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27話

 天正十二年五月十四日 美作国 黒田官兵衛



 糸が解れる。


 ――ヒヒィンッ!!


 黒馬は、戦場一帯に響き渡るように嘶くと、地面がヒビ割れる程強く踏み込み、私の頭上目掛けて飛び上がった。黒き巨体が空を駆ける。逃げ出そうにも、右足を地面に固定されて身動きは出来ず。脇差しを抜こうにも、左手は矢が貫いたままであり、右手は指先の痙攣が止まらない。これでは、先程のような投擲は出来ないでしょう。

(ここまで……ですかね)

 詰み。

 ぼんやりと、馬上より私の命を絶たんと槍を振りかぶるかつての主君を眺めながら思う。美しい軌跡を描きながら迫り来る穂先。喉元に添えられる死神の鎌。

 私は、逃れられない死の足音を聴きながら、ゆっくりと瞳を閉じた。



 ***



 物心ついた頃、私は自分が他の人達とは違う【特別な人間】なのだと自覚した。見えるのだ。その人の魂の色が、魂の器が。杯と炎を模して。



 その景色は、三つの頃よりぼんやりと見え始め、五つの時に意識しなくても鮮明に見えるようになった。私だけが、その世界に居た。

 器は、主に二種類存在する。

 白き器と黒き器。大きさは、文字通りその者の他者を導く資質を示す。器は、善良な者程白く輝き、悪しき者程黒く澱んでいく。時折、摩訶不思議な色を持つ者もいるが、それこそ時代をつくる世界に選ばれた英雄だけだろう。

 そして、魂の色。

 これは、まさに十人十色といったところか。その人が歩んできた人生によって色は変わっていく。親兄弟とて全く同じにはならない。傾向としては、血の気の荒い武将達は赤、冷静さを求められる文官達は青、良い事があれば黄、悪巧みをしていれば灰色へ。それこそ、複雑な人の心を表すように奇っ怪なモノであった。



 一見、便利に思えるこの力。

 されど、私には呪いにしか思えなかった。

 父の周囲には、薄汚れた器と穢れた魂を持つ者ばかり。いや、父も立派な人では無かった。そして、一度遠目で拝謁した小寺則職・政職も王足る器では無い。数人程出来た人も見かけたけれど、正直焼け石に水にしかならないだろう。それ程までに、小寺家は、黒田家は、この国は腐っていた。

 私は、そんな事知りたくなかった。ただ、身を守る為に信頼出来る人を知りたかっただけだったのに、知り得たのは誰も信用出来ないという現実。

 怒り、憎しみ、恨み、嫉み。薄っぺらい笑顔の裏で渦巻くおぞましい負の感情。本性を看破出来るが故の吐き気を催す違和感。嘘、嘘、嘘、嘘、嘘。黒田家の後継者足る私へ向けられる粘ついた視線。張り巡らされた策謀の数々は、幼子を絶望の淵へ突き落とすには充分過ぎた。



 五つの時、私は他者との接触を恐れて部屋へ閉じこもるようになった。病を偽って。

 一日目、父は私を案じて医師を遣わした。

 二日目、家臣達が見舞いに訪れた。

 三日目、四日目、五日目……時が進む度に皆の態度が変わっていった。決定打となったのは、十日過ぎた頃に訪れた、小寺家からの使者であろう。

 何を話したのかは知らない。だが、明確に私への対応が変わった。父も、家臣も顔を見せなくなった。来るのは、世話役の侍女達だけ。もう、誰も私の身を案ずる者はいない。寧ろ、私から病をうつされては堪らぬと露骨に避けるようになっていった。

 父が欲しかったのは、身体が丈夫で優秀な跡目。小寺家が欲しかったのは、家に尽くしてくれる優秀で忠実な家臣。病弱な嫡男などいらない。家臣達は、私に媚びを売っても無駄だと思えば見向きもしない。当たり前だ。彼らは、出世の為に次期当主足る私へ媚びを売っていたのだから。



 私は、切り捨てられたのだと自覚した。

 私のこの力は、正しいのだと自覚した。



 ……愛など、最初から無かったのだと自覚した。



 ***



 今でも夢に見る。あの夜のひと時を。

 あの夜、私は布団の中で丸くなりながら声を押し殺して泣いていた。怖くて怖くてたまらなかった。朝が来れば、またあの光景が目に入る。偽りだらけのあの世界が。

(こんな力、私は望んでいなかったのに……っ)

 ぽつりぽつりと、瞳から溢れる涙が布団を濡らしていく。嗚咽混じりに布団を強く握り締める。目を閉じているのに、脳裏には父や家臣達の声や表情が次々と浮かんでは消えていった。

 逃げられない。逃げられない。この瞳を持っている限り、この悪夢が覚める事は決して無い。

 私は、そっと瞼を右手で覆った。

(何で、私はこんな目にあっているのだろう。何で、こんな辛い思いをしなくちゃならないのだろう。こんな事ならば、いっそ――)

 ぐるぐると、脳裏を負の感情が駆け巡る。

 私は、もう楽になりたい……その一心で指先に力を込めた――次の瞬間、何者かによって襖が開かれた。

「…………っ」

 ビクリと、肩を大きく震わせる。

(こ、こんな夜中に一体誰が……。私の許可無く侍女が入って来る事は有り得ない。も、もしかして、父が私を殺す為に刺客を放って……っ)

 最悪の想像が脳裏を過ぎる中、ソレはゆっくりとこちらへ向けて歩き始めた。ぎしりぎしりと、畳が軋む音。心臓が張り裂けそうなくらい鼓動し続け、指先は冷たく固まり、カタカタと歯を震わせながら頭を抱えて丸くなる。

(あぁ、もうおしまいだ。私は、このまま殺されるんだ。…………嫌だ、嫌だ、嫌だ! 怖い。死にたくない! 痛いのは嫌だよ。怖い、怖いよ。誰か助けてよ。……こんな事なら、私なんて最初から――)



 ――生まれて来なければ良かったのに。



 絶望に打ちひしがれていると、足音がすぐ側で止まり、何かが迫ってくるような気配を感じた。まるで、布団を剥ぎ取る為に手を伸ばすかのように。

 私は、ギュッと目を強く瞑りながらその時を待っていると、ソレは私の背中付近に優しく乗せられた。そして、ゆっくりと撫でるように動いていく。

 予想だにしない事態に混乱していると、ソレは背を撫でながら優しく声をかけてきた。

「……万吉。起きて、いるのでしょう? 」

「…………っ!? 」

 その声音に、私は目を見開きながら布団をめくって頭を出す。顔を上げた先には、私の予想通りの人物が優しげな眼差しでこちらを見ていた。

「はは……うえ? 」

「はい。万吉、貴方の母ですよ」

 そこには、最後に見た時と変わらぬ優しい母の姿があった。変わらない、優しく清らかな魂を持つ母の姿が。嘘偽りの無い、慈愛に満ち溢れた母の姿がそこにあった。

 私は、涙を流しながら母の胸へ飛び込む。

「は、ははうえぇぇぇぇっ!! 」

 縋り付くように泣きじゃくると、あっという間に母の胸元が涙で濡れていく。しかし、母はそれを咎める事は無く、優しく私の頭を撫でてくれた。

「……ごめんなさい、万吉。辛かったでしょう。もっと早く、こうして貴方を抱き締めてあげれば良かった。……ごめんね、ごめんね」

「……っ、うわあああああっ!! 」

 小刻みに震える母の身体。母から零れ落ちた涙が、スっと私の頬を撫でた。

 限界は、とうの昔に過ぎ去っていた。母からの変わらぬ愛を感じた瞬間、堰き止めていた感情が溢れ出す。

 私は、数年ぶりに人前で泣く事が出来た。



 ようやく泣き止んだ私は、布団の中央で母を背もたれに瞳を閉じていた。母は、そんな私を優しげな眼差しで撫でてくれる。

 母は、私を産んでから体調を崩してしまい、一日の殆どを床に伏して過ごしていた。元々、病弱な体質だったと父から聞いた事がある。母は、命懸けで私を産んでくれたんだ。

 それ故に、母とはあまり顔を合わせる事は無かった。寂しい気持ちはあったけれど不満は無かった。だって、仕方のない事なんだから。

 だから、こうして甘えるなんて初めて。でも、母はこんな我儘を喜んで聞き入れてくれた。

 私は、母にもたれかかりながら色々な話をした。父の事。家臣の事。美味しい食べ物。珍しい生き物。……そして、この瞳の事も。母は、「そうだったのですね」と、悲しげな声音で呟いた。

「貴方の人を見る視線が、他とは違うと母は気付いておりました。昔から、色々な物に興味を示す子でしたからね。でも、それは子供特有の好奇心から来るものでは無く、信用出来る者を見極めるかのような視線だと感じていました。性格の悪い者には、一切近付きませんでしたからね」

「……気付いていたのですね」

「えぇ、勿論ですとも。例え、貴方と過ごす時間は短くとも、子供の事ならば些細なものでも気付いてしまうものなのですよ。母ですもの」

「――っ」

 母の袖を掴む。その手を覆うように、母は両手が添えられた。そして、私に言い聞かせるような声音で言葉を紡ぐ。

「貴方は特別な子。御仏の加護を賜りし者。その力は、英雄の資質を見抜く看破の瞳。この乱世を終わらせる英雄を見出す為の力。未だ、頭角を現していない英雄を見付け出す為の力。三好でも、毛利でも、六角でも、朝倉でも、ましてや足利でも無い。未だ、名も無き英雄を支える為の力。いつかきっと、貴方はその英雄に出会えます。貴方だけの英雄に」

「……っ、それは…………本当ですか? 」

「えぇ。必ず出会えますよ。その時、貴方は自分が生まれた意味を知るでしょう。その為にも、今は自身の力を磨きなさい。勉学に励み、知力を鍛えて英雄に助言しなさい。鍛錬に励み、武力を鍛えて英雄と共に戦場を駆けなさい。仲間を募り、兵を鍛えて英雄に助力しなさい。御仏に賜ったその力を己が為に使うのでは無く、世のため人のために使うのです。……母は、きっとその姿を見れないけれど、その先に万吉が幸せになれる未来が来る事を祈っています」

「――っ。……はい。約束します、母上。私は、この力で英雄を見付け出してみせます。そして、いつかきっと乱世を終わらせてみせます……っ」

 幼き日の夜、私は母に誓った。この力を、世のため人のために使う事を。

 幼き日の夜、私は光り輝く未来を夢見た。いつかきっと、私が生まれた意味を知る日が来る事を。




 ***



 それから九年後。

 母は、私が十四の時に亡くなった。弟を産んでから、母はまともに立って歩く事すらままならなくなり、ある日、眠るように息を引き取った。

 私は、母との誓いを守る為に文学に耽溺していった。どうやら、私は武術の才は無かったようでしたから。適正のある智力を、研ぎ澄ませる事に決めたのです。

 それでも、必要最低限身体を鍛え、才能のある者を見出し、商人と繋がりを作って情報を集め、領地を豊かにしてその日を待ちわびていた。





 そして、月日は流れ、天正三年七月岐阜城。

 私は、運命に出会ったのです。




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