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57話

 天正十二年五月二十一日 長良川 中洲 織田信長


 

 ガタガタと、恐怖に震える男達。ほんの数年前ならば、気にも留めなかっただろう存在に対し、余はその心に寄り添うように膝を着いて視線を合わせた。

「余の名は、織田信長。前右府、織田信長である。……尾張国は、父から引き継ぎ、平定し、発展させてきた余の故郷。その民を、蔑ろにすることはない。生きとし生ける全ての者達が、余の愛すべき民なのだから」



 ――さぁ、余の民よ、答えるが良い。何があったのだ?



「…………ぁ」

 男の目が限界まで見開かれ、次第にその瞳から大粒の涙が流れ始めた。

「――っ、……ぅ、ぅう…………ぅぁ――」

 口元を押さえても、塞き止めていた感情と共に溢れ出す嗚咽。

 そして、彼の口から語られるのは開戦から中洲へ逃げ延びるまでの経緯。絶望に染まった顔。死んだ瞳。中洲へ逃げ延びた理由。

 それは、多くの悲劇を見てきた余であっても、思わず眉を顰めてしまう程の凄惨な虐殺の記憶であった。



 ***



 男達は、肩を震わせながら事の経緯を語った。

 ある日突然、尾張守の名の下に各地の村々にて徴兵が行われた。この時期は、田植えがある為に通常であれば戦は起こらない。いや、起こさないのが正しいか。米が無ければ戦は出来ぬのだから。

 しかし、徴兵の声がかかった時には、既に多くの農家が田植えを終えていた。彼らもまた、その一人。無論、手入れなどの仕事は常にあるが、それは女子供でも手伝える範囲。三男、四男坊の者達は暇を持て余していたそうだ。

 それ故に、断る理由も無かったのだろう。 半ば強制的に連れて来られた者もいるようだが、徴兵に応じた若者の多くが自ら志願した者達。その理由は、なんとも言い難いモノであった。

「あの日、尾張守さまの遣いを名乗ったお武家さまは、声高々に私共へ発破をかけました。……織田家が天下を統一すれば、もう大きな戦は起こらない。このまま、一生搾取され続けるままで良いのか? 筑前守さまのような立身出世をしたいのであれば、この戦いで武功を挙げて成り上がってみせよと」

「それが、徴兵に応じた理由だと? 」

「……はい。このまま、兄貴の奴隷として田畑を耕すくらいなら、最後に足掻いてみたかったのです。そこに、ほんの僅かでも可能性があるのであれば、自分にだってソレを掴み取れるのではないか……と」

 おずおずと語る男。その顔をよくよく見てみれば、未だ二十にも満たない十代後半の青年のような幼さを僅かに感じ取られた。死の恐怖によって老け込んでいたのだろうか?

 確認してみれば、今年で十八歳だと言う。……確かに、精神的に未熟な年頃の若者であれば、一見無謀な挑戦にも果敢に手を伸ばしてしまうもの……か。

 それを悪いとは言わん。その気概が長所となり、一気に場を好転させることもあるからだ。道を切り開く原動力。若者にしか持ち得ない勢い。それ等は、総じて勇猛果敢な心となる。



 ――だが、これは違う。



「……なんと浅はかな」

 一刀両断。その甘い考えを、一切の躊躇なく切り捨てた。冷たい声音。余の視線を受け、青年は怯えるように身を縮める。

「それは、勇敢でも勇猛でもない。ただの蛮勇だ。身の程を弁えず、目標も定めず、覚悟も決めておらぬから、簡単に他者の言葉に踊らされるのだ。兄貴の奴隷? 僅かな可能性だと? ……ハッ、それもここまで追い詰められたが故に生まれた言葉であろう。そこに、貴様の意思は何一つ感じられぬわ」

「……っ」

「野心を持つなとは言わん。だが、分不相応な願いは己のみならず周りを巻き込む破滅を齎す。その覚悟すら備わっていないのであれば、結果など分かりきっておろう」

 声に怒気が混ざる。

「……藤吉郎は、最初は何も持っていなかった。余が召し抱えてから、多くのモノを手に入れたのだ。力も、財も、友も、家族も。初めから持っていたモノを失うことよりも、ようやく手にしたモノを失う方が何倍も辛い。藤吉郎は、それを分かっているが故に、ありとあらゆる手段を尽くす。全身全霊を注ぐ。藤吉郎が一国一城の主にまで成り上がった秘訣は、才覚故でも人徳故でもない。覚悟の差だ。……あまり、無礼るなよ。小僧」

「――っ!! 」

 刹那、肌が灼けるような覇気が溢れ出す。瞬く間に男の瞳から光が失われ、口を半開きにさせながら固まった。

 心の折れる音。これ以上やれば、このまま廃人になってしまいかねないギリギリまで圧力をかけ続ける。魂に刻み込むのだ。もう二度と、このような愚行に走らぬように。



 だが、怒りの対象は目の前の男ではない。彼らを唆し、戦場へと誘導した者。この絵を描いた痴れ者だ。

(茶筅……では無い……な。寧ろ、茶筅であればもっとマシな戦略を練られる。こんな、兵を使い潰すことだけにしかならん戦略など取らぬ。…………であれば、やはり家康か)

 唇を噛み締める。

 狙いが分からぬ。こんなことをして、家康自身に一体なんの利益が生まれるというのか。民を虐殺することは、国を荒らすのと同義であるというのに。

(これでは、まるで虐殺こそが目的のような……)

 遭遇直後の彼らの姿と態度から、先程から最悪な想像ばかり頭に過ぎる。

 当たって欲しくない。家康が、徳川家に利益をもたらさぬ行動を取る筈がない。あの男が、私情に流される筈がないのだから。



「……ふぅ」

「………………ハッ! 」

 深く息を吐き、覇気を抑える。すると、放心状態だった男の瞳に光が戻り、崩れ落ちるように地面に伏しながら荒い呼吸を繰り返し始めた。

 流石にやり過ぎたか。そう思い、手持ちの水差しを渡すと、男は奪い取るように口元へ運び、そのままひと息に飲み干していった。

 些か無礼とも言える態度であったが、ここまで追い詰めたのはこちらだ。咎めるつもりはない。

 暫くすると、男は次第に落ち着きを取り戻していった。その様子に、もう大丈夫だと判断する。

(教育は、ここまでで良いだろう。そろそろ、本題に入らせてもらう。時間も無いしな)

「面をあげよ」

「は、はぃ……」

 顔を上げさせて視線を合わせる。

「今一度、問う。貴様は、織田家と敵対する意思など毛頭なく、自軍が誰を攻めるのか、何処を目指すのか、何故戦うのかも知らなかった。それで、間違っておらぬか? 」

「は、はい。自分達は、ただお武家さまの命令に従っていただけで……」

「では、何故こんな場所にいる。それも、貴様だけではなく、こんなにも多くの者達が」

「そ、それは……」

 躊躇うように視線を泳がせる男。しかし、それも直ぐに収まり、意を決したかのようにこちらへ顔を向けた。

「近江守さまの……、三法師さまのお陰でございます」

「三法師の……」

「はい。戦が始まる直前、最前線へと立たれた三法師さまが仰られました。尾張守さまの言い分は偽りであり、この戦いに大義は無いこと。私達は、騙されていたこと。一つ一つ、丁寧に語りかけていただきました。……そして、三法師さまは動揺する私達へ訴えたのです。愛する民をこの手で殺したくはない。今、武器を置いて投降するのであれば罪には問わない。――戦意のない者は、中洲へ逃げよ……と」

「あの子が、そんなことを……」

 一言一句、噛み締めるように告げるその顔は、先程とは別人のように生き生きとしていた。

 ……あぁ、きっとその瞬間に彼らは救われたのだろう。嘘偽りのない真心が、彼らの心を突き動かした。心を解かした。

 それは、正しく人を導く王の資質。人の心に寄り添える者の証。父と死別し、祖父にも頼れず、突如として強大な権力を得ても尚、その純白の心は一切穢れることは無かった。

 それが、何よりも嬉しく思った。奇妙の意志は、死して尚、あの子へと受け継がれているのだと分かったから。ただそれだけで、心が満たされるようであった。





 しかし、それは瞬く間に塗り替えられる。

 あぁ、そうだ。この時、余は気付くべきだった。三法師によって心を救われた筈の彼らが、出会った当初、何故あんなにも絶望した表情を浮かべていたのかを。



「その直後、激情した尾張守さまの号令により戦が始まりました。私は、そんな急激な状況の変化に一瞬身体を強ばらせてしまいましたが、三法師さまのお言葉に縋るように中洲へと走り出しました。それは、何も私だけではございません。前線にいた多くの者達が、我先にと武器を捨てて駆け出しました。……その数は、およそ千人程」

「……千人? 」

 その数に首を傾げる。学を身に付けておらぬ者が、瞬時にその場にいる者達の正確な数を割り出せるとは思えぬが、それにしてもこの中洲にいる者達の数とかけ離れている。

 再度、辺りを見渡しておおよその人数を数える。……うむ。やはり、千には程遠い。これでは、半分にも満たぬではないか。

 そんな疑念は、直ぐに取り払われる。

 最悪の形で。

「数が合わないのも無理はありません。多くの者達は、中洲へ辿り着くことは出来なかったのですから。……背後から、矢を打たれることによって」

『――っ!? 』

 息を呑む。

 それは、あまりにも非道な行いであった。




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