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93話

 

 始めから、気付くべきだった。その違和感に。


 本多は、終始戦場で暴れ続けた。

 白百合隊による蜘蛛の巣のような包囲網を、見敵必殺の心得で誰にも気付かれずに最前線まで辿り着いたことから始まり、白百合隊二十三名によるゲリラ戦をただの一つの手傷も負わずに制圧。更には、休み暇も無く真田家随一の天才 真田源二郎との連戦を、一切の疲れを見せずに互角に渡り合った。

 普通の人間であれば、そのどれかを乗り越えるだけでも至難の業。【本多】の名は、伊達ではないことを証明してみせた。



 ……そう、そこだ。そこが、おかしい。源二郎が、本多忠勝を相手に互角に渡り合ったという事実。そこに、違和感を持つべきだった。

 確かに、源二郎は天才だ。順当に育てば、いずれ日本一の兵と呼ばれる傑物。しかし、今は未だ十八歳の青年に過ぎない。経験も技量も、身体だってまだまだ成長途中。模擬戦で前田慶次と互角に渡り合ったと言えど、慶次は既に五十近くで全盛期などとうの昔に過ぎ去っている。未だ健在と言えども、その武力は確かに衰えているのだ。

 一方、本多忠勝は三十七歳。その武力は、一切の陰りを見せていない。寧ろ、天賦の才に数多の戦場を潜り抜けてきた経験値も合わさって、武人としての全盛期に到達していると言えよう。

 つまり、全盛期の前田慶次ならばともかく、本来であれば源二郎に勝機は皆無なのだ。それ程までに、本多忠勝は生物としての格が違う。楽な戦いなど一度も無かった徳川軍の最前線に立ちながら、ただの一度も戦場で傷を負わなかった規格外とは。



 ***



 本多の口元を隠していた漆塗りの仮面。それは、先の一騎打ちにて源二郎の攻撃が掠っていたのか、下顎の部分から斜めに亀裂が走っていた。

 それが、振動や衝撃によって徐々に大きくなっていき、遂には亀裂が左端に到達。仮面が割れ、男の正体が暴かれる。


「――いつから、アレを本多忠勝だと錯覚していた? 」


 まるで、家康の声に合わせるように、左右に割れた仮面がゆっくりと地面へと落下していく。晒された顔が、ちょうど正面に来ていた五郎左の視界に入った――その瞬間、五郎左はみるみるうちに血の気が失せていき、目を見開きながら震える指でその顔を指差した。

「……違う。それは――その男は、本多忠勝では無いっ! 別人だっ!!? 」

『!? 』

 震える声音。五郎左は、本多忠勝と面識があった。だからこそ、気付くことが出来た。目元や背格好は似ているが、口元までハッキリと見れば全くの別人であると。



 男の正体は、本多忠次。

 歳は、三十八歳。本多忠勝の一歳年上であり、忠勝から数えて五代前の本多定助から分かれた本多氏彦八郎家の者。父 本多忠俊は徳川二十八神将に数えられ、親戚筋の中では最も忠勝に近い血筋にあたる。実際、歳も近いこともあってか、忠勝とは気心の知れた間柄であった。

 そんな本多忠次だが、彼はいたって平凡な男だった。

 無論、彼も本多家の男児として恥じない武人になるべく、日々鍛錬に勤しんでいる。武芸だけではない。十九歳の時に亡き父の跡を継ぎ、本多氏彦八郎家の家長として領地を豊かにする為に政務にも励んでいた。

 性格も良い。民や同僚からも慕われ、家康からも信を得ている。実績もある。高天神城攻めでは、落城に際して武田方の首級二十一をも討ち獲った。文武両道、清廉潔白。まさに、武人の鏡だと人々は口々に忠次を讃えていた。



 しかし、それでも本多忠勝や本多正信、偉大な父の影の前には霞んでしまう。事実、本多忠次の名を知る者は、後世においても極わずかな物好きだけ。優秀だが、何処か影の薄い凡人。それが、本多忠次の世間一般的な評価である。

 だが、忠次は折れなかった。己には才能が無い。それを自覚していたからこそ、常人の何倍もの鍛錬を己に強いた。

 嫉妬はしなかった。ただ、憧れた。忠勝のように、戦場で多くの仲間を守れるように強くなりたい。正信のように、優れた知略で主君を支えられるようになりたい。父のように、皆から慕われる領主になりたい。

 ただ、それだけだった。ただ、それだけ。愚直に、真っ直ぐに、理想だけを追い続けた。

 彼の不幸は、そんな純粋な想いを利用されたこと。



「アレは、良くやってくれた。何も聞かず、ワシの指示通りに動いてくれた。お陰でここまで来れたわ。……クククッ、実力があるわりに自己評価が低い者は扱い易くて良いのぅ。奴らは、主君の命に決して逆らわぬ。全く、都合のいい駒だわ」



 ――そして、理想を追い続けられるだけの根性と、強壮な身体が備わっていたことだ。

 忠次は、一度たりとも舗装された道を進まなかった。進めなかった。常に、茨の道を歩み続けた。何年も、何十年も、血反吐を吐きながら地面を這い続けた。その最中に、常人では決して越えられぬ壁を幾度も破壊し、武の極地に指先をかけるまでに至った。

 確かに、忠次は普通では無かったのかもしれない。まがいなりにも高みへ辿り着いた以上、凡人より才能に恵まれていたと言えるのかもしれない。

 だが、二十余年にも渡るその研鑽を、才能の二文字で終わらせるなんて誰が出来るだろうか。

 血の滲むような鍛錬を繰り返した。生まれ持った原石を、日々の地道な鍛錬を積み重ねて極限まで磨き上げた。その末に、本多忠勝の影武者を担うことが出来る程に強くなった。

 ……強くなってしまった。努力は裏切らない。だが、報われるとは限らない。忠次は、利用されたのだ。家康が編み出した、己自身をも贄とした前代未聞の鬼策を成立させる為の最後の駒として。



「信じていた。三法師は、決して斎藤利治を見捨てたりはしないと。岐阜を攻めれば、必ず安土から出てくるだろうと」

 語られるのは、狂気的なまでの執着。

「信じていた。織田信長は、このような所で終わるような男ではないと。三法師が窮地に立たされることがあれば、必ずや記憶を取り戻して再び立ち上がり、僅かな手勢でも構わず戦場へ駆け付けると。……おそらく、信長は間に合うのだろうなぁ。理屈ではないのだ。英雄は、必ず間に合ってしまうから英雄と呼ばれるのだから」

 脳裏を過ぎるのは、幼き頃に魅せられた背中。

 所詮、この世は弱肉強食。弱き者は、強者に絶対に逆らうことは出来ないのだと思い知り、世の非情さを嘆いて絶望の淵に突き落とされた人質時代。あの時、部屋の隅で縮こまる家康を外へと連れ出したのは信長だった。

「織田信長は、世界に愛された特別な人間だ。神を否定し、御仏を否定し、民から第六天魔王と畏れられても尚、当然のように勝ちが手元に転がり込む。全てが、織田信長の思い描いた通りに進むのだ。それが、運命かのように」

 家康はあの時、確かに織田信長へ憧憬の念を抱いていた。しかし、月日が経つにつれて憧れは薄れていった。突拍子のない行動に感嘆していた筈なのに、次第に理解出来ない恐怖の方が勝っていったのだ。



 そして、両者の対峙を決定付ける出来事が起こってしまった。

 《信康自刃事件》

 家康が、妻と息子を殺すことになった最悪の事件である。あの日以降、家康はずっと機を伺っていた。目の前で大切な人を失ったこの悲しみを、憎しみを、苦しみを、無力さを、必ずや信長に味わわせると。

「…………ようやくだ。ようやく、この時が来た。貴様らが戦場に姿を現したと聞かされた時、ワシは込み上げる笑いを堪えられんかったわ。斬りたくば、さっさとこの首を斬るが良い。最早、ワシの役目は終わった」

 嗤う、嗤う、嗤う。鬼が、復讐に取り憑かれた鬼が、己を追い詰めた英雄を嘲笑う。貴様は、まんまと策にハマったのだと。



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