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38話

 空間を軋ませるおぞましい殺意。身の毛がよだつ憎悪に満ちた瞳。満身創痍。されど、覚悟なき者は彼女の前に立つ事すら許されない。

 そんな中、白百合隊を率いる者として、今は滅びた里を治めていた長の娘として、松は紫陽花の前に立った。

「紫陽花。貴女が、私達の里を裏切った理由を教えて」

「……妹を守る為よ。貴女は、知っている筈でしょう? 長の娘である貴女ならば。あの、生きる価値のない外道の血を引く貴女ならねっ! 」

「……っ」

 歯を食いしばる音。

 松にとって、最悪の想定が当たってしまった。紫陽花の口から発せられたソレは、里の上層部が秘匿してきた禁忌。悪行。汚点。罪。

【生きる価値のない外道】

 その言葉を聞いた時、松は何故紫陽花が里を裏切ったのかを悟った。それと同時に、この身体に流れる血に刻まれた罪の重さも。



 ***



 紫陽花の言葉に、竹達は目を見開きながら、再度脳裏の中で先程の言葉を繰り返した。

『里で生まれた貴女には』

『生きる価値のない外道』

 優秀な彼女達には、たったそれだけでも紫陽花が言わんとする事を理解出来てしまった。

「紫陽花。貴女、外から来た……の? 」

 梅が、そう恐る恐る尋ねると、紫陽花から立ち昇る憎悪が一瞬だけ高まり、殺意に満ちた瞳が恐怖に怯える梅の姿を捉えた。

「……えぇ、そうよ。十年以上前、私がまだ五つの頃、冬に入る直前、私達姉妹は貴女達の暮らす里へ売り飛ばされた。……えぇ、えぇ。よく、覚えているわ。縄で縛られた。蹴られた。何度も何度も殴られた。餓えて死ぬか、殴り殺されるか。二つに一つかと思っていた時、私達は二束三文で売られたのよ。実の両親に。……そして、私達を買ったのが里の長達よ」

『……っ』

 息を呑む。だが、ソレは紫陽花から語られた話にショックを受けたからでは無い。この乱世において、人身売買など当たり前のように行われている。宗教ぐるみの組織的なモノから、野盗が行う突発的なモノまで多種多様にあるのだ。

 百年以上続く戦。戦で働き手を取られ、最悪の場合二度と戻ってこない。荒れた田畑。無論、品種改良などしていないから生産性は安定しない。異常気象は、そのまま飢饉となって多くの命を奪うのだ。

 貧しい者にとって、間引きや子殺しは今を生きる為に取る当たり前の選択肢の一つだった。

 それ故に、残酷ではあるが紫陽花達姉妹が辿った人生はありふれた悲劇と言えよう。多くの悲劇を見てきた彼女達にとって、その程度の悲劇では動揺などする筈が無い。憐れとは思うかもしれないが。



 ――だが、その一言一句に刻まれた熱量が場を支配した。



(……う、動けないっ)

 竹は、反射的に鞘に手をかけるも、その指先はカタカタと小刻みに震えてしまっていた。紫陽花の心に巣食う闇が、彼女の想定を遥かに超えていたのだ。

「……何故、竹様や梅様まで驚いているのですかね? 貴女方の家は、修練所の教官と経理部門を代々任されている、長の一族に並ぶ御三家の一角でしょうに。……あぁ、なるほど。教えられていないのですね? 未だ、修練場を卒業していなかったが故に」

「……えぇ、その通りよ。彼女達は、未だ何も知らされていない。この中で、里の真実を知っているのは長の娘である私だけ。貴女以外にも、同様な経緯で里の一員になった者は多いわ。……彼岸花も、その一人よ」

『……っ!? 』

 絞り出すように語る松の背に、竹達の戸惑うような視線が集中する。松は、その視線に答えるように竹達の方へ振り向いて薄く笑った。

「当然よ。里の人口は、凡そ二百人。その中で、女の数は百七十を超えていたわ。歩き巫女の里。女系の血筋と言っても限度はある。……殿へこの事を打ち明けた時、きっと外の血を入れる為だろうと言っていたわ。血の近い者と子を作ってしまうと命に関わるからだ……と」

「……うそ」

「……事実よ。男は、優秀な者以外は殺されたり、商人に売られて金や女子供と物々交換させられたと聞くわ。生かされた者も種馬として残されただけ。折を見て、任務中に無くなったと里の皆には知らせていたわ。……これが、私達の里が外へ隠し続けてきた罪の全貌よ」

『……』

 松が、そう締めくくると、一同眉間に皺を寄せながら口を閉ざす。何と言えば良いのか。もどかしい思いが胸の内を駆け回る。ただ、その中でも嫌悪感はより強く感じていた。

 そんな中、椿だけは一人冷静に桔梗の亡き弟の姿を思い浮かべていた。

(確かに、あの里で異性に遭遇する機会は滅多に訪れなかった。あったとしても、桔梗の弟のような幼子だけ……)

 松の言葉が、実体験により裏付けられていく。いや、この場面で嘘をつく道理も無いのだが、椿にしてみればより具体的となって理解させられたのだ。

 里の中でも、紫陽花と同様に異端の分類に属していた彼女故に、竹達よりもいち早く記憶の中の違和感に気付けたのだろう。



 そして、彼女もまた動き出す。

「あの里では、年間十五名の幼子がとある一家に預けられ、見込み二名のみが里の一員に加わる事を認められるわ。歳なんて関係ない。三つにも満たない幼子が、私達に見せつけるように首を絞められ殺される。食事も水もろくに与えられず、飢餓に苦しむ極限状態の最中で鍛錬に励む日々」

 紫陽花は、痛めた脇腹を押さえながら、一歩、また一歩と松へ近付いて行く。

(私は、あの日誓ったのよ……っ)

 鋭い眼光。脳裏を駆け巡るのは、地獄のような日常を生き抜いてきた幼き頃の光景。当時、五歳だった紫陽花は、幼い妹を護る為に血反吐を吐く思いで鍛錬に励んだ。

 蓮。

 紫陽花にとって、この世でたった一人の家族。この子だけは、守り通さなくてはならない。例え、その過程でこの手を汚す事になろうとも構わなかった。

 もう、この手は既に穢れているのだから。

 あの日、最後の枠を巡って、たった一人の友をこの手で殺した瞬間から――

「……そんな事が、もう何十年にも渡って繰り返してきたのよ。不思議に思わなかった? 訓練所を卒業出来る者の少なさに、同世代の者達の少なさに、定期的に顔ぶれが変わっていく事に、もう何十年も里の人口が変わっていない事実に」

 言霊。紫陽花が言葉を紡ぐ毎に、怒りが、憎悪が増していく。並大抵の胆力では、彼女を直視する事すら叶わない。

「私達は、道具以下の虫けらよ。日々の苦行に耐えかねて死ぬか、使い捨ての駒として扱われて死ぬかの二択。詰んでいるのよ。あの日、この日ノ本の地に生まれ落ちたその瞬間から! ……あの子を、あんな地獄へ落とす訳にはいかない。このまま里に居れば、近い将来必ず命を落とす。そんな結末、私は絶対に認められないのよっ!! 」

 故に、梅は反射的に答えてしまった。それが、彼女の逆鱗に触れるとも知らずに。

「しゅ、主君の命令に従うのは当然でしょう? 私達は、その為にあるのだから。身分の低い者が、高貴な御方の指示に従うのは当然の事。……それに、例え、任務中に命を落としても、それは――」

 言葉が詰まる。肺の中に残っていた空気が、閉じた唇の僅かな隙間から溢れた。黒い刃の短刀が、梅の首筋に添えられる。いや、違う。これは、幻だ。あまりにも強過ぎる殺意が、梅に幻覚を見せているのだ。

 誰も動けない。

「えぇ、えぇ。そうでしょうね。そうなんでしょうね。貴女達にとって、ソレは疑問に思うまでもない常識なのでしょうね。……でも、私は違う。おかしいと、貴女達は間違っていると叫ぶわ。私は、間違っていない。狂っているのは、貴女達の方よ! 」

 如何なる理由があろうとも、自分達をこんな地獄へ叩き落とした両親を、自らの快感を得る為だけに意味もなく幼子を絞め殺す仮初の親を、その現状を良しとする長を、歪んだ常識に支配された里を許す事は出来ない。

「このまま里に居れば、愛する妹も自分自身ですら理不尽に命を奪われてしまう。かといって、里から逃げ出す事も出来ない。いつか、必ず追っ手に捕まって殺されるでしょうし、どう転んでもその先に幸せな未来はない。ならば、いっその事――」



 ――全て、焼き尽くしてしまえば良い。



 笑うように、怨むように、嘆くように、紫陽花はそう言い捨てた。


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