76話
今年も、ありがとうございました。
来年も、どうぞ宜しくお願いいたします。
――そして、時は信長と新五郎が合流を果たした直後へと巻き戻る。
***
自らの手で、謀反人 織田信雄を討伐した織田信長。そんな彼の下へ新五郎が到着したことで、既に北の戦場が新五郎達によって制圧されたことを信長は知る。そして、自身もまた、酒井忠次を討伐することで西の戦場を制圧していた。
これにより、残す戦場は東と南。東では、井伊直政と森 長可の一騎打ちを行っており、南では榊原康政率いる徳川軍を前に、丹羽長秀・前田慶次・真田信繁が必死に猛攻を凌いでいる。耐えている。戦力差で負けている以上、破れかぶれの突撃では、中央に陣を敷く徳川家康の首まで届かないと分かっているから。
皆、待っていた。一気に、戦の流れを織田軍へ傾かせる契機を。
そして、遂にその時が来る。
「伝令ー!! 伝令ぇー!!! 」
信長達の下へ一目散に駆ける騎兵。人馬共に息を荒げ、泥にまみれ、汗や返り血で全身を汚しながらも、必死の形相で駆け抜ける。そのあまりの剣幕と、彼が背負っている旗を見た兵士達は一斉に左右に別れて道を作った。一刻を争っていると悟ったから。
兵士達の判断は正しかった。彼の正体は、勝蔵に仕える武士の一人。先の一騎打ちの結果を力丸へ知らせる為に、勝蔵より託された言伝を胸に早馬に乗り、危険を承知で戦場を最短距離で突っ切ってきたのだ。己がどれだけ早く辿り着けるかに、織田家の命運が懸かっていると分かっているから!
その想いが実り、彼は遂に本陣へと辿り着いた。そこで待っていたのは力丸だけではなかったが、今はそれどころではないと懐より取り出した竹筒で喉を潤し、まくしたてるように口を開いた。
「――っ、報告!! 東の戦線で動き有り! 両軍大将、井伊直政と森 勝蔵殿の一騎打ちが決着致しました! 」
『――っ!! 』
場に緊張が走る。その勝負の行く末が、この戦の結果を大きく左右すると誰もが悟っていた。
「どちらだ! どちらが勝った!? 」
「勝者は、勝者は――」
一呼吸置き、彼は力強く頷いた。
「――森 勝蔵様! 見事、一騎打ちにて徳川家重臣 井伊直政めを討ち取り、東の戦場を制圧致しました!! 」
『――っ、ぉ……うおおおおおおおおおおおっ!!! 』
喜びが爆発する。皆が皆、歓声を上げながら拳を天に掲げ、三法師随一の忠臣が成し遂げた偉業を称えた。敵軍の猛将を、自軍の英雄が一騎打ちにて討ち取る。これ以上、兵士達の士気が上がるモノはない。
誰もが、頬を紅潮させながら織田家の優勢を確信した。
それは、信長とて例外ではない。
「……で、あるか――っ! 」
腕を組みながら、勝蔵の勝利を噛み締めるように呟く信長。それもそうだ。これにより、織田軍は東・西・北の三方向から徳川軍を攻めることが可能になった。
兵力は、信長軍が二千、新五郎軍が二千二百、勝蔵軍千五百。合わせて五千七百。それに対し、家康の居る徳川本軍は四千である。
(この兵力差であれば、本陣へ向けて三方向から一斉に叩けば十分勝機はあるな。……敗走兵がどのような動きをするのかが不確定ではあるが、大将格を討ち取っている以上、奴らの戦意は完全にへし折れているだろう。戦が長引き、明日明後日ともなれば分からぬが、恐怖に心を囚われた今ならば徳川軍に合流する可能性は限りなく低いっ! )
理論的に、そして客観的に勝利への道筋を組み立てていく信長。そんな信長を後押しするように、徳川軍の本陣へ偵察に出ていた昌幸の忍びが戻ってきた。
「報告致します。先程、徳川軍本陣より石川数正が三千の兵を率いて出陣致しました。向かう先は南。榊原軍と合流する模様。現在も妨害工作を続けておりますが、あと四半刻程度稼ぐのが限界かと」
『!! 』
徳川軍が動いた。その事実に、場に緊張が走る。
「……本多は? 」
「申し訳ございませぬ。未だ、その姿を捉えることは叶っておりませぬ。ただ、石川軍にそれらしき武将の姿は確認されておりませぬ」
「……であるか」
石川軍三千が榊原軍と合流すれば、その数は五千五百にまで膨れ上がる。五郎左達も奮闘しているが、たった千五百の兵力では話にならないだろう。瞬く間に蹂躙される姿がハッキリと脳裏に思い浮かぶ。
ここまで、織田軍は信長達の功績により、三つの戦場を制圧することに成功した。流れは、確実に織田軍の方へ吹いている。
しかし、しかしだ。三法師が殺されてしまえば、もうそこでお終いだ。織田家の敗北なのだ。
……確かに、信長が復活した。それは大きい。――だが、この戦いの総大将は三法師だ。皆の心の拠り所は三法師だ。皆、彼の夢を信じて歩いてきた。三法師は、希望の象徴なのだ。失う訳には……いかないっ。それが、織田軍の総意である。
故に、この場にいる全員が思い知らされた。
家康は、本気で潰しにきている。己が守りを薄くしてでも、圧倒的兵力差で一気に押し潰すつもりなのだと。その狂気とも言える執念を。
……だが、これは好機でもある。
先に述べた通り、現在の徳川軍本陣は千人程度しかいない。あれ程遠かった家康の首が、手を伸ばせば届く距離にまで近付いていた。
当然、そのことは信長も気付いている。
(今、家康の守りは限りなく薄くなっている。無論、本多忠勝の姿を確認出来ていない以上、奴は本陣にて家康の護衛についているのだろう。……然しもの本多忠勝と言えど、千の兵士を率いたところで三方向からの一斉攻撃を完璧に対処することは不可能だ。……狙うならば、今しかないだろう)
――だが。
(……駄目だな。いくら考えても、こちらが兵を整えて攻撃を仕掛けるよりも、徳川軍が三法師の下へ辿り着く方が速いっ)
そう。電話も無いこの時代、数km先にいる味方へリアルタイムで情報を共有する術はない。新五郎達が北の戦場まで戻るのに、勝蔵のいる西の戦場まで早馬が辿り着くのに、一体どれだけ時間がかかるだろうか。そこから兵を整えたところで、その時点で既に石川軍を足止め出来る四半刻は過ぎている。
……時間が圧倒的に足りない。三法師は、絶体絶命の危機に扮していた。
しかし、未だ希望は潰えてはいなかった。
「ご安心くださいませ、上様。西の戦場での戦いは、良くも悪くも大将同士による一騎打ちにございました。そして、勝利した森様のお身体には外傷も殆ど無く、森軍の兵士達にも損害は一切ございません。無論、疲労はございますが、その程度で弱音を吐く者は一人もおらず、既に総攻撃に向けて支度を整えております。後は、狼煙で合図を送っていただければ、森軍は徳川家康討伐に向けて即座に動き出しましょう」
「――なっ! それは、誠か!? 」
「はっ、誠にございます」
思わぬ報告に目を見開く信長。そう、これこそが勝蔵から託されていた言伝。この展開を予見した勝蔵が、既に手を打っていたのだ。間に合わない。そんな最悪の未来を回避する為に。
新五郎達は全員馬に騎乗している。ここから全力で駆け抜ければ、二十分程で北の戦場に到着出来るだろう。残してきた兵士達のことは、新五郎は既に彦六に任せてある。重傷者の搬送や敵将の捕縛が終われば、戻ってきた時に直ぐ動けるように準備しておくようにとも言ってある。
そして、二十分あれば信長達の支度も整う。新五郎達が狼煙を上げれば、連動するように狼煙を上げて勝蔵へ知らせることが出来る。三方向一斉攻撃も現実味を帯びてきた。
そして、昌幸の忍びが時間を稼げる時間は三十分。二十分……いや、多く見積もって二十五分としても、石川軍が榊原軍に合流するよりも早く、信長達が家康のいる本陣を叩くことが出来る!
(あとは、敵軍の動きをどれだけ鈍らせることが出来るかに懸かっている。少しでも、我らの動きに動揺してくれれば良いのだが……な。……こちらの士気を上げ、奴らの意識を戦場から逸らす。そんな、流れをこちらが完全に掴める契機があれば――っ)
深く、深く。信長が、顎に手を添えながら思考を張り巡らせていた――その時だった。
――カンカンカンカンカンッッ!!!
戦場に鳴り響く鐘の音。誰もが、動きを止めて天を仰ぎ見る。その先にあったモノは――岐阜城であった。
「……時は、満ちましたな」
皆が皆、何が起きているのかと動揺する中、ただ一人の男だけが不敵に笑ってみせた。
男の名は、真田昌幸。
天下四大軍師に数えられる英傑が、遂に徳川殺しの鬼札を切る。