31話
天正九年 七月 小田原城
朝の騒動を無事に乗り切った俺は、氏政・氏直親子と対談していた。周りには数人の重臣達が控えているが、昨夜の宴が良い影響を与えたのか広間は和やかな雰囲気に包まれていた。
正直、松のカミングアウトで気を失い、目覚めた時は対談に遅れてしまう! っと、焦ってしまったが都合がいいことに昼過ぎ頃に予定が変更されていた。
おそらく、大人達は二日酔いだったのだろう。氏直を筆頭に数人が未だに顔が青い、氏直って二十手前だったから大学生くらいか。飲み会デビューで調子乗って悪酔いしてしまう、典型的な大学生の同じことしてんな。
その点、氏政は体調良さげなので、無理せず飲んでいたのだろう。流石である。
暫くにこやかに雑談をしていると、いい具合に場が温まってきた。そろそろ本題を切り出す頃合だろう。
「さくやはすばらしいもてなし、かたじけのぅございました。わたしはもちろん、かしんたちもすばらしいじかんをすごせました」
「なんのなんの、私共は当然のことをした迄でございます。三法師様方が楽しまれたのであれば、何よりも嬉しいことでございますよ。それに、家臣達の親睦を深める良い機会でございました」
「えぇ、まったくです! 」
「昨夜は久しぶりに飲み過ぎましたわい! 」
俺や氏直に賛同するように、重臣達も喜びの声をあげる。その言葉に嘘は感じられず、笑い声が広間に染み渡るようだった。
「おだけは、ほうじょうけをたかくひょうかしております。こたびも、わたしがほうじょうけへ、べんがくのためほうもんしたいといいましたら。そふはよしなにつたえてほしいと、もうしておりました」
「上様が……」
俺が本題を切り出した事を察したのだろう。先程まで話していた者達も一斉に口を閉じ、じっとこちらを見ている。その様子は、俺の一挙一動見逃さないと言わんばかりであり、それ程迄に織田家の動向に意識が向いているのだろう。
すると、あまり話しに入って来なかった氏政の方から、切り出してきた。
「我が北条家は昨年、織田家に臣従致しました。上様こそ、天下を統べるお方だと思ったからでございます。その折、新九郎と上様の御息女の婚姻を願い出たのですが、未だに話しは進んでおりませぬ」
氏政の言葉には、どこか焦りと苛立ちが垣間見えるようだった。焦りは織田家に勝てないことは分かっているから、敵対したら直ぐに滅ぼされると思っているのだろう。苛立ちは、北条家を蔑ろにされているのでは? そう思い始めたから……かも知れないな。一年近く放置されたのだ、気持ちは分かるな。
新五郎からも、そこら辺は聞いていた。何でも、氏政は氏直に家督を譲って隠居するが、これは在陣中の異例のものだったらしい。
つまり、氏直に家督を譲ることで、織田家の姫を貰い受けるに相応しい立場になったと爺さんにアピールしたんだろうな。
それ程迄に、織田家との関係を深めたいと願っている訳だ。だが、爺さんは一向に縁談を進めず一年が過ぎようとした時、突如として直孫の俺がやって来たわけだ。
北条家としては混乱しただろうが、これは織田家の意図を探すチャンスだと思い、歓迎したのだろうな。
「……そのけんにかんしては、そふよりふみをあずかっております」
「……お聞かせくださいませ」
俺はおもむろに懐へ手を伸ばし、文を取り出した。広間全体に緊張がはしり、唾を飲み込む音さえも耳に残る静けさだ。
そして、俺は一言一言丁寧に話し始めた。
「そふいわく、わたしとほうじょうけのひめとの、こんいんをのぞんでいるそうです。ぜひとも、せいしつにおむかえせよ……と」
俺の言葉に、北条家側は唖然としていた。そのくらい、予想外なことだったのだろう。
なにせ、嫁さん貰おうと準備していたら、逆に孫の嫁を寄越せと言われたのだ。えっ氏直は? っと、疑問に思うのは致し方ないことだろう。
その中でも、氏政は誰よりも早く正気に戻り大層嬉しそうに話しかけてきた。
「なるほど、織田家の家督は既に岐阜中将様に継がれていらっしゃる。先のことを考えた結果、御子息である三法師様との婚姻をと言うわけですな。……良かったでは無いか新九郎! 早速、三法師様に相応しい姫を選ばなくてはならないのぅ! 」
氏政がバシバシ氏直の肩を叩き、何とか正気に戻そうとする。まぁ経験の浅い氏直のキャパを大きく上回る話しだったのだろう。ごめんね、これからよろしくお願いしますお義父さん。
「……っ! 確かにその通りです。上様が北条家をここまで評価していただいたのですから、こちらも応えなくてはいけません」
「いやはや、素晴らしいご縁談ではありませんか! おめでとうございます殿っ! 」
『おめでとうございますっ! 』
氏直が正気に戻ったのを皮切りに、続々と重臣達が喜びの声をあげる。北条家の行く末を決める重大発表だったんだ、事情を知っている重臣達だからこそ喜びもひとしおだろう。
それに、今回の件で氏直はフリーになった。これで婚姻相手を選ぶことが出来るし、爺さんも俺と北条家の姫の婚姻と言う無理を言った手前、相手を無理強いすることも無いだろう。
いや、まぁ側室に……とかは言いそうだけど、正室は北条家に委ねるだろうな。なんなら、爺さんの紹介って形をとることも出来る。
どっちにしろ、今回の件は北条家にとってプラスになることだ。その分、北条家には頼らせてもらおう。期待してますよお義父さん!
「して、どなたを三法師様に嫁がせましょうか?
殿は未婚故、養女という形になりますが……」
重臣の一人が切り出すと、広間はピリッとし始めた。確かにそれは重要なことだ。順調にいけば、氏政の娘を……となるのが必然。
それは、みんな分かっていることだ。問題は側室だろう、爺さんも家臣達の娘を側室に迎えていいって書いてあったし、俺としても北条家と関係を深めるのはやぶさかでない。
「三法師様、私には娘がおりませぬ故、父の娘を養女にしようと思うのですが、よろしいでしょうか? 」
「もちろんです。して、こうほはおきまりでしょうか? 」
すると、少し考えた末に該当者を思いついたのだろう。小姓に何かを告げた後、話し始めた。
「藤という娘がおりまする。歳は九つですが、賢く美麗しい子です。将来は、さぞや美しい姫君となりましょう」
「なるほどっ! 藤姫様ですか! かの姫は、相模一の美姫と申しても過言ではありますまい。天下を統べるお方に嫁がれるに相応しいお方かと」
「左様左様、三法師様もお気に入られるでしょう。なんとも、羨ましいことでございます」
藤姫……か。周りの反応を見るに、余程将来有望なんだろうな。ちょっと期待しとこうかな。
それから十分程して、小姓が一人の女の子を連れてきた。
艶のある黒髪、どこか幼さを残しながらも大人の女性への成長を感じさせる顔だち、美麗しい着物や櫛が彼女の魅力を人一倍引き立てているようだ。まさに、絶世の美少女がそこにいた。
「失礼致します」
彼女はそう言うと、軽やかな足取りで氏直の横に座った。その様子に、重臣達も溜息をこぼす程で藤姫は日本男児の憧れそのものだろう。
確か『立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花』だったか、まさに彼女に相応しい言葉だろう。
そんな藤姫を氏直はにこやかに出迎えると、俺のことを紹介し始めた。
「藤、このお方は前右府様の直孫であり、岐阜中将様の御子息でいらっしゃる三法師様だ。天下を統べる織田家の方々が、是非とも藤と三法師様の婚姻を望んでおられる。勿論、受け入れてくれるな? 」
口調は優しいが、有無を言わせないと言わんばかりの圧を感じる。だが、藤姫はそんな圧も気にしない素振りで、華のような笑顔を向けてくれた。
「勿論でございます。三法師様、至らぬ身でございますが、どうぞよしなに御願い致します」
藤姫は美しい所作で、平伏する。俺はあまりの美しさに呆然としてしまった。
「……っ! さんぼうしともうします。ふじひめどの、これからすえながくよろしくおねがいいたします」
「ありがとうございます。そう言っていただけて、光栄ですわ」
満面の笑みでこちらを見ている藤姫は、この世の誰よりも美しく気高い。
周りで重臣達がお祝いの声を上げているのが、遠く聞こえてしまうほど、俺はずっと相応しい姫を見つめていた。
目が合った瞬間に、気持ちが通じ合ったかのようなこの感覚を、生涯忘れることは無いだろう。
俺はこの日、生涯を添い遂げる伴侶に出会った。
藤姫は、オリジナル設定です。
ご了承ください。