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20話

 ■正十■年五月■四日 羽柴秀吉



 真っ直ぐな眼差しが向けられる。ただ、それだけで呼吸は不規則になり、嫌な汗で背中が冷たくなる。ソレは、儂がこの世で最も忌み嫌ったモノと重なる。誰よりも真っ直ぐな男だった奴と。

 故に、半ば確信していたのだ。

「……私の名は、明智十兵衛光秀が嫡男 明智十五郎光慶と申します。一度、貴方とは話せばならぬと思うておりました」

「…………っ!? 」

 目の前にいる少年は、あの男の忘れ形見なのだと。

 コロりと、右手から水差しが転げ落ちる。その告白は、静かに部屋中に染み渡っていった。



 静寂。

 うるさいくらいに脈打つ心臓。サッと、血の気が引いていく。

 馬鹿な。嘘だ、ありえない。生きている筈が無い。そんな願望が脳裏を過ぎる。

 確かに、嫡男がいるとは聞いていた。直接、その顔を見た記憶は無いが、目元が良く似ているとも。

 ……少年の顔付きは、父親譲りだと言われてしまっても納得してしまう程に面影を感じる。しかし、明智家の一族は、皆、あの時に処刑された筈だ。父親である明智光秀が謀反を起こしたのだ。嫡男である光慶が見逃される筈が無い。処刑された者達を記した名簿にも、確かにその名が記されていた。

 だが、少年の瞳には嘘の色が見えない。それに、儂は三法師様から光秀謀反の真相を聞いておる。もし、三法師様が光秀の嫡男が生きていることを知れば、間違いなく混乱を避ける為に秘密裏に匿うだろう。

(……であれば、やはりこの少年は――)

 切り出したのは儂の方からであった。

「生きて……いたのか」

「はい。父上が坂本を発つ前に、既に私は家臣に連れられて身を隠しておりました故、決戦の場には立ち会っておらぬのです。……父上と一族の最期は、近江守様の遣いの方に聞き申した。見事な散り様だった……と」

「そう……か」

 辛そうに顔を伏せる少年に、儂は何も言えずに唇を噛み締めた。

「その後、貯蓄を切り崩しながら山奥に身を隠していたのですが、ある日近江守様の遣いの方が現れ、此度の謀反による一連の沙汰を聞き申した。そこで、津田様が美作国へ行かれる事を知り、近江守様のお許しを頂いた上で津田様の下へ身を寄せる事になりました。津田様には姉上が嫁いでおります故、恥を忍んでその縁を頼り申したのです。無論、他の者達に私が生きていることを知られぬように、普段は名を変えて山に籠ってばかりですが……」

「…………っ」

 たははと、後頭部を掻きながら苦笑いを浮かべる少年。その両手は土汚れと細かい傷で荒れ果てており、間違っても一国一城の主にまで上り詰めた明智家の嫡男がして良い手では無い。これでは、まるで農民と変わらぬでは無いか。

 あまりにも変わり果てたその姿に対し、儂は顔を伏して唇を強く噛み締めた。

 かける言葉が見つからない。この少年もまた、自身の父親が何故謀反を起こしたか知っている筈だ。何の為に、主君へ謀反を起こしたか知っている筈なのだ。

(なのに何故怒りを覚えない。この理不尽な仕打ちを嘆かない。お前の父親は、織田家の……ひいては日ノ本に泰平の世を築く為だと言われ、人柱にされたのだぞ! )

 布団を強く握り締める。耐え難い激情が、胸の奥を縦横無尽に駆け回る。

 理解出来ない。地獄に叩き落とされたも同然だというのに、その清き魂の輝きは僅かにも曇っていない。清く、真っ当な道を進んでいる。その魂の在り方は、少し足りとも穢れていなかった。

 その事実が、どうしようも無く羨ましい……っ。



 ――何故、お前達はそんなにも……っ。



(………………ハッ! )

 黒い泥が胸の奥より這いずり出ようとした瞬間、僅かに正気を取り戻し、必死に泥を押さえる。

 そうだ。慌てるな。冷静になれ。儂には、この少年に問わねばならぬことがあるだろう。

 深く息を吐いて気持ちを落ち着かせると、儂は布団を僅かに胸元へ引き寄せた。

「何故……儂を助けた」

 顔を俯かせながら、ポツリと呟く。少年は、一瞬だけ惚けた顔をしていたが、直ぐに合点がいったのか、和やかな口調で語り出す。

「……ぇ? あぁ、そんなこと当たり前ではありませんか。貴方は、織田家の重鎮。我ら明智家は謀反人故、胸を張って織田家の家臣だと宣言する事は出来ませぬ。……しかし、それでも私達が織田家に捧げる忠誠に変わりはございませぬ。ならば、黒田官兵衛の謀反によって陥れられた貴方を救いたいと思うのは、至極当然ではありませんか! 」

 身を乗り出した少年の手が重なる。

「父上は、最期に私達へ言い残した言葉がございます。【生き延びよ。明智の血を決して絶やしてはならぬ】【そして、いつの日か織田家が窮地に追い込まれた時は、必ずやいの一番に参上し、織田家の力になるように】父上は、この二つを家訓として子々孫々へ語り継ぐように厳命致しました」

 少年は、亡き父を誇るように胸を張る。

「例え、世間から何と言われようとも、その命の灯火が消えるその時まで織田家へ忠節を尽くすようにと。明智家の今があるのは、あの日上様にお救い頂いたからなのだと。その恩義を、人として決して忘れてはならないのだ……と。ですので、羽柴様が気になさる事は――「そのような事を言っているのでは無いっ!! 」…………っ!? 」

 絶叫。激情のままに少年の手を払い除ける。荒い呼吸音が部屋中に響き渡る。少年は、呆然としながら儂を見ていたが、やがて儂の心中を察したかのように、同情するような眼差しを向けてきた。

「…………っ」

 唇を噛み締める。ソレは、光秀が儂に向けていたモノと同じだ。全てを見透かしたかのようなソレが、儂は心から嫌悪していた。

 それ故に、気付けば自然と口を開いていた。

「何故、儂を助けた!! よりにもよって、明智であるお前が!! 知っておろう? 儂が、どれだけ光秀のじじいを陥れたか! じじいが失脚するように、どれ程の策謀を凝らしたか! 儂のやり方を、じじいがどれ程嫌悪しておったか! 」

 唾を吐き散らかしながら、右手を大きく振るう。身体を動かす度に全身に激痛が走ったが、そんな事最早どうでも良かった。

「三木城や鳥取城を攻略した際、じじいは儂のやり方を非情だと言い捨てた! 人として間違っていると非難した! 偉そうに、儂に対して説教をしやがった!! 何が人の道理じゃ! そんなモノ、クソの役にも立たんわ! 儂は、そんな綺麗事ばかり吐かすじじいが大っ嫌いじゃった! 何度も、じじいが失脚するように仕向けた!! 」

 一度吐き出したソレは、もう止める事は出来ない。

「四国の件もそうじゃ! 儂は、長宗我部の四国統一を阻むように三好と繋がりを持った! 義兄を送り込んだ! そうすれば、必ず長宗我部家と織田家の間に確執が生まれる。元親は、悲願成就の為に織田家との同盟を破棄するだろう。その先にあるのは、長宗我部家との戦じゃ! そうなれば、調停役であったじじいの管理責任問題になる! 全ては、儂の上に居座るじじいを追い落とす為にやったことじゃっ!! 」

 荒い息を整えながら血走った瞳を少年へ向ける。

「儂とじじいの間に、どれほどの確執があったか! 儂が、どれ程じじいを目障りに思っていたか! 必死こいて進んだ道を、涼しい顔で何段も先を行くその背をどれ程憎んだ事か! ……その影響か、じじいは日増しに憔悴していった。心に隙を作った。その結果、朝廷の策謀に抵抗出来ず呑み込まれたのだ。もし、万全の状態であれば、あのような姑息な罠に引っかかる事も無かっただろう。それを……っ、それを嫡男足るお前が知らぬとは言わせぬぞっ!! 」

「…………」

 荒い呼吸音だけが響く中、少年は真剣な表情のまま口を閉ざし、最後まで聞き届けた。血を吐くような叫び。



 それは、儂の偽らざる本心であった。




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