37話
裏切り者 紫陽花の前に降り立ったのは、白百合隊の中でも最上位に位置する松・梅・椿の三人。これで、三日月の三人全てが揃った。身内の裏切りは、私達が責任をもって裁く。そんな意気込みが闘気となって現れる。
「……松、……梅、……椿? 」
「竹、少し時間を稼ぐわ。息を整えて」
「……紫陽花。よくも、私の父を! 母を! 私は、貴女を絶対に許さないわ! 絶対に! 」
憎悪に燃える梅。今にも斬りかかりそうな彼女だったが、それを制するように椿が口を開いた。
「ふふふっ。遂に、貴女と決着を付ける日が来ましたね、紫陽花。貴女が、私達に本来の力を隠していた事は察していましたとも。あの日、貴女に模擬戦で一本を取られた時からね! 」
じゃあ、なんで言わなかったんだよ。そんなツッコミが脳裏に浮かぶも、今は真面目な話だからとグッと堪える竹。
一人場違い感増し増しではあるが、そんな椿の存在が張り詰めた空気を若干緩和させる。そのゆとりが、怒りに染まった彼女達に紫陽花を殺すだけが選択肢では無いと思い出させる。
……うむ。それが狙いか。いや、きっとそうに違いない。椿は、しょうもない嘘はつくし、三法師ガチ勢のド変態だが、空気は読めるし仕事も出来る。所謂、やればできる子だ。
そう、信じよう。
椿によって、やや出鼻を挫かれた松だったが、一度咳払いをする事で場の空気を変える。
「んん! ……白百合隊の中に裏切り者がいる。それを、殿から伝えられた時、私は真っ先に新たに白百合隊に加わった者達を疑いました」
『……』
松は、胸を掻き抱きながらもハッキリとそう告げた。長として、あってはならぬ行為だと分かっていながらも同胞を疑った……と。その重みを知る竹達は、やるせない思いを感じながらも手を握り締めて耐えた。
松は、一度深く息を吐いてから、再度紫陽花へ視線を向ける。
「命の恩人である殿の力になりたい。その為には、勢力の拡大と戦力の上昇が必要不可欠。その際、殿への忠誠心を植え付ける為に、日ノ本中を駆け回って孤児を多く引き取りました。……おかげで、私達は計画通り多くの同胞を得る事が出来ました。しかし、それは同時に敵の間者を引き入れてしまう可能性のある危険な行為。事実、隠れ里を作る際に大人達の力も借りましたしね。……だから、私は新参者達へ疑いの目を向けたのです。貴女達家族を疑うよりも、その方がずっと楽だと思ったから。私は、貴女を信じたかった……っ」
「……っ」
悲痛な表情を浮かべる松の目尻から、一筋の涙が頬を伝う。直後、それを聞いていた紫陽花の雰囲気が一変した。その変化に、真っ先に気付いたのは椿であった。
(……ん? 今、何かに反応したわね。これは、怒り……かしら? いや、でも僅かに悔やんでいる気配も感じられる。……だとしたら、紫陽花は何に反応したの? )
紫陽花の挙動を注視しながらも、先程感じた違和感の正体を考える椿。きっと、それこそが椿が白百合隊を裏切った理由だと確信していたから。その先に、彼女を徳川の魔の手から連れ戻せる糸口があると願って。
……だが、その願いが叶う事はもうない。
「家族? 信じたかった? ……よりにもよって、あの長の娘であるお前がそれを言うか!! 」
『――っ!? 』
紫陽花を中心に、紅蓮に燃ゆる闘気が吹き荒れる。それは、さながら引力の如し。松達は、その圧力に目を見開きながらも咄嗟に武器を構えた。交渉決裂……いや、即時開戦と言うべきか。松は、期せずして紫陽花の逆鱗に触れてしまったのだ。
縮地。音も無く松の懐へ踏み込むと、紫陽花は鞘から小刀を抜いて横一閃に振り抜く。
「――フッ! 」
「ぐっ……ぅああっ!! 」
突然の攻撃に何とか初撃は防ぐも、二連、三連と繋がる回転斬りに、松も堪らずたたらを踏む。そのコンマ数秒、松の重心がズレた瞬間を見逃さず、紫陽花は更に一歩踏み込んで鋭い突きを放った。
刃が身体を貫く刹那、何とか鞘で刃を受け止めるも、その衝撃までは散らす事は出来ず、松は地面を数回跳ねながら吹き飛ばされてしまった。
そこを追撃せんとする紫陽花だったが、その歩みを塞ぐように二つの影が現れる。
「……行かせないっ」
「そう、簡単にやらせるものですか! 」
「……」
これ以上好き勝手にはやらせないと、静かな闘志を瞳に宿す竹と梅。そんな二人を後目に、紫陽花は無言で武器を構えた……が、その瞬間を狙い澄ましたかのように、紫陽花の死角より謎の一撃が右手を襲う。
鈍痛。僅かな痺れ。紫陽花は、苛立ちを隠そうともせずに攻撃を放った者を睨み付ける。
「――っ!? 椿、貴女っ!! 」
「ふふんっ、油断大敵ってね? 」
「……チッ! 」
紫陽花の右手から小刀が零れ落ちる。赤く腫れた手の甲。地面へと落下していく小石。そう、それこそが椿が放った謎の一撃の正体。右手を腰に構え、親指で弾くように小石を撃ち出したのだ。
されど、ただの小石と侮るなかれ。中国にも、羅漢銭を使った技術が確立されている。暗器の一種として。
確かに、言ってしまえばただのコイン投げ。しかし、極めた達人の一撃は骨をも砕く。椿の技術は、未だ達人の領域には達していないが、相手の利き手を狙った武装解除程度ならば百発百中で成し遂げられる。
紫陽花は、舌打ちをしながら宙を舞う小刀へ左手を伸ばすも、そうはさせんと竹と梅が動いた。
「……合わせて! 」
「えぇ! 任せなさい! 」
「――フッ!! 」
竹が、手刀で紫陽花の左手を振り払うと、流れるように右足で紫陽花の左脇腹を蹴り飛ばす。
「……っ」
鈍い痛みに顔を歪める紫陽花。しかし、未だ彼女達の攻撃は終わっていない。紫陽花が飛ばされた所には、既に右手を構えた梅の姿があった。左手を前に突き出し、照準を合わせ、深く息を吐く。そして、ソレと紫陽花の身体が重なった瞬間、身体の芯を捉える正拳突きが放たれた。
「はあああああっ!!! 」
「――っ!? 」
声にならない悲鳴。衝撃波と共に吹き飛ばされる紫陽花。手応え……有り。息を整えながら残心をとる梅の視界には、何度も地面を跳ねながら転げ回り、遂には巨木の幹に衝突して蹲る紫陽花の姿があった。
ドシンッと、深く重い音が響き渡り、鳥が慌ただしく飛び立つ音が聞こえる。やはり、多勢に無勢。幾ら、紫陽花が己の実力を隠していようとも、自身と同格以上の強者を四人同時に相手取ればこうなるのは必然だ。
決着か。誰もがそう思ったその時、紫陽花が右手を震えながら伸ばして幹を掴み、もう一度立ち上がらんと足掻き始めた。
「――カハッ! 」
吐血。僅かな血反吐が大地を穢す。内臓をやられたか。だが、それでも紫陽花の心は未だ折れていない。
「ヒュー、ヒュー、ヒュー」
息が漏れる。伏せた頭。異様な雰囲気が溢れる。
「負ける……ものか! 私は、あの子の為に……っ」
『……っ』
垂れた前髪から覗く瞳。そこに宿るおぞましい殺意に、松達は思わず息を呑んだ。
そこにあったのは、煮え滾るような憎悪の化身。何を、そこまで怨んでいるのか。何故、そこまで行き着いてしまったのか。普通、怒りは持続しない。にも関わらず、紫陽花の瞳には、怒りが、憎しみが、怨みが渦巻いている。ソレ以外、何一つ見えない程に。
――危険だ。
それは、生物としての本能か。
即座に、そう判断した竹と梅がトドメを刺さんと走り出そうとするも、それよりも一瞬早く松の声が二人を制した。
「待ちなさい! 」
『――っ、しかし! 』
「良いから待つのです! 二人は下がりなさい。私が……行きます。長として、紫陽花の言葉を受け止めなくてはなりません! 」
『……御意』
右脇腹を押さえながらも、強い意思が込められた長の言葉に二人も渋々ながら従って道を譲る。しかし、立ち会う事は譲る気が無いのか、二人は自然と松の背を追った。いつの間にか、椿もその列に加わっている。松も、彼女達にも聞く権利はあると何も言わなかった。
そして、遂に紫陽花の下へ辿り着く。
既に、彼女は完全に立ち上がっており、その両手に武器は持っておらずとも、彼女の身体から立ち昇る黒き憎悪には一切の陰りが見えない。
その様子に、竹達は油断なく鞘に手をかけるも、松は無手のまま紫陽花の眼前にて立ち止まる。視線が交わる。しかし、紫陽花の瞳はやや虚ろげで、まるで松を介して誰かを見ているようで……。
(やはり、紫陽花が憎んでいるのは……)
その姿に、松は己の仮説が正しいのだと確信を得た。そして、静かに口を開く。
「紫陽花。貴女が、私達の里を裏切った理由を教えて」
「……妹を守る為よ。狂人共の魔の手からあの子を救うには、もうこうするしか無かった」
「……狂人? 」
「えぇ、そうですよ。竹様。あの里には、狂人しかいなかった。人を人とは思わぬ狂人共。……松様ならば、知っている筈でしょう? 長の娘ですもの。聞かされている筈ですよ。あの、生きる価値の無い外道の血を引く松様ならねっ! 」
『……っ!? 』
紫陽花から語られるソレは、白百合隊の故郷 歩き巫女の里に蠢く闇であった。