎がそれを見逃す道理はない。

 タメは、十二分に作ることが出来た。後は、限界を超えて解き放つのみ。

「はああああああああああああああああーっ!!! 」

 魂を震わせる獣の如き咆哮。練り上げ、研ぎ澄まされる赫き闘気。早まる鼓動と共に躍動する筋肉。踵を上げ、振り下ろす。その僅かな反復で助走を付け、一気に地面をふみ砕いた。足場がヒビ割れ、溜め込んだエネルギーをそのまま加速力へと変換。超低空飛行。一足飛びに忠勝の懐へ入り込む。



 ―― 一刀流 肆ノ太刀 雷刃・火雷大神



 一刀斎の間合いへ忠勝が入った瞬間、神速の抜刀術が解き放たれる。雷鳴が轟く。迸る赤雷。白き刃が、火花を散らしながら宙を駆ける。

 狙いは、無防備に晒された蜻蛉切。身体の何処かを狙われていたのならば、反射的で避けることが出来た忠勝も、槍を狙われたのであれば反応がワンテンポ遅れる。

 故に、その結果は必然。

 静寂を破る、涼やかな鈴の音色。一拍後、金属同士がぶつかり合う耳障りな音が響き渡った――かと思えば、なんと勢いそのままに一刀斎の刀【白虎】が、蜻蛉切の穂先を半ばで斬り落とした。

「――っ!? 」

 息を呑む。通常では有り得ない絶技を目の当たりにし、然しもの忠勝も己が目を疑った。

 しかし、だからといって呆けている場合ではない。既に、刃は抜かれている。直ぐにでも迎撃、または防御をしなければ、そのまま首を斬り落とされてしまうだけ。そんなことは、重々承知していた。

 だが、一刀斎は的確に忠勝の動きを阻害する。先の一閃。穂先から伝わる強い衝撃により、忠勝の上体は無理やり起こされ、大きく仰け反ってしまっていた。前に崩れていた所に、立て続けに前方斜め下からの攻撃。崩し技だ。重心がズレ、堪らず忠勝はたたらを踏んだ。



 その瞬間、濃厚な死の気配が首筋を撫でる。

(――拙いっ!! )

 忠勝の本能が、最大級の警報を鳴らす。来る。己の直感に従い、即座に右足を後ろに下げて重心を安定させようとする。穂先が欠けたとはいえ、槍そのものの利点は失われていない。

(振り下ろし、刀を弾いて距離を取る。流れも、場所もこちらの方が悪い。……ここは、仕切り直すしかないな)

 リーチの差を生かし、一刀斎の刀がこちらへ届く前に対処する。刀の側面を叩いて破壊する。または、弾いた衝撃で刀を手放せば尚良し。

 その為にも、先ずは足場を固めなくてはならない。たたらを踏んだままでは、半端な攻撃しか出来ないからだ。忠勝は、下げた右足で大地をしっかり踏み締め、両腕を振り上げようとした。



 ――だが、その時には既に返す刃が振り抜かれていた。

「なっ!? 」

 中途半端に腕を振り上げたまま、忠勝は目を見開く。その時、忠勝は雷を見に纏った火の鳥を幻視した。

 先の一閃は、敵の体勢を崩す為の布石に過ぎない。【一刀流 肆ノ太刀 雷刃・火雷大神】この技は、神速の居合切りが全てではない。寧ろ、その後こそが本命。初撃で相手の体勢を崩した後に、必中の一撃を食らわせる連撃技なのだ。

 必中を必殺に。今、この瞬間こそが最後の機会。体力は、とうの昔に尽きた。腕が重い。頭が回らない。視界がボヤける。指の感覚がない。

 ……それでも、それでも一刀斎は刀を振るう。ここを逃せば、最早己に勝機はないからだ。

「ぉぉおおおおおおおおおおーっ!!!! 」

 跳ぶ。野獣のように猛び、全身のバネを躍動させる。

 忠勝は、戦の神だ。数多の戦場を駆け抜け、数々の苦難や試練を乗り越えても尚、その身体にただの一度も傷を受けたことがないという空前絶後の神話を築いた男だ。

 もし、人の願いや幻想が神を作り上げるのであれば、本多忠勝もまた神と呼ばれるに値する。【本多忠勝は絶対に傷を負わない】という人々の信仰が、彼の身体に不可視の鎧を纏わせていた。

 神の身体を傷付けることが出来るのは、同じく神の力を宿した者のみ。神秘の纏わぬ攻撃は、全て無効化される。それこそが、本多忠勝の強さの理由。神でなければ、勝負の土俵にすら上がれない。



 故に、一刀斎は神へと至った。神の力を宿した本多忠勝に打ち勝つには、己も神の領域に入るしかない。

「それしか、道はなかった――」

 人々の想いが神を作り上げるのであれば、伊藤一刀斎もまたその資格を有する者。師から剣を握る意味を、主から剣の名前を。そして、弟子からは後ろへ続く者へ託す覚悟を。皆の想いが、そのひと振りに注ぎ込まれる。

 刀が、赫く煌めく。

 きっと、これは最初で最後の奇跡。神の領域に至ったとはいえど、本多忠勝が長年積み重ねてきたソレとは雲泥の差。未だ、辛うじて指先をかけたに過ぎない。淡く、脆く、儚い。もう二度と、この領域に辿り着けないかもしれない。……ただ、それでも――

「――悔いは……ないっ」

「伊藤……一刀斎ぃいいっ!!! 」

 赤雷が迸り、火の鳥が羽ばたく。

 諸国を渡り歩き、死合うこと三十三度。ただの一度も敗北は無し。弱者を甚振る外道を決して許さず、賊や僧侶達から多くの村人を助けてきた。

 そんな彼が、ようやく己の気持ちに素直になれた。戦う理由を、他者に見出すことを恥だとは思わなくなった。誰かの為に戦えることを、尊いものだと認めることが出来た。

 己の剣を預ける人が出来た。



 今、条件は今満たされた。

【剣心一如】

 刀神 伊藤一刀斎は、戦神 本多忠勝に挑む。

「ウオオオオオオオオオオァァァアアアアアアアアアアーーーーッッッ!!! 」

 赫い闘気は暴風と化し、槍を外へ弾いて道を作る。光の道。僅かに射し込む光が急所へと続く。左足を更に踏み込み、咆哮を上げながら忠勝の頭部目掛けて刀を振り抜く。神の領域に辿り着いたそのひと振りは、忠勝が今まで保ち続けていた神話を崩す一撃と成る。



 ――斬ッッ!!!



「――ッッ!!? 」

 鮮血が舞う。


 遂に、神話が崩された。




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