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52話

 

【我に策あり】

 そのたった一言が、この場にいる全ての者達の心を掴んだ。偽りとは思えぬ一言一句に込められた力強さが、この絶望的な状況を覆せるのではないかと奮い立たせる。

 言霊。

 それは、原初の刻より人間に許された奇跡の名称。魂へ直接響かせる力。真摯な言葉は、折れかけていた心へ、もう一度立ち上がる力を与える。

『未だ、終わっていない――っ!! 』

 暗闇の中に一筋の光明が差す。

 それは、世界全体を覆う闇からすれば、ほんの一欠片に過ぎないかもしれない。だが、その暖かな光に導かれて多くの者達が集まれば、それは闇夜を切り裂く光の柱へ至るのだ。



 ***



 天正十二年五月二十日 岐阜 織田信長



 昌幸は、バシっと膝を強く叩いて身を乗り出す。その頬は、赤く染め上がっており、右腕は溢れる熱を抑えるように震えていた。

「これで全ての条件が整いました。この好機、逃す訳にはいきませぬぞ! さぁさぁ、この絶望的な状況をひっくり返しましょうか! 上様っ!! 」

「――っ、……うむっ!! 」

 昌幸の言葉に、余は力強く頷いて応える。二人を中心に生まれた熱は、瞬く間に他の者達へも伝わっていき、広間に集う皆の士気が青天井に高まっていく。

(――熱いっ!! )

 あぁ、こんなにも血が滾るのは、一体いつぶりだろうか。

 道三を救いに、僅かな手勢を率いて戦場を目指した時か? 圧倒的な兵力差を覆し、海道一の弓取りと謳われた今川義元を討ち取った時か? 戦国最強と畏れられた武田騎馬隊を、三千挺の鉄砲と大規模な馬防柵を用意して封殺してみせた時か? 本願寺の僧兵共を相手に、宿老を率いながら先陣を切った時か?

 あぁ、あぁ、どれも楽な戦いではなかった。常に、死と隣り合わせだった。誰もが、己の信念を掲げて戦場を駆けていた。己の立場をわきまえるようになってからは最前線に立つことも少なくなったが、あの胸の高鳴る高揚感は未だに魂に刻まれておる。

「……ふっ」

 思わず零れた笑み。未だ、何も成し得ていないにも関わらず、絶対に上手くいくと確信していた。その未来が見えていた。例え、どんなに無謀な策だとしても……だ!

「聞こう。そなたの策を」

 立ち上がり、昌幸との距離を詰める。すると、後ろに控えていた信幸が、すかさず懐から地図を取り出して余の前に広げる。気が付けば、多くの者達が余を取り囲むように移動しており、誰もがこれから語られる策を聞き逃さないように耳をすましていた。



 数拍後、昌幸が閉ざしていた瞼を開く。

「……敵軍は、明日の早朝にでも岐阜城攻略を開始するでしょう。険しく、細い山道。縦長に伸びた隊列。最後尾には、二つの大将首が」

 地図上に、二つの丸が描かれる。皆の視線が集中する中、昌幸は筆を安土へ移動させる。

「もし、三法師様が即座に動かれていた場合。その進路は、最短距離を進むことになりましょう。先ず、舟で湖を渡り長浜湊へ。その後、隊列を整えて大垣城へ進軍を開始。強行軍で推し進めれば、今日中には大垣城へ到着出来ることでしょう」

「……千を超える兵士を運ぶには、大規模な船団が必要だろう。兵糧もいる。奴らの謀反を知り、その日の内に動き出せるものか? 」

「問題ございませぬ。この二年、三法師様が推し進めていた街道整備によって、安土を中心に近隣諸国との交易が活発になっております。それ故に、織田家所有の舟が各湊に多数停泊しており、倉には多くの兵糧が備蓄されておりまする。何一つ、問題はないかと」

「……で、あるか」

 一人、納得する。奴らが利用した手をこちらも利用するのは、実に理にかなっておる。

「そして、大垣城に到着した三法師様率いる軍勢は、そのまま大垣城にて一泊されるでしょう。安土城からでは、どんなに上手く立ち回っても到着した頃には陽が落ちているでしょうから。一晩休んで体力を回復させ、夜明けと共に岐阜城を目指すのが最上」

 筆が走る。

 安土城・長浜湊・大垣城を経由した一本の線が、その勢いのままに岐阜城へと辿り着く。

「儂の計算が正しければ……三法師様は間に合います。それも、最高の場面で」

「……っ、背後か! 」

「左様にございます。おそらく、斎藤殿は籠城する前に城下町へ細工を施している筈。彼の目的は時間稼ぎですからな。易々と城を落とされぬ為にも、城下町へ火を放ってしまうのが一番手っ取り早い。物理的にも壁になり、いつ壊れるやも分からぬ家屋の存在は敵兵に対して精神的な重りになりましょう」

「……成程な。慎重な家康のことだ、周囲の安全が確保されるまでは城攻めは行わぬ。斥候が戻るまで、兵士達に飯を食べさせて英気を養わせるくらいの指示は出すだろう。……その全てが終わった頃が、ちょうど三法師達が岐阜城へ到着する時間帯と重なるのか」

「えぇ、大垣城から岐阜城までの距離と進軍速度を計算すれば、ちょうど岐阜城攻略へ家康が動き出した瞬間にかち合います」

 そして、黒い線が地図上に印されていた丸にぶつかった。

「結果として、家康達の背後を突くように三法師様率いる軍勢が現れることになりましょう。彼の御方が姿を表せば、岐阜城にて機を伺っていた斎藤殿達も直ぐに動き出す筈。……そうなれば、両軍がぶつかり合うのは必定! 」

『――っ!! 』

 昌幸の言葉に、皆の戦意が高まっていく。想像とは思えぬ具体的な言葉の数々に、脳裏にはハッキリとその光景が広がっていた。

 まるで、未来を見通しているかのような感覚に陥る。人知を超えた才は、時として他者にすら影響を及ぼす。

 神算鬼謀。

 真田昌幸の力の本質は、その凄まじい演算能力から弾き出した答えを第三者へ共有出来るモノであった。伝わってくるのだ。昌幸が、何を言いたいのかが。例え、読み手がどんな凡人だったとしても理解出来る。天才の思考が。



 それ故に、察する。

 帰蝶の推測は間違っていなかった……と。

「この場に集う二百人の兵士達。それを、最も効果的に使う手段は一つのみ。……長良川を渡って城下町のすぐ側にある中洲へ上陸し、敵軍の横っ腹を突く! これしかありますまい」

『!? 』

「む、無茶です! 長良川は、先日の大雨で大荒れになっているのですぞ! 」

「地元の漁師ですら舟を出せないのです! そんな中、ここから岐阜城付近まで川を下るなど自殺行為でございます!! 」

「犬死にするおつもりか!? 」

 混乱が広がっていく。

「……私も、その提案には同意しかねる。中洲への分岐路は非常に狭く、通常の川の勢いでも事故が多発する危険区域。それも、熟練の漁師達が……ですぞ。例え、川を下ることに成功したとしても、この大荒れで更に勢いが増した川の流れを完璧に読み取るなど不可能。漁師達は、絶対に舟の操縦を断るでしょう」

「……だが、やらねばならぬ。この手段以外に、場の流れをこちらへ引き寄せる奇策はない。舟も、漁師ではなく我らが操縦するのだ。舟の数は限られておるからな」

「……っ!? ば、馬鹿な! 話にならん! ただでさえ、熟練の漁師ですら手を焼く荒川なのですぞ! それを、素人の手で乗り越えようなど不可能だ! 」

「ならば、他に何がある! ただの別機動隊では駄目なのだ! 家康の目を欺き、二百程度の兵士達で万を超える大軍に打撃を与えねばならんのだ! それを成すには、この場所に出る他ないだろう!! 」

「しかし、それは――!! 」

「――!! 」

「――っ!? 」

 誰もが、いきり立って昌幸の提案を否定する。無理無茶無謀。そんな言葉すら生ぬるい、十中八九生きては帰れぬ鬼策。そう、彼の大英雄 源義経が崖を下って平家の背後を突いたような、常人では決して受け入れられぬ類いの策だ。



 ――故に、その策を取る。



「喝ッッッッ!!! 」

『――っ』

 皆、ピタリと身体を強ばらせて押し黙る。

「明日、川の渡って岐阜城付近の中洲を目指す。最早、それしか勝つ為の道はない。無理無茶無謀、大いに結構。既に、こちらは敵の罠に嵌められて窮地に追い込まれておるのだ! それを覆さんとするのであれば、自ら死地に飛び込まずして何かを得られるものかっ!! 」

『――っ!!』

 一同、ハッと顔を見合わせる。皆が皆、己を恥じるように顔を伏せた。

(これで、皆の意思は統一される。不満や不安は、全て吐き出せただろうからな。皆が一丸となって向かい合わねば、到底家康の兵士達を打ち破るなど不可能だ)

 産毛が逆立つ。

 前後を挟まれた逆賊。右手は山、左手は川。逃げ場のない彼らが急死を脱するには、自らの手で包囲網を破らねばならない。

 そして、奴らにはそれが出来るだけの戦力があり、都合良く目当ての大将首が硬い甲羅から首を出していた。そうなれば、奴はどんな手段を使ってでも三法師の首を狙っただろう。

 そんな有り得ただろう未来が、余の瞳にハッキリと映っていた。

 もし、記憶が戻っていなかったら、余は生涯この時のことを後悔しただろう。……本当に、間一髪のところであった。



 ***



 未だ、油断は出来ぬ。

 家康の首を刎ねる、その時まで。



 その心構えが、この先に待ち受ける結末の分岐点となる事を、この時の余は未だ知らなかった。





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― 新着の感想 ―
[良い点] 上様の覇気を感じること。 昌幸の鬼謀。 [一言] 川越があの名シーンに繋がるわけですか。 上様は御年50過ぎのはずですが、覇気が衰えてないどころか、増してる感じもします。
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