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73話

 

 鬼と鬼が、戦場にて向かい合う。

 それぞれ、両家を代表とする若武者達。使う獲物は、共に槍。それも、家中において最も優れた者を示す皆朱の槍だ。

 無論、例外はある。

 本多忠勝は、徳川最強ではあるが蜻蛉切を持っているが故に朱槍は持たず、前田慶次は武田征伐の功績を称えられて、織田信長より直々に朱槍を授かった。可児才蔵や真田信繁も、最強の一角に数える者も多い。それを考えれば、朱槍は家中最強の証とは言えないかもしれない。

 だが、それでも、二人がソレを振るうに値すると自他共に認められた強者であることに変わりない。

 そんな両者が、己が主君の命運を背負って向かい合ったのだ。ともすれば、どちらかが死ぬしかない。例え、槍を折られようとも、敵の喉元に喰らいついて引き千切る。

 そんな、血で血を洗う死闘となるのは必然であった。

「往くぞ、井伊直政ぁああっ!! 」

「来い、森 長可ぃいいいっ!! 」

『ウゥゥォオォォオオォオオオオッッッ!!!!! 』

 戦場中に響き渡る雄叫び。大地は爆ぜ、衝撃波が吹き荒れ、空間が悲鳴を上げるように軋む。

 全ては、この時の為に。

 絶対に負けられない戦いが、そこにはあった。



 ***



『ウゥゥォオォォオオォオオオオッッッ!!!!! 』

 咆哮。両者同時に間合いを詰め、全身全霊の力を込めて槍を振るう。激突。そして、拮抗。凄まじい衝撃波によって舞い上がった土煙が晴れた先には、両者のちょうど中間地点でぶつかり合う二本の朱槍が見えた。

 両者、共に一歩も譲らず。躍動する筋肉。宙を切り裂く一閃。血の狂乱。舞う鮮血。飛び散る肉片。猛烈な連撃の嵐が吹き荒れる。

 そんな両者の戦いは、まさに荒れ狂う嵐そのもの。

 それが、戦場を縦横無尽に暴れまわっているのだ。当然の事ながら、そんな天変地異にそこらの一般兵が巻き込まれればただで済む筈がない。

『う、うわぁぁあああっ!!? 』

「た、退避ー! 退避ぃー!! 」

「巻き込まれるぞ!! 早く逃げろー!! 」

「くそったれ! 好き放題しやがって! 」

「ば、馬鹿! んなこたぁ、いま言っても仕方ねぇだろうが! 死にたくなかったら走れ! 」

「お、お母ちゃーん!? 」

 慌てて逃げ出す兵士達。最早、戦いどころではない。武器を捨て、旗を捨て、無我夢中で二人の戦いから遠ざかっていく。

 無論、それでも逃げ出さない勇敢な者達もいた。その多くが二人に仕える武士であり、それぞれ己が主君の勝利を毛ほども疑っていない忠臣達。

(若君……)

(井伊様……)

(勝蔵様……)

(赤鬼様……)

 《どうか……どうか、ご無事で――っ!!! 》

 戦いに割って入ることは出来ない。そんな実力もないし、何より主君がそれを望んでいない。

 だから、彼らは待ち続ける。例え、この場に留まることが如何に危険であろうとも。彼らは、待ち続ける。主君が無事に帰って来ることを願いながら……。



 そんな家臣達の想いを知ってか知らずか、戦いは次の段階へと移行する。

 このままでは押し切れない。そう判断した両者は、同時にバックステップで間合いから距離を置く。仕切り直し。そう思った――刹那、直政が強く大地を蹴り上げて間合いを詰めた。

「はぁぁああああっ!! 」

 やはり、直政はここでも先手を取ることに拘る。このまま一気に勝負を付ける腹積もりなのか、先手必勝と言わんばかりに勝蔵の喉元目掛けて高速の五連突きを放つ。

 迫る槍。されど、それは既に読み切っている。

「甘い! 」

 直政が、あのまま仕切り直しに応じる筈がない。そう、確信していた勝蔵は、直政の突きを完全に読み切っていた。一つ、二つ、三つ……腰を低く構えた勝蔵は、直政の突きを正面から叩き伏せる。そして、最後の五連目を槍の側面を軽く弾いて軌道を逸らすと、返す刃で直政の首筋を狙う。

「フッ! 」

 短く息を吐き、身体を捻りながら槍を穿つ。眉間に照準を定めた正確無比なその一撃を、直政は咄嗟に顔を逸らすことで躱そうとする。

 普通であれば、先ず反応することすら叶わない。回避しようとする。ただそれだけで、直政が非凡な才能の持ち主であることが良く分かる。格闘センスだけで言えば、この日ノ本でも五指に入るだろうて。



 しかし、幾ら直政がずば抜けた格闘センスを持っていようとも、あのように技を完璧に受け流された直後では、その閃光の如き刺突を完全に避けることは叶わない。

「――っ」

 頬に走る赤き一閃。僅かに掠めた穂先が肉を抉る。だが、こんなもの擦り傷。この程度の傷で動きを止めることはない。寧ろ、もっと昂らせろと斬り掛かる。

「オラァァァッッ!! 」

 万力の力を込めた振り下ろし。だが、その時には既に勝蔵の術中に嵌められていた。

「……何処を狙っているんだ? 」

「!? 」

 ……直政の槍は、勝蔵の真横を通過した。驚愕。瞳が揺れる。何故……そんな疑問が、直政の脳裏を埋め尽くす。距離感を間違えるなんて、自分が今更そんな初歩的なミスをするなんて信じられなかった。

 その疑問に答えるように、勝蔵は口を開いた。

「なに、簡単な話よ。……人は、脳を軽く揺さぶられただけで距離感を狂わされるのだ」

「――なっ!? 」

 そう、勝蔵は先程直政の頬を槍で抉った際に、絶妙に手首を捻ることで柄で脳の側面を叩き、三半規管へ軽度のダメージを与えていたのだ。

 その答えに、勝蔵へ驚愕の眼差しが向けられる。直政は、戦闘にのめり込むあまりソレに気付くことが出来なかった。

 無論、勝蔵が与えたダメージは軽度。目眩による距離感の狂いも、数分も安静にしていれば収まるだろう。……だが、敵と対峙している状況で安静になれる時間など無く、ましてや、その数分間の隙は戦場においてあまりに致命的であった。

「死ね、痴れ者めが」

 謀反人への怒りを胸に、高速の二連撃が宙を切り裂く。



 ――森流槍術 羅刹、十文字斬り



「――カハッ!? 」

 殆ど同時に放たれた斬撃は、直政の胸元を十文字に切り裂いた。

 激しい血飛沫が舞い、焼けるような痛みが直政を襲う。痺れるような裂傷。脳を震わせる衝撃。

 だが、呆けてはいられない。

「あ、……く、あ……ぁ」

 その瞳は、未だ死んでおらず。あれ程の技を受けて尚、槍を振るう手を止めたりはしない。

「く、く、く…………クハハハハハハハッッ!!! 」

 例え、その身に友の返り血を浴びようとも、その身に数多の裂傷を刻まれようとも、その命が尽きるその瞬間まで槍を振るい続ける。おびただしい数の骸の上で、常に獰猛な笑みを浮かべながら戦い続ける。

 まさに、その姿は悪鬼の如し。

『!? 』

 おぞましい人の形をしたナニか。人外。鬼。その異名が付けられた理由がよく分かる。その姿を見てしまった兵士達は、皆、一様に腰を抜かしてしまった。その身が放つ異様な雰囲気に、完全に呑まれてしまったのだ。



 だが、この男は違った。あのおぞましい姿を見ても尚、勝蔵は何一つ動揺することはなかった。寧ろ、この機会を待っていたのだと言わんばかりに、力強い踏み込みで一気に間合いを詰める。

「ハァッ! 」

「……っ」

 間髪入れずに放たれた刺突が、直政の右耳を切り裂く。直後、腹の甲冑を貫くような衝撃に襲われた。

「がぁっ! 」

 吐瀉物が込み上げる。混乱。衝撃。されど、目まぐるしく変化していく景色の中で、直政は背筋を凍りつかせるような強烈な殺気を肌で感じ取った。

「――っ!! 」

 勝蔵が、身を低く構えて更なる追撃の一手を繰り出さんとしている。その姿を、確かにその瞳が捉えた。

(狙いは、心臓。一撃で、こちらの命を刈り取るつもりか)

 勝蔵の狙いを察した瞬間、直政の脳が急激に加速していく。迫り来る死を前に、先程の衝撃によって鈍っていた思考を一気に覚醒させたのだ。

 そして、人間とは窮地に立たされた時、今まで封じられていた限界を超えた力を発揮する生き物。

「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッッ!! 」

 絶叫。大きく振り上げられた右足は、凄まじい勢いで地面へと衝突。正面を抉るように舞い上がった土煙は、間合いを詰めようとしていた勝蔵との間に展開した。

「!? 」

 突如現れた煙幕に驚く勝蔵であったが、こちらへと飛んでくるナニかの気配を感じ取ると反射的に横へ逸れる。その直後、拳大の土礫が先程まで勝蔵がいた場所は通過した。

(むぅ……厄介な)

 勝蔵は、眉間に皺を寄せながら悪態をつきながらも、再度飛んできた土礫を必要最低限の動きで躱す。そして、槍を二度、三度と大振りに薙ぎ払うことで土煙を晴らすことに成功した。

 しかし、その時には既に直政は十分な距離を取ることに成功しており、勝蔵は僅かな苛立ちを覚えながらも、直政の意図に乗るように息を吐いて呼吸を整えるのであった。



(仕切り直し……か)

 再度、槍を構えて直政の出方を伺う勝蔵。滲み出す闘気。その構えからは、一分の隙も見当たらない。全てを見透かしているかのような神の如き眼差しが、直政の一挙一動へと向けられていた。

「……っ」

 汗ばむ額。研ぎ澄まされた感覚が、このまま闇雲に突っ込んでも先程と同じように対処されると告げている。あの瞳に貫かれただけで、己の芯を持たぬ者あればまともに動くことすら叶わない。それ程までの身が軋むような圧力を、勝蔵は発していた。

 頬を伝う鮮血。刻一刻と増し続ける圧力。ただ、そこにいるだけなのに、場を支配する圧倒的な存在感。

 もし、この場に立っているのが直政ではなく、ただの一般兵であれば、【もし、あとほんの少しでも回避が遅れていたら……】と、そんな最悪な想像が脳裏を過ぎり、腰が引けてしまっていただろう。

 だが、この男は違った。

「ハハハハハッ!! 最高だぁ、森 長可ぃいい!!! 」

 滾る。滾る。滾る。これ程までの強者と対峙出来た幸運を噛み締めながら、直政は膝を曲げて極端な前傾姿勢を取った。

 突撃。それも、全身全霊の力を込めた獣じみたソレ。避けられることなど、直政はハナから考えていない。勝蔵ならば、絶対に受け止めてくれる。そんなある種の信頼からこのような猪突猛進を選ばせた。

「絶対的な力は、ありとあらゆるものを蹂躙する。この世は、力こそが正義! 力こそが法! 力こそが真理! 力こそが美学! さぁさぁ、受けてみよ、森 長可! これが、我が全身全霊の一撃ぞぉ!!! 」

 大地を迸る紅蓮の闘気。いっそ清々しいまでの突撃宣言。それらを正面から受け止めた勝蔵は、僅かに口角を上げて呟いた。

「力……か。――よろしい。であれば、こちらも全身全霊をもって応えよう」

「!! 」

 膝を曲げ、槍を振りかざす。

 真っ向勝負。それが、勝蔵の出した答え。

「ハハッ! 良いなぁ、お前。……最高だ」

 獰猛な笑み。勝蔵の答えは、直政にとってこれ以上ない百点満点の答えだった。

『…………いざ、参るッ!! 』

 そして、どちらがと言うこともなく互いに踏み込み、交差した穂先が火花を上げた。



 

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