74話
戦いは佳境へ。
大地を迸る紅蓮の闘気。力こそが絶対の正義だと謳う直政は、いっそ清々しいまでの突撃宣言と共に膝を深く曲げて極端な前傾姿勢を取った。
猪突猛進。受けられるものなら受けてみよ……と。
それに対し、勝蔵は。
「力……か。――よろしい。であれば、こちらも全身全霊をもって応えよう」
「!! 」
膝を曲げ、身体を捻り、槍を振りかざす。
真っ向勝負。それが、勝蔵の出した答えであった。
『………………』
ひと時の静寂。
そして――
『いざ……参るっ!! 』
どちらがと言うこともなく互いに踏み込み、その直後、交差した穂先が激しい火花を上げた。
***
最早、互いに相手の出方を探る段階を通り過ぎた。
(一気に決める! )
先手を取る。そう決めた勝蔵は、振るう槍のキレが徐々に増していった。燃え盛る炎のように熾烈に、空に轟く雷のように速く、獲物へ襲いかかる獣のように猛烈に、全身全霊の力を込めて大地を踏み砕く。
「おおおおおおおおおおおおっ!! 」
「――ッ!? 」
その凄まじい剣幕に動揺したのか、直政の瞳が大きく見開いた。勝蔵の腕前を噂でしか知らなかったが故に、もっと技術で相手を圧倒する鮮やかな戦い方をするものと思っていたのだ。
おそらく、武田征伐の最後を彩った、土屋昌恒との一騎打ちの件を聞いたのだろう。槍の名手と謳われた土屋を、流れるような連続技で討ち取ってみせた武勇伝を。
確かに、それだけを聞けば力よりも技術に秀でた人物像が浮かんでも不思議ではない。
直政は、知らなかった。勝蔵もまた、十代の頃は熾烈な猪武者と言われていたことを。亡き父の背を追いかけ、ひたすら手柄を求めて槍を振るい続けていた姿を。
故に、この烈火の如き姿もまた……勝蔵の本質なのだ。
僅かに動きが鈍ったその隙を突くように、勝蔵は一気に間合いを詰めて斬り掛かる。
「はああああっ!! 」
「…………っ」
爆ぜる大地。槍がぶつかり合った衝撃で、直政の身体が後方へ大きく吹き飛ばされる。
やはり、この力は付け焼き刃のソレではない。その事実を身をもって味わった直政は、目を見開いて驚愕し……そして、歓喜に打ち震えた。
「あぁ、あぁ!! 良い、素晴らしい腕前だ! 本多殿以外にも、これ程までの強者がいたとは……なぁ!! 」
凄まじい加速。ぶつかり合った矛先が火花を散らす。
「――っ」
(未だ、速度が上がるのか! )
興奮気味に襲いかかる直政に対して、勝蔵は間一髪のところで槍で受け止めることが出来た。しかし、その勢いは更に増しており、残された体力からもこれ以上長引かせる訳にはいかないと判断。勝蔵も、一気に力を込めることで鍔迫り合いを強要する。
だが、それすらも直政からすれば喜びでしかなかった。小細工無しの、力と力の真っ向勝負。それは、直政も望むところであった。
「ハハハッ、アハハハハハッッ!! 」
獰猛な笑みから溢れる笑い声。切り結ぶ度に気分が高まっていく。
それもそうだろう。その一撃に込められた威力は、決して一朝一夕で身に付く代物ではない。そこに込めれた熱量は、対峙している直政が一番良く分かっていた。
技とは、数多の経験を積むことで血が通い、己が魂が込めることで【本物】へと至る。勝蔵の槍は、紛れもなく本物だ。真の強者のみが振るえるモノだ。
だからこそ、自然と笑みが溢れ出す。
「ずっと、ずっと追い求めてきた! 真の強者と、戦場で互いの命を懸けて切り結べる機会を! この渇きが満たされる瞬間をなぁああああああっ!! 」
高揚感に満たされた身体は、その心が赴くままに絶大な体力を消耗させて限界以上の力を発揮させる。もう、ここで終わっても構わないと。
「アハハハハッ、アッハッハッハッハッハッー!! 」
理性は溶け、頬は赤らみ、鼓動は高鳴り、血走った瞳が敵を捉え、呼吸は次第に荒くなっていく。最早、立っているのすら危険な状態。
――それ故に、直政は致命的な失態を犯してしまったのかもしれない。
「強い! 強いっ! 強いっ!!! お前の強さは本物だ! この俺が保証してやる! 森 長可。お前は、あのような腑抜けに仕えているとは思えぬ強者だっ!! 」
「……なに? 」
聞き捨てならないその言葉に、ピクリと勝蔵の眉が動く。だが、そんな勝蔵の様子を知ってか知らずか、直政は高揚感に浸りながら、尚も口を開いてしまった。
「あぁ……そういえば、お前だけでは無かったな、あの腑抜けに仕えている強者は。……前田慶次郎、真田信繁、伊藤一刀斎。皆、自他共に認める日ノ本屈指の豪傑達だ。無論、俺も心から敬意を表している。――だからこそ、理解出来ぬのだ。天下泰平などと言う、できもしない戯言をほざく童に、お前達のような強者が仕えていることが」
肩を震わせながら、ニヤリと大きく口元を歪ませた。三法師が掲げてきた理想を、勝蔵達が追い求めてきた夢を嘲るように。
「戦が起こることも無く、醜い差別も無く、童が飢えることも無く、誰もが笑い、支え合い、光り輝く未来へ希望を抱く。そんな、誰も悲しまない世界――だったか? …………クックックッ……クヒャヒャヒャヒャヒャヒャーッ!! バカか、お前! 来るわけねぇだろぅが、そんな未来なんかよぉおおおおっ!!? お前達の主さまは、どんだけ節穴のお花畑野郎なんだぁ? いっそ、騙されているって言われた方が信じられるぜぇ? それとも、自分達の都合のいい傀儡にする為の過程か? なぁ、どうなんだよ? えぇ? 」
「――ッッ!!! 」
「織田家が天下を統一したところで、この日ノ本に泰平の世なんざ訪れるものか! この日ノ本の民が、あのような薄っぺらい理想論如きで早々変わるものか! この国の民は変化を恐れる! 余所者を弾き出し、己が理解出来ぬモノを拒絶し、身内で寄せ集まり、大義名分があればどのような非道なことでも平気で行う! ――故に、あまっちょろい理想ばかり垂れ流すお前達の主さまでは駄目なんだ……よぉ!! 」
「!? 」
怒りに思考が染まり、やや直進的になった槍を掬うようにかち上げられる。思わぬ反撃に、勝蔵はつんのめるようにバランスを崩す。その隙を突くように、直政の鋭い蹴りが勝蔵の腹を捉えた。
防御が間に合わず、まともに蹴りを食らった勝蔵は数メートル後方へ吹き飛ばされる。
「……っ」
歯を食いしばり、気合いで衝撃を耐える勝蔵。
(まさか、先程の挑発は最初からコレを狙って? )
己の未熟さを恥ながら、勝蔵は素早く体勢を立て直して追撃に備える。……しかし、待てども待てども追撃は一向に来ず、何をしているのかと勝蔵が視線を上げてみれば、そこには矛先を下ろした直政の姿があった。
「なんの――「なぁ、お前も我が君に仕えないか? 」
なんのつもりだ。そう、問いかけようとした勝蔵の声に被せるように放たれた言葉に、勝蔵は目を見開いて絶句した。
意味が、分からない。何故、そうなるのか。だが、直政の瞳には一切の迷いが見えない。本気で、つい先程まで殺し合いをしていた相手を勧誘しているのだ。
「槍を重ねれば、その者の本質が分かるというもの。お前もまた、俺と同じ戦場でしか生きられない男だ。命懸けの死闘の中でしか生を実感出来ぬ愚者だ。……そんな愚者達が、織田家が天下を統一した後の世界で生きていけると思うか? もう、戦はしないと言っているのだぞ? 寿命が尽きるその瞬間まで、ダラダラと無気力に余生を過ごすつもりか? そこまで鍛え上げた力が錆び付いていく現実に、本当にお前は耐えることが出来ると言えるか? 」
その事実に、勝蔵は腹が煮えくり返る程の屈辱を感じた。
「安心しろ。我が君は、ちゃんと我らのような者達のことも考えて下さっている。そして、徳川家が天下を統べるまでの計画や、その後の統治についてもな」
「……」
「織田家を滅ぼすには、この戦いで信長と三法師の首を取れば良い。信孝では代わりにならんし、半ば力技で天下一統を推し進めた故、奥州や関東の大名家には未だ織田家に反発する者も多い。屋台骨となる者が死ねば勝手に空中分解するだろうな。それに、我が君は最も警戒していた秀吉にも既に手は打ってあるそうだ。ここで徳川家が勝てば、それで全て丸く収まる」
「…………ぇ」
「そして、我が君はなぁ、天下を統一した後に唐入りをすると約束してくれた。徳川家に歯向かう者、織田家に忠義を尽くしていた危険分子と共に、我らを異国との戦いに送り出してくれると! 分かるか!? 我が君は、我らに死に場所を用意して下さったのだ!! 国の為に戦え、己が為にも戦え、南蛮を牽制しながら危険分子も同時に排除出来るのだ! まさに、一石二鳥。……あぁ、流石は我が君。お前も、素晴らしい策だと思うだろうっ!? 」
「…………れぇ……っ」
「その後は、弱った武家と公家を徳川家が定めた法によって縛る! 日ノ本の民が慣習に囚われるのであれば、徳川家の法を新たな常識として魂へ刻み込ませる! その先に、百年、二百年と続く徳川家の栄華があるのだ! 平和とは、ただ一人の強者が敷く独裁の果てに存在するもの。恐怖によって人の心を縛り、法によって人の動きを縛る。そこまでしなければ、この日ノ本を変えることは出来ん!! 」
「……ま、……ぇ……っ」
「……故に、人の善性を前提とするあの腑抜けでは、決してその世界に辿り着けぬことは明白。理想だけで世界が救えるのであれば、とうの昔に乱世は終わっていただろうよ。そんな簡単なことに未だ気付けぬから、奴は腑抜けなのだ。……まぁ、それも致し方ないか。己の手を汚そうともせず、ただ後ろから聞こえだけは良い理想を吐かすばかり。そんな、口先だけの真っ白なお飾り人形では到底――「黙れっ!!! 」
ビリビリと、空気が弾けるような怒号。全身から立ち昇る怒気。
遂に、勝蔵の堪忍袋の緒が切れた。
その言葉だけは、絶対に許すことは出来ない。
「貴様如きが、三法師様を語るなぁあああっ!!! 」
「――っ」
その言葉に込められた熱量に、直政は無意識に後退ってしまう。
……そう、直政は致命的な失態を犯してしまったのだ。己から龍の逆鱗に触れるという、致命的な失態を。