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24話

 天正十二年五月十四日 美作国。

 その一撃は、闇を切り裂く美しくも熾烈な断罪の刃。隻眼より溢れる紅の炎が、戦場に漂うおぞましい気配を一掃させた。

「夢を諦めた奴が、がむしゃらに夢を追う奴の邪魔をすんじゃねぇぇええええっ!! 」

「…………っ」

 悲鳴を上げる事すら許さぬ一閃。強靭な筋肉から繰り出される剛力に、嵐のように荒ぶる心を燃やした豪快な一撃。

 されど、その一撃はただの力任せなものでは無い。小六は、荒ぶる心の手綱を完璧に握っていた。槍が官兵衛に直撃する瞬間まで、その瞳には理性が宿っていたのだ。

 それ故に、その一撃には技の冴えがあった。積み重ねた修練の証が威力を向上させ、官兵衛の槍を真っ二つに砕いても尚、槍の軌道は真っ直ぐに官兵衛の身体の芯を捉える事が出来たのだ。

 豪快さと繊細さ。相反する二つの属性を同時に行使するには、並大抵の技量では不可能だと言わざるを得ない。未だ未完成。されど、蜂須賀小六。彼もまた、武人の頂きに手をかける資格を得たのである。



 ***



 凄まじい砂煙を立てながら吹き飛ばされる官兵衛。体力を使い果たしたのか、肩で息をしながらも土煙の向こう側へ鋭い眼差しを向ける小六。

 そんな小六の背中を、十五郎は両手で刀の柄を強く握り締めながら、高揚したかのように頬を赤らめていた。

(私も、あんな風に……っ)

 まるで、少年のように瞳を輝かせる十五郎。無理も無い。齢十六ながら此度の戦が初陣となった十五郎にとって、先程の戦闘はまさに後世に語り継がれる英雄譚の一場面のように見えた。

 片目を斬り裂かれながらも、悪を断罪せんと刃を振るうその姿。少年にとって、憧れるなという方が無理な話であろう。

 そんな高揚した十五郎を冷静にさせるかのように、突如として真横から馬が嘶く声が戦場に響き渡った。

「…………っ!? 」

 ビクリと肩を震わせながら視線を横へ向けると、そこには片手で馬の手綱を握る秀吉の姿があった。秀吉は、ジッと十五郎の表情を見詰めると、不意に満足気に頷いた。

「どうやら、もう恐怖に呑まれていないようだな」

「ぁ……」

 十五郎は、呆然としながらも右手を閉じたり開いたりして動きを確かめる。震えも無い。感覚が戻っている。これなら、刀を振るう事が出来るだろう。

 十五郎は、秀吉を見詰め返しながら強く頷いた。

「はい! 行けます、羽柴様! 」

「ならば、良し! 儂に続け十五郎! 今が、最大の好機ぞ!! 」

 そういうと、秀吉は弓を戦場に仕舞い、慌てて駆け寄る傍付きから槍を受け取ると、手綱を操作して一目散に駆け抜ける。

「小六、十五郎、左右から官兵衛を挟み込め! 官兵衛に息を入れさせるな! このまま一気に畳み掛ける! 今、この瞬間に日ノ本の命運が懸かっているのだと肝に銘じよ!! 」

『御意っ!! 』

 真っ直ぐに官兵衛へと向かう秀吉に続くように、小六と十五郎が左右に分かれてひた走る。皆、この好機を逃さんと必死な形相で駆けている。一分一秒が勝機を分けると肌で感じているからだ。疲れていようが関係ない。気力で走るのみ。余裕なんて最初から無いのだから。



 そして、遂に秀吉が未だに戦場を漂う土煙の中へ突入しようとした――その瞬間、一瞬にして前方に漂っていた土煙が真っ二つに斬り裂かれた。

『……なぁっ!? 』

 驚愕する三人の視線の先には、腰を落とし、横へ刀を振り抜いた状態で残心をとる官兵衛の姿。

 立ち昇るドス黒い瘴気。鬼のような赫い瞳。背筋を凍らせる殺意。全身を細かな傷と泥で汚しながらも、その身に纏うおぞましい気配は一切陰りが見えないどころか、より一層高まっているようにも感じた。

 そう、まるで人では無いナニカのように。

「――、――――」

「…………っ!! 」

 ゆっくりと時間が流れる。泥が跳ねる音。愛馬の足音。二人の息遣い。音が遠くなっていき、世界から己だけが切り取られたかのような感覚に陥る。

 そんな中、秀吉は官兵衛と視線が合わったその瞬間、既に自分達は間合いの内側に入ってしまっている事を悟った。

「退ぃけぇぇぇええええええええっ!!! 」

「死ね」

 鈴っと、涼やかな鐘の音が戦場に響き渡る。

 二人の声は、ほぼ同時に発せられた。



 ***



 ギィンギィンと、激しく打ち合う金属音に十五郎の意識が僅かに浮上する。

(……私……は、何……を……)

 朧気な記憶を手繰り寄せ、背を丸めながら口の中に入った砂を嗚咽混じりに吐き出すと、ようやく意識がしっかりしてきた。

(そうだ。私は、羽柴様と共に追い打ちを仕掛けて――っ! )

 そこで、十五郎はようやく気付く。己が、今、どういう状況に陥っているのかを。十五郎は、ハッと顔を上げながら慌てて辺りを見渡した。

 左側には、倒れ伏す黒い馬体とその近くに転がる一つの影。おそらく、先陣を切っていた秀吉だろう。十五郎は、無意識に唇を噛み締める。

「羽柴……様……っ」

(……クッ! よもや、戦場で気を失ってしまうとは何たる失態か! 何があったのか。羽柴様はご無事なのか!? 蜂須賀様は、何処にいるのだ!? 私は、一体どれ程の間意識を失っていた!? )

 十五郎は、痛む額を押さえつつ、あまりにも情けない己を叱責する。しかし、今はそれどころでは無い。一刻も早く状況の確認をせねばならない。視線を向ける先は、自ずと先程から激しい戦闘音が鳴り響く中心地であった。



 そして、十五郎は彼らの姿を視認する。

 方や、ドス黒い瘴気を放ちながら刀を振るう黒田官兵衛。方や、全身を己が血で赤黒く染めながらも果敢に槍を振るい続ける蜂須賀小六。対峙していたのは、この二人だった。

「蜂須賀様……っ」

 十五郎は、その名を涙混じりに呟きながら、悔しげに右手で土を握り締める。

 小六は、最早死に体だ。生きているのが不思議な程に。その命の灯火はあまりに細く弱々しくなっており、少し息を吹きかけただけで容易く消えてしまいそう。それを、小六は未だ消させんと必死に堪えていた。地に這いつくばり、己の身体を盾にするように。

 それを、無様だと誰が嘲笑うだろうか。悪足掻きだと誰が蔑むだろうか。蜂須賀小六という男は、主君から託された使命を果たす為に、文字通り己の全てを燃やし尽くす覚悟で官兵衛と戦っているのだ。まさに、武士の鏡と言っても過言では無いだろう。

 それ故に、その生き様が強烈に十五郎の心を刺激した。

「ぬぅ……ぅぐぐ……っ、立てよ。頼むよ。もう一度で良いんだ。頼む、動いてくれ! 」

 動かぬ太ももを手で何度も何度も張りながら、懸命に前へ進もうと足掻き続ける。泥で汚れようが関係ない。もう、体力が尽きていようが関係ない。

「蜂須賀様が、その身命を賭して戦っておられるのだ……っ。今、此処で立たねば……。私は、二度と武士を名乗れないっ! 」

 腕だけで上体を起こし、刀の鞘を地面に突き刺して体重を預ける。最早、そこには先程まで無様に恐怖に呑まれていた若人はいない。

 そこにいるのは、一人の武士だ。



 そして、十五郎は気付く。動き始めたのは、己だけでは無い事に。

「…………あれはっ!? 」

 十五郎は、思わず目を見開いた。視線の先には、先程までピクリとも動かなかった秀吉が、ヨロヨロとふらつきながらも槍を軸に立ち上がる姿。そして、それに続くように起き上がる黒馬。

 互いに意地で立っているのか、その足取りは非常に危うい。特に、馬の状態は悲惨の一言。全身傷だらけで脚は一本引き摺られている。もう、まともに駆ける事など不可能だろう。

 されど、彼らは真っ直ぐに敵を見据えていた。秀吉が何かを呟くと、馬はまるで言葉が通じているかのように一度強く頷いた。いや、本当に通じているのだろう。心で通じ合っているのだ。秀吉を乗せ、一歩、二歩と進むその姿は、まさに人馬一体を表していた。

 動き出した秀吉の姿に、官兵衛の視線がこちらへ向けられる。しかし、その視界に映っているのは秀吉ただ一人。そこには、十五郎の姿は無い。

 その事実に、十五郎の心臓はドクンッと強く脈打つ。秀吉が吹き飛ばされていた方向。此処から十数歩進んだ先には、バラバラに散らばり重なり合っている矢と弓が。

「…………っ」

 今一度、十五郎の心臓が強く脈打つ。脳裏には、生前父が言い残した言葉が蘇っていた。



【兵は詭道なり】



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