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101話

天正十二年現在。


本多忠勝37歳。

鐘巻自斎49歳。

伊藤一刀斎35歳。

 

 誰かの為に戦う。

 それは、弱者の言い訳だと思っていた。勝てなかった時、挫折した時、守れなかった時、そんな聞こえの良い戯れ言をほざいて己の弱さを誤魔化す。己の行為を正当化させる。自分は、誰かを守る為に戦ったのだと。

 ……ふざけた話だ。俺には、ソレは敗北する要素を他者に押し付ける卑劣な行為にしか見えなかった。保険をかける必要はねぇ。勝って、守る。身体を鍛え、技を磨く。ただ、己の力で脅威を退ければそれで済む話だってな。

 それ故に、己の為に刀を振るうことだけが最強へ続く道だと思っていた。よそ見をしている暇はない。誰かを助けるのは、誰かの為に戦うのは、強くなってからで良いと。



 その考えは、誤りだと俺はアイツらに教わった。

 山賊に攫われた恋人を助ける為に、拳を握ったことも無いようなヒョロい男が棒切れ片手に寝ぐらに乗り込んだ。母を守る為に、歴戦の武士へ果敢に立ち向かった童がいた。命を救われた恩義を返したいと、年端もいかない女子は誰よりも強くなった。

 他にも、多くの者達が誰かを守る為に実力以上の力を発揮する所を見た。……皆、信念を持っていた。俺が捨てた、誰かの為に戦うという信念を。

 おそらく、その時だろう。人は、大切な人を守る為ならば、時に信じられない力を発揮するのだと気付いたのは。その願いは、弱者の言い訳などという不純なモノでは無かったのだと。



 ***



 故に、一刀斎はその言葉を素直に受け入れることが出来た。


『刀を握れ、弥五郎。お主の大切な者達の為に』


 脳裏に響く師匠の声。甦る在りし日の記憶。その言葉は、するりと抵抗なく胸の奥へと入っていく。それが、一刀斎が求めていた強さの理由、刀を握る理由だと言わんばかりに。

 あの声が何だったのか。それは、一刀斎にも分からない。死線を彷徨い、自分の心の声が漏れたのか。はたまた、本当に鐘巻自斎が語りかけていたのか。

(……いや、これ以上は考えても意味はないか)

 自嘲する。一度、それを認めると少しだけ身体が楽になった。あの声の正体なんてどうでもいい。重要なことは、己の剣を預ける存在を認めることが出来た今ならば、もう一度だけ刀を振るうことが出来る。ただ、それだけで十分だ。

「……この身を、剣を、魂を、主君へ捧げる」

 紡ぐ、誓いの言葉。ぼやけていた視界が晴れ、刀へ右手を伸ばした。負けられない。負けたくない。この世で一番優しい主君の夢を叶えさせたいから。そう思うだけで、腹の底から力が湧き上がってくる。指先の震えは、いつの間にか収まっていた。



 そして、遂に一刀斎は刀を右手に立ち上がる。全身は傷だらけ、ゆらりと垂れ下がった刀に砕かれた鎧の残骸を身に纏う。満身創痍。されど、その瞳の中に燃え上がる炎を幻視する。

 未だ、伊藤一刀斎は死んでいない。その事実に、忠勝は静かに歩みを止めた。

『…………』

 静寂。冷たく、緊迫した空気が流れる。

 忠勝は、動かない。視線を一刀斎に向けたまま、槍を握り直し、足場を踏み締めて固める。先手を譲る様子。忠勝は、目の前に立つ一刀斎の雰囲気が先程とは別人のように一変したことを見抜いた。

(至った……か)

 一段階、警戒度を上げる。時折、一刀斎のように戦いの最中に己の殻を破る者が現れる。互いの命を懸けた死闘の末に、最後まで諦めずに足掻き続けた者だけが、限界のほんの少し先へと到達する。

 忠勝は、過去にも同じような場面を経験していた。故に、焦らない。冷静さを失わない。覚醒を遂げた者は、総じて厄介な存在へと至る。特に、敵の攻撃を紙一重で躱し、カウンターを入れることを得意とする忠勝のようなタイプには。

 精神が、肉体を超越する。命を燃やし、脳のリミッターを無理やり解除させる。その結果、先程まで届かなかった攻撃が当たるようになり、先程まで避けられなかった攻撃を躱せるようになる。敵からすれば、今まで通用していた目測に僅かなズレが生じるのだ。厄介この上ない。



 故に、忠勝は慎重に出方を窺うことを選んだ。

「……フッ」

 息を吐く。再計算。先の攻防より、一刀斎の動きを脳裏に思い描く。疲労は度外視。細部の動きを上方修正。今までの経験から、向上する身体能力の度合いを想定する。

(……うむ。問題ない)

 計算完了。忠勝は、深く腰を落とし槍を構えた。鋭い眼差しは、一刀斎の一挙一動を決して逃さず。極限まで高めた集中力は、どのような攻撃をも完璧に捌く神速の反射神経を生み出す。

 大丈夫。幾ら身体能力が向上すると言えど、それには上限値と時間制限が設けられている。人間をやめたような動きは出来ないし、素の実力がベースになる以上ある程度想定は可能。忠勝の槍捌きならば、僅かなズレをも即座に対応して修正が可能。忠勝は、十分に後の先を取れると判断したのだ。



 しかし、それは誤りであったことを思い知らされる。

 一刀斎の右手がゆっくりと動き出し、刀を腰に差した鞘に収めた――瞬間、世界が変わった。

 剣を構えた。ただ、それだけで凄まじい闘気が吹き荒れる。赫い引力。威圧感で空気の重さが増した。弱っている筈だ。満身創痍の筈だ。それなのに、先程よりも明らかに剣士としての格が違う。

(一体、何が……)

 そんな疑念を抱いたと同時に、忠勝の首が一刀のもとに斬り落とされた。

「――っ!? 」

 首筋を押さえ、咄嗟に飛び退く。逆立つ産毛。頬を冷たい汗が伝う。斬られていない。だが、忠勝は確かに斬られたと錯覚した。間合いの外にいる筈なのに――

「…………参る」

「!! 」

 小さく、己自身に囁くような声音。構えから察するに、一刀斎が繰り出そうとしているのは抜刀術。先程同様、距離を取れば怖くない。……されど、その声を聞いた瞬間に忠勝は反射的に動いた。打たせてはならない。そう、本能的に悟ったのだ。



 最早、機を待つ時ではない。

「はぁあああああっ!!! 」

 駆け出し、繰り出されるのは刺突の嵐。十、二十、三十と重なりて敵を穿つ。一撃一撃が必殺の威力を持つソレは、一刀斎に何もさせずに押し潰すという忠勝の意志そのもの。土を、草を、残骸を、全てを吹き飛ばしながら死の嵐が一刀斎を襲う。

 そんな嵐を前に一刀斎が選んだのは、突撃であった。

「なっ!? 」

 忠勝は、その行動に驚愕する。よもや、そのまま最短距離を突っ込んで来るとは思わなかった。回避、ないしは緩急を入れてくるだろうと。僅かに、外側に寄せていた攻撃。それ故に、針の穴程の隙が内側に出来る。そこを、一刀斎は突いた。

 しかし、隙と言ってもそれは外側より多少マシなだけ。当然、その脅威は健在であり、嵐の中を駆け抜ける一刀斎の頬や鎧が次々と切り裂かれていく。

「――っ! ア、ア゛ア゛……ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛アーッッ!!! 」

 激痛。流れる血潮が全身を赤く染め上げる。足を止めた瞬間に死ぬ。そんな極限状態の中でも、一刀斎は防御を取らない。腰に差した刀に手を添えたまま、歩法・走法のみで損傷を最小限に抑える。両手さえ無事であればそれで良いと言わんばかりに。両者の間は、着実に狭まっていた。



 一歩一歩、着実に迫る脅威。忠勝は、連続突きの回転速度を上げながらも、冷静にその時を待っていた。

(……後、三歩)

 冷たい眼差しが未来を見据えていた。

 正直、ここまで粘るとは思わなかった。一度、忠勝の前で膝をついた人間は、二度と忠勝に挑むことは出来ない。その神の御業に身も心も折られてしまうから。

 故に、この状況は想定外。未体験の恐怖が、初めて忠勝に死の気配を教える。

 それでも、忠勝は冷静さを失わない。自身が一刀斎の立場であれば、必ず何処かで急加速して懐へ潜り込む。忠勝が数えていた数字は、一刀斎が踏み込むと予測した地点までのカウントダウン。両者の間合いを考え、そこが最も加速に適していると忠勝は判断した。

 そして、遂にその時が来る。

(……弐、……壱、…………今っ!! )

 一刀斎が、予測地点へ踏み込み足をコンマ数秒止めた……瞬間、忠勝もまた攻撃を一時的に止めて一歩前へと踏み出してタメを作った。

 脳裏に思い描くのは、縮地を用いて忠勝の懐を目指す一刀斎の姿。縮地は、速度は神速だが直線的にしか動けない。故に、やると敵にバレてしまえば簡単にカウンターの餌食にされる。

「終わりだ! 伊藤一刀斎っ!!! 」

 宙を切り裂き、敵を刺し穿つ神速の一突き。その一撃は、一刀斎の眉間を確かに貫いた――




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