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28話

 それは、まさに日輪のような存在でした。

 今でも、あの日見た光景を鮮明に覚えている。この荒れ果てた日ノ本を照らさんとする英雄の輝きを。

「ほう、貴様が黒田官兵衛か」

「――っ」

 魂を震わす声音。ソレに触れただけで、自然と頭を垂らしてしまう凄まじい覇気。否が応でも視線を引き寄せられる圧倒的な存在感。


 私は、あの日運命に出会った。



 ***



 母が死んでから十六年の歳月が流れた。

 多くの悲劇を見た。多くの嘆きを聞いた。微かな幸せを塗りつぶさんとする絶望を味わった。見出した才が、悪しき慣習によって潰れていく様を見た。獣のような道理の通じぬ輩もいた。何度も、諦めという二文字が脳裏を過ぎった。

 しかし、それでも、それでもと私は前へ進み続けた。足掻き続けた。少しでも領地を豊かにしようと近隣諸国と繋がりを持ち、大国に負けぬよう少ない兵力を有効的に活用出来る戦術を考え、時代の流れに取り残されぬように商人を使って日ノ本中の情報を掻き集めた。

 いつか来たるその日を待ちわびて。

 特に、家督を継いでからは情報収集に多くの予算を注ぎ込みました。最早、今までの常識は通用しないと確信していましたから。



 ……そう、母の予言は的中したのです。

 織田信長。

 三好でも、毛利でも、六角でも、朝倉でも、ましてや足利でも無い。未だ、名も無き英雄。母がそう予言したように、その一等星は誰からも期待されていなかった。寧ろ、誰もが尾張の大うつけと嘲笑っていました。

 しかし、それは他を欺く為の擬態だった。

 信長は、海道一の弓取りと謳われた今川義元を僅かな手勢で打ち破ってみせた。尾張一国すら手中に収めていない小さな土豪にも関わらず、その天賦の軍略の才を遺憾無く発揮し、十倍以上の兵力差を覆して勝利を掴んだ。

 信長は、一夜にしてその名を日ノ本中に轟かせてみせたのです。

 おそらく、彼は今川義元や斎藤道三と渡り合えるようになるまで牙を隠していたのでしょう。尾張は、隣国を大大名に囲まれています。下手に力を見せれば、力を付ける前に滅ぼされてしまうと悟った。

 それ故に、普段はうつけのフリをして油断を誘い、力を付ける為の時間を稼いだ。誰にも明かさず、ただ一心に牙を研ぎ続けた。

 そう考えれば、桶狭間の勝利をただのまぐれだと切って捨てるのは悪手。万を超す大軍に勝つ為に、信長はあの場所を選んだ。数の利を覆すあの場所を。

 全ては、信長の計算通り。聡い者は、皆、信長の狡猾さに身を震わせた事でしょう。



 そして、それを裏付けるかのように、彼の躍進が始まったのです。

 尾張国の統一。美濃国攻略。斎藤家滅亡。信長は、瞬く間に百万石を有する大大名に成り上がると、放浪中の足利義昭を担いで上洛。徳川家や浅井家と同盟を結んで周囲の足場を固め、六角家・三好三人衆を退け、松永久秀を屈服させ、遂には足利義昭を室町幕府十五代将軍へと導いた。

 この間、僅か八年。今川義元を討ち取ってから、たった八年で文字通り時代を動かしてみせた。六角や三好といった前時代の覇者を、さも当たり前のように容易く退かせた。

 ……正直、震えましたよ。

 一人の天才が、この停滞した世の中を自由気ままに塗り替えていく様は。もしかしたら、彼こそが私が追い求めた英雄なのかもしれない……と。



 故に、私は織田信長という一人の男を見極める決意をしました。この日ノ本を背負うに相応しい男なのかどうかを。……彼は、名声以上に悪名が方が轟いておりましたから。

 そして、天正三年七月岐阜城。私は、織田家家臣 羽柴秀吉の取次により、主君 小寺政職の名代として岐阜へ訪れました。

 目的は、織田信長との謁見。

 毛利家と織田家のどちらにつくか迷っていた小寺様も、私が岐阜へ行きたいと申し出れば、これ幸いと二つ返事で許して下さった。その目でしかと見極めよと言い残して。

 それからは、非常に早く日程が決まっていった。織田家へ謁見の許可を求めれば、即日に使者が訪れて歓迎する旨が記された文を渡して下さった。やはり、西への勢力拡大を目指す織田家にとって、私達の申し出は渡りに船だったのだろう。

 ……その使者が、黒き王の器を持っていた時には、思わず二度見してしまいましたが。それも、傍らには王を支える賢者の器まで。

(普通、あれ程の野心抱いている者は、到底人の下になど収まれる筈が無いのですが……。いやはや、それ程までに織田信長という王の器が大きい証明でしょうか)

 私は、逸る気持ちを何とか抑えながら城下を進み、小姓の案内で謁見の間へ辿り着いた。頭を垂らしてその時を待つ。期待に胸を弾ませながら。



 すると、直ぐにその時は訪れた。

 静かな空間にこちらへ向かって来る足音が響く。空間が軋むような覇気。僅かに震える右腕。高鳴る鼓動。そんな中、小姓の凛とした声が襖越しに聞こえてきました。

「上様の御成りです」

 その言葉に、私はハッと我に返って姿勢を正す。襖の開く音。圧が高まる。一筋の汗が頬を伝い、ゆっくりと畳へ落ちていく。

「面をあげよ」

「…………っ」

 震えが止まらない。微かに開いた口先から息が漏れる。

「……良い、面をあげよ。余は、そのような無駄な仕来りは好まぬ」

「は、ははっ」

 若干、苛立ったように声の質が変わる。

(合理的な性格であり、ダラダラとした前置きを嫌うと聞いていたが、まさかこれ程とは……)

「私、主君 小寺政職の名代として参りました、小寺家家臣 黒田官兵衛と申します。この度は、織田様の貴重な時間を割いていただき、誠に恐悦至極にございます」

「……ふん、成程な」

 つまらなそうな声音。冷や汗が背中を伝う。此処で機嫌を損ねては元も子もない。私は、無礼にならない程度に顔を上げ――

「ぁ……っ」

 言葉を失った。

「ほう、貴様が黒田官兵衛か。中々、良い面構えだ。面白い。余を前にして恐怖に呑まれぬか。噂に違わぬ胆力よな」

 ニヤリと、私を値踏みするかのような視線を向ける男。明らかに、彼の座る上座の空気が違う。闇より深き漆黒の覇気。視線を逸らせられない。

「要件は聞いておる。大方、貴様の主君が毛利家につくか、織田家につくかで迷っておるのだろう。……実に、不愉快極まりない。そのような優柔不断な輩は、余が最も忌み嫌う愚図よ。味方にしたところで、いつか必ず裏切るのが目に見えておる。普段であれば、兵を差し向けて毛利家諸共叩き潰しておるわ」



 ――だが、貴様は気に入った。



 いつの間に立ち上がっていたのか、首筋に抜き身の刀が添えられる。

「その胆力に免じて、貴様に一度だけ機会をくれてやろう。……貴様は、余の敵か? 」

「――――っ」

 答え次第では即座に首を落とす。

 言われずとも伝わってくる殺気。普通、使者を斬り殺せば常識知らずだと蔑まれる。だが、この男ならばやると言ったら間違いなくやるだろう。

 この肩の震えは恐怖故か、それとも歓喜故か。

 ……いや、答えなど最初から分かっている。その魂の輝きが視界に入った瞬間から。

 それは、正しく日輪のような輝きでした。

 黄金色の魂。光り輝く銀の杯。その光は万物を魅力し、その大きさは万物を受け入れる。王になる為に生まれし者。王の中の王。覇道を往く者。

 そんな眩いばかりの魂に魅せられた私は、小寺政職に向けていた僅かな忠誠心が消え去っていくのが分かった。

(これが、織田信長……っ。成程、確かに時代を担うに相応しい王の器だ。きっと、彼は世界に望まれて生まれて来たのだろう)

「は……はは……」

 乾いた笑い声が零れる。そのまま半歩前へ進めば、刃が僅かに肉を切り裂き、一筋の血が身体を伝わっていく。

「私が、貴方様と敵対するか否か。それは、今後の貴方様の行動次第でしょう」

「……なに? 」

 私の言葉に、織田信長は眉を細める。放たれる殺気。無礼だと、このまま斬り捨てられる未来すら幻視する。

 だが、私は構わずに口を開いた。

「私は、この日ノ本を正したい。歪んだ慣習を取り払い、この日ノ本に新たな風を吹かせたいのです。理不尽に嘆く者達を救う為に。それが出来る英雄を、私はずっと待ちわびていた。……故に、貴方様が正しい道を行かれるのであれば、この力の全てを尽くして貴方様に仕えましょう。しかし、貴方様が間違った道を選び、民に理不尽を振り撒く災厄となった時は、この手で貴方様の首を刎ねてみせましょう」

 私は、目を合わせながら嘘偽りの無い本心を告げた。例え、無礼討ちされても構わないと。



 沈黙。

 顔を伏せた信長の表情はこちらからでは確認出来ない。最悪の想定も過ぎったが、私は微動だにせず返事を待った。

 すると、顔を伏せていた信長の肩が小刻みに震えだし、遂には腹を抱えながら笑い始めた。

「……クッ……ククッ…………フハハハハハッ!! 面白い! 面白いぞ、貴様!! 敵か味方かを問われておいて、普通見極めるのはこちらの方だと言うか!? ハハハハハ! フハハハハハ!! 」

 信長は、一頻り笑った後、何を思ったのか私の鼻先に刀を突き刺した。目を見開きながら視線を向けると、信長はニヤリと不敵な笑みを浮かべて口を開く。

「良かろう。貴様には、余を笑わしてみせた褒美としてその刀をくれてやる。号は、へし切長谷部。余の愛刀じゃ。もし、余が道を踏み外した時は、宣言通りこの首を刎ねるが良い。……どうやら、貴様にはソレを見極める特別な眼を持っているようだからな。……だが、その時までは織田家に尽力して貰うぞ! 余は、この日ノ本を南蛮にも負けぬ大国にしてみせる! その為には、まだまだ人手が足らぬからな! 小寺政職にも、速やかに岐阜城へ登城するように伝えよ!! 」

「は、ははっ! 」

 放り投げられた鞘を慌てて掴み、立ち去っていく信長の背中に深々と頭を下げる。無礼を許し、私の特別な力を見抜き、あまつさえ刀を渡した相手に背を向ける。その豪胆さに、私は肩を震わせながら涙を流し続けた。

 この男ならば、必ずや日ノ本を変えられる。

 この男こそが、私が探し続けていた英雄なんだ。

 そう思うだけで、嬉しくて涙が止まらなかった。私は、小姓が呼びに来るまで刀を抱き締めながら頭を下げ続けた。



 ***



 だが、現実はどこまでも非情であった。

 織田信長は、世界が求めた英雄は、愚者の手によって堕ちたのだ。




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― 新着の感想 ―
[一言] 記憶喪失でバブバブとはいかないまでも呆けた老人になってしまったからなぁ、アレがなければ今だに快進撃ヒャッハーして燻る王の器を連れ出すために台湾でも攻めていたんでしょうけどね。
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