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96話

 


 それは、さながら詰将棋のように鮮やかで、美しく、無駄のない策略だった。

 最初から、三法師達が動き出す瞬間は読めていた。東から忠勝が現れれば、必ず三法師は西へと逃げる。元より、三法師は西の経路を使って岐阜までやってきたのだ。道中、逃げ道を確保している筈だと。

 三法師達は、徳川軍の攻撃を捌いているようで、その実、全て家康の想定通りに動かされていたのだ。



 ***



 七本の矢が宙を駈ける。

 放ったのは、家康が忍ばせていた伏兵。完璧な配置とタイミング。虚を衝かれた剣士達は、僅かに抜刀する動きに遅れが生じた。どんな人間も、予想外の展開に即座に対応出来ない。動揺が収まらない。切り替えることが出来ていない。

 だが、敵がこちらの都合に合わせることは有り得ない。待ってくれない。気が付けば、直ぐ傍にまで迫っていた。矢が、緩やかな曲線を描きながら太陽の光に隠れる。刹那、目標目掛けて急降下。三法師を中心に、不規則にバラけながら剣士達を襲った。

「来るぞっ!! 下手に切り払うな! 殿をお守りすることを最優先に考えよ!! 」

『――はっ! 』

 鋭い声音が脳を刺激する。僅かに、動きが戻る。その結果、三法師の近くに居た者は抜刀するよりも篭手と鎧で受け止めることを選択。撃ち漏らした分を、一刀斎と雪がカバーする。

 これが、功を奏した。甲高い音。風切り音。地面に落ちる数本の矢。被弾無し。一刀斎達は、敵の奇襲を凌ぐことに成功した。



 敵の攻撃を凌いだと判断した後、一刀斎達は短く息を入れて呼吸を整える。更なる攻撃を警戒しながら。その最中で、自然と皆の視線が地面に散らばった矢に向けられた。

 そして、目を見開く。

『――これはっ! 』

 太陽の光に照らされたことで、一刀斎達は鏃に塗られたソレに気付いた。毒。それも、あの状況で使ってきたのだ。おそらく、かなり強力な代物。

「…………まさかっ」

 その瞬間、三法師の首筋を冷たい汗が流れた。何故、毒を使ったのか。何が狙いなのか。皆より一歩退いた場所にいたからこそ、この状況を俯瞰して見ることが出来た。故に、気付くことが出来たのだ。

 しかし、三法師が家康の思惑を悟ったのも束の間、行動を起こす暇も与えぬと言わんばかりに、既に第二射が放たれていた。

「来るぞっ!! 」

『――っ』

 言われずとも刀を構えている。数は、十本。先程より多く、照準を定め直したのか、その殆どが三法師の下へ集中していた。



 だが、この程度であれば彼らの障害足りえない。彼らは、伊藤一刀斎門下の中でも選りすぐりの剣士達。例え本数が増えようとも、同じ攻撃を二度も受ける程マヌケではない。

『――ハッ!! 』

 気合い一閃。斬り落とし、叩き落とし、篭手で弾く。被弾無し。完璧な対応。そんな中、西側に居た二郎吾郎ら三名が、矢の発射角度から攻防の最中に弓兵の場所を特定する。

(あの茂みか! )

(状況は悪化し続けている。このままだと拙い! 何か、何かをして流れを変えなくては! )

(弓兵を仕留める。それが、逃げ道を確保する上での絶対条件! )

『――ハッ!! 』

「!? 待っ――」

 一刀斎の静止する声を振り切り、三人は同時に駆け出した。

(師範、すんません! だけんど、勝算はあるんだ! 俺は見た。放たれた矢の数は多かったけんど、あれは連射と重ね打ちを駆使しているだけだぁ。ちゃんと見れば、矢が放たれる場所は五つしかなかった。……つまり、伏兵の数は五人! )

(居場所は割れている。矢が飛んでくる方向が分かっているのであれば、避けることは造作もない)

(懐に入ってしまえばこちらのものだ! )

『はああああああああああっ!!! 』

 駈ける駈ける駈ける。左手に手綱を、右手に太刀を、心に忠義を。若き剣士達が、活路を切り開く為に大地を駈けた。



 しかし、それこそが家康が仕組んだ罠。

『――フッ』

 放たれる三つの矢。狙いは、三人の眉間。今までのとは、明確にソレに込められた殺意が違う。三人は、反射的に矢を斬り払ってしまった。

 ――刹那、小規模な煙幕が三人の視界を覆う。

『なぁっ!? 』

 視界が灰色に染まり、彼らは自らの失態を悟る。刃から伝わった違和感。あれは、鉄ではなかった。布、袋を切り裂いた感触。おそらく、あの中に灰を入れていたのだろうと推測する。

(しまった! これでは、声も出せん! )

 予想だにしない事態に焦り、右腕で口元を隠しながら手綱を引いて立ち止まってしまう三人。それ故に、対応出来なかった。弓兵は、既に二の矢を放っていたのだ。

 風を切り裂く音。狙いは、馬の心臓。僅かな膠着を見逃さず、三本の矢はそれぞれの馬の胴体を穿つ。

『――ヒヒン!? 』

 突然胸元を襲った激痛に、甲高い鳴き声を上げながら立ち上がる馬達。その直後、ぶるりと馬体を大きく震わせると、そのまま地面へと倒れていった。

『ぐっ!? 』

 重苦しい音と共に土煙が舞い上がり、三人は空中に投げ出される。視界が遮られていたが故に、彼らは受け身もまともに取れずに落馬の衝撃で全身を打撲。肺に残っていた空気が吐き出される。



 それでも、何とか身体を引き摺って愛馬の下へと辿り着く。そして、震える手を馬体へ添えた。愛馬の安否を確かめる為に。

「これは……」

 そこで、ようやく気付いた。異常な汗、浮き上がる血管、高温、痙攣。麻痺毒。それが、鏃に塗られていた毒の正体。そう、初めから敵は馬を狙っていたのだ。三法師から逃げる手段を奪う為に。

 それだけだ。それだけが、弓兵達に与えられた任務であり、それ以上の役割をこなせる状態ではなかった。弓兵達もまた、忠勝と同様に最低限の物資のみを携帯して潜伏していたのだから。

 彼らは、飛び出すべきではなかった。所詮、弓兵の役目は鳥籠。本命は、あくまでも本多忠勝なのだから。焦らず、機を待つべきだった。

『………………ぁ』

 空へ響き渡る指笛。宙を駈ける曲線。自身の失態を悟った彼らが見た最期の景色は、視界いっぱいに広がる矢の雨であった。

 彼らは、全身を矢で射抜かれて絶命した。抵抗すら許されずに。



 その様子を、一刀斎は黙って見届ける他なかった。

「――っ」

 歯噛みする。静止するのが一歩遅かった。敵の狙いを気付いていたのに。

 だが、動けなかった。見てしまったからだ。甲高い指笛が鳴り響いた直後、何処からともなく現れた栗毛の馬が忠勝の下へ駆け寄る場面を。

「クソッタレ! 何処から呼び寄せやがった! 」

 悪態をつく。一刀斎は知る由もないが、あの馬は本多忠次が乗っていたもの。あの時、足止めをくらい馬を手放すことになったのも、全て家康の計画通り。戦場で馬がふらついていても、何処からか逃げ出したのかと誰も警戒しない。まんまと忠勝に馬を与えてしまった。最悪の展開だ。

 そして、今、忠勝は馬に跨り駆け出した。三法師達は、完全に挟まれた。もう、逃げることは出来ない。家康が望んた通り、本多忠勝という最強の駒が存分に力を発揮出来る展開へと持ち込まれてしまった。



 絶望が脳裏を過ぎる一同。そんな中、一刀斎は不敵な笑みを浮かべながら足を踏み出した。

「……いや、それは最初からか。結局、本多忠勝に勝たねばならぬというだけよ」

『先生……』

 皆の視線が、頼もしい背中に注がれる。自然と、震えが収まっていた。

 そこへ、雪も続く。

「師範。弓兵は、私が片付けます。あれ程の一斉射撃を繰り返せば、直ぐに弾数を食い尽くしましょう。それも、毒まで仕込んでいたのですから、おそらく残数はあと僅か。私ひとりで十分です」

「……任せるぞ」

「はい」

 力強く頷き、二人は背を預ける。その瞳に迷いは見えない。ならば、後は背中を押すだけだ。二人が、絶対の信を置く存在から。

「皆、ここが最期の正念場だ。……命を懸けてくれ」

『御意っ!! 』

 その言葉に、一同は瞳に焔を宿した。元より、この命は主君の為に使い果たすと決めた身。迷いはない。



 最期の決戦が始まる。



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