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32話

 天正九年 七月 小田原城


 一目惚れ……なのだろうか、俺の婚約者として紹介された藤姫を見た途端、電流が身体を駆け回ったような錯覚を感じた。

 この人が俺の運命の人、それがまるで当たり前のことのように、すんなり受け入れてしまった。

 今も尚、見つめ合う二人の間には暖かな風が舞っていて、二人のこれからを祝うかのようだった。


 ふと気がつくと、周囲から慈愛に満ちた目で見られていることに気付く。今の状況をすっかり忘れていた俺達は、ソレを急に意識してしまったのか、一気に身体の体温が上がり頬は真っ赤に染まっていた。

「ふふふっどうやら、お気に召したようで」

 氏直に指摘され、またもや顔に熱がこもる。参ったな……これは当分治りそうにない。

「このような、すばらしいえんぐみをととのえていただき、かたじけのぅございます」

「はははっ! 三法師様はまだ幼く、婚約という形になりますが……二人の様子を見るに心配は御無用ですな。どうか、藤を幸せにしてやってくだされ」

 そう言うと、氏政・氏直親子は深々と頭を下げた。俺も慌てて頭を下げるも、胸に熱い思いがこみあがってくるのを必死に耐える。

 ……戦国の世は政略結婚が当たり前、我が子を駒にしか見えない親も多かろうに、目の前の親子は心の底から藤姫の幸せを願っていた。

 私達にとって、この子は大切な家族なのだと。どうか、幸せな家庭を築いて欲しい……そんな思いが嘘偽りなくこもっており、俺は必死に歯を食いしばって涙を抑えた。

 なんて気高き志か……新五郎から、家族愛に溢れた家柄だと聞いていたが、ここまでとは思わなかった。

 ならば、俺もそれに応えないといけない。

 俺はスっと立ち上がり藤姫の傍によると、その両手を握り締めた。まだまだ小さくか弱い手だけど、精一杯守ってみせるという決意をこめて。

「ふじひめどのは、わたしがかならずやしあわせにしてみせます。どうか、ごあんしんなさいませ」

 藤姫は、少し驚いた顔をしていたが、まるで喜びを噛み締めるように一度頷くと、花のような笑顔を見せてくれた。

「はいっ! 」

 あぁ絶対守り通してみせよう。この笑顔を曇らせてはいけない、そう固く決心した。



 その後も、 広間には和やかな雰囲気が漂っていた。重臣達も次々と祝いの言葉をくれたし、その様子を氏政・氏直親子も嬉しそうに眺めていた。

 流石に重臣達も空気を読んだのか、側室云々の話しを持ちかけることは無かったが、明日以降は分からない……俺としては、藤姫の意見を尊重したいところだな。

 そして、今回の一件で織田家と北条家の婚姻同盟が正式に成立した。俺の計画第一段階ではあるが、無事に達成出来たことにホッと胸を撫で下ろす。

 後で、爺さんと親父に連絡を入れないといけないな。これで織田家は、東の要所を手に入れることになる。徳川・武田・上杉そして奥州を抑える重要拠点だ、この意味は大きい。織田家の天下統一は格段に早まるだろう。

 そして、俺は北条家の政を学ばなければならない。そもそも建前上、目的はそっちだったし興味もあった。

 俺も多少は勉強しているが、民主主義社会での政治はこの時代には合わないだろうし出来ない。やはり、善政と謳われた北条家に教えを乞うことが一番だろう。

 氏直は、そんな俺の視線に気付いたのか、早速話題をふってくれた。

「三法師様は、我が北条家の政を学びたいと申しておりましたが……その、真意をお聞かせ頂ければ幸いでございます」

「……わたしはひのもとを、おさめるやくめがございます。それには、たみをいつくしむまつりごとをしなくてはいけません。ほうじょうどのは、そのすべをごぞんじでおられる。ぜひとも、わたしにごきょうじゅいただけませぬか? 」

 俺は誠意を込めて頭を下げると、氏直は少し慌てているようだった。主家の嫡男である俺が、ここまで下手に出て教えを乞うことが意外だったのだろう。重臣達にもざわめきが起こっている。

 しかし、俺には知識も力もない。ならば、誠意をみせるしか無いだろう。頭を下げるのは、俺にとって当たり前なのだ。

「さ、三法師様っ! 頭を上げてくださいませっ! 私共はいつでも……」

 氏直が慌てて立ち上がるも、それを氏政が手で制し俺を見てくる。その目には、嘘偽りは許さないと物語っていた。

「三法師様は、何故そこまで民を慈しもうとされるのですかな? 三法師様は、天下人たる上様の覇権を御継ぎになる御方。であれば、下々のことなど気にする事はありますまい」

 氏政の言葉は、確かにこの時代なら普通の考えだ。民の暮らしなど気にする事は無く、搾れるだけ搾り取り使えなくなったら捨てる……上に立っている自分は特別であり、下々を駒のように使うことが出来る。

 だけど、それは間違っている!

 人々が平等だなんて綺麗事は言わない、生まれや環境、才能で人の優劣はついてしまう。それは仕方がないことだ。

 だが、それが人を虐げる理由にはならない。力ある者には、弱き者を守る義務がある。親が子を守るように、誰しもが心に宿す尊い思い。俺はそれを忘れてはいけない、そう思っている!

「たみのうえにたっているのは、けっしてたみをしいたげるためではありません。たみをまもるためにたっているのです。おうがいるからたみがいるのではなく、たみがいるからおうになれるのです。たみをいつくしむこころをわすれては、よいおうにはなれません」


 どのくらい経っただろうか、俺の言葉を聞いた氏政はそれっきり深く考えているのか、黙ってしまっている。氏直や重臣達も、固唾を飲んで見守っているせいか広間には静寂が訪れていた。

 そして、氏政は不意に目を開くと、フッと柔らかく笑うと慈愛に満ちた目で俺を真っ直ぐに見た。

「三法師様は、既に北条家の心得を会得なさっておりますよ。北条家当主は代々、五か条の訓戒状を継承しております。その中に、武士から農民にいたるまで、全ての民を慈しむこと。必要のない民などいないからである……そう書かれております。三法師様ならば、北条家の意志を後世まで残して頂けるでしょう。どうか、良い王になってくださいませ。我が北条家は三法師様の為に、生涯尽力致しましょう」

 そう言うと、氏政は深々と平伏した。

 そして、氏政が頭を下げるのを皮切りに、氏直や重臣達も一斉に平伏するのを見て、俺は涙が止まらなかった。

 こんなにも、素晴らしい方々が俺を認め、思いを託してくれたことが何よりも嬉しかった。

「っ! ……まことに、かたじけのぅございます」

「三法師様には、幻庵宗哲殿を紹介致しましょう。北条家の祖、早雲様の末子であり、長らく北条家当主を支えて頂いております。きっと、三法師様のお力になってくれましょう。確か、今は箱根にて湯治しているとか、呼び寄せますか? 」

 北条早雲って随分前の人だよな。それじゃあ幻庵宗哲って人も高齢なんじゃ? 流石に温泉で療養中の老人を呼び寄せる程、非常識ではない。

「いえ、わたしのほうからまいりましょう。おしえをこうのですから、とうぜんでございます」

「左様ですか……であれば、文を出しておきます故、三法師様の都合の良い時に出発してくださりませ」

「かさねがさね、かたじけのぅございます」

 まさに、至り尽くせりな対応に恐縮していると、不意に藤姫が口を開いた。

「お父様、わたくしも三法師様に同行致しましょう。婚約者ですもの、構いませんでしょう? 」

「う〜む……三法師様はどうでしょうか? 御迷惑なようでしたら、控えさせますが……」

 藤姫のお願いは、ちょっと驚いたが婚約者として同行したいって言うのは、素直に嬉しかった。

「こちらこそ、ぜひともおねがいいたします」

「左様ですか、それでしたらこちらも準備致しましょう。藤、三法師様に御迷惑をかけないようにな」

「分かっておりますわ。ありがとうございます」


 藤姫の言葉で場が締め括られると、氏直が立ち上がり手を大きく広げ重臣達に宣言した。

「皆の者、これより北条家は織田家ひいては三法師様に尽力致す! その旨、しかと心得よ! 」

『御意っ! 』

 一糸乱れぬ重臣達の意志を確認した氏直は、フッと柔らかく微笑むと広間の雰囲気もどこか和やかになった。

「さて、それでは固い話しはここまでに致しましょう。今宵は三法師様と藤の婚約を祝い宴じゃ! 直ぐに準備せよ! 」

『ははっ! 』

 氏直の言葉を皮切りに、みんな一斉に準備に取り掛かった。宴の最中みんな終始笑顔で、心から俺達の未来を祝っていることが伝わり、俺と藤姫も自然と笑顔になっていた。


 こうして、俺達の次の目的地が決定した。

 箱根、そこに北条家を長らく支えてきた重鎮幻庵宗哲殿がいる。きっと、素晴らしい出会いになるだろう。そう、今から楽しみになっていた。


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