26話
天正九年 六月 白百合隊第五席 椿
日はとうに落ち、闇が空を覆う。徒人ならば住居に籠り寝息をたてる頃、私はほのかに照らす月明かりを頼りに、野道を駆けていた。
関所を抜ける際は、兵士の意識の隙をつき一息に抜ける。山を越え野を駆け、必要最低限の食料で腹を満たし湧き水で喉を潤す。
休息は最低限で良い、ただただ早くこの文を殿の元へ届けるのだ。それこそが、私に課せられた使命であり、殿のお役に立てることが何よりの幸せなのだから!
私達は殿に救われた。あの地獄から救いあげていただいたのだ。今でも瞼を閉じれば思い出す、あの幸せだった日々を、そして失ってしまった日の出来事を。
私達が住んでいた里は、とある山の麓にひっそりと佇んでいた。人口は二百人ばかりの小さな里であったが、みんな優しく誇り高い人ばかりの素晴らしい里だった。
私は五人家族の末っ子として生まれ、家族達のように早く一人前の忍びとなり、信玄公にお仕えする事を夢見て日々精進する見習いだった。
里の訓練所は、引退した者が師範となり見習い達は厳しい訓練を課せられ、例年では卒業できる者は五人程度そんな場所だった。
だが、先輩達の代は近年稀に見る豊作だと言われていた。棟梁の一人娘の■■様を筆頭に二十名が卒業見込みを受け、里の者達総出で祝いの宴をする事になったのだ。
私は同期達を連れて山に入り、果実や山菜採りをしていた。先輩達に少しでも喜んで欲しい、そう願って。
「●●ちゃん、沢山採れたね! 先輩達、喜んでくれるかな? 」
「えぇ、きっと喜んでくれるわ」
籠いっぱいに果実や山菜を入れ、私達はみんな笑顔で山を降りていった。これだけあればきっと喜んでくれる、大人達も褒めてくれるわ。そんな私達のささやかな願いは、脆くも崩れ落ちた。
山から帰ってきた私達は、目の前の光景にただ呆然とするしか無かった……里が燃えていたのだ。
何故、何故、何故……いや、助けなくては大切な家族が、仲間達が里にいるのだ!
私は走った、後ろから呼び止める声が聞こえたが、そんなもの関係なかった。私にはもう、走るしか無かった。
走って走って走って……きっとみんな無事だと信じて……だけど、現実は非情だった。みんな死んでいた、父も母も兄弟達もみんな血の海に沈んでいた。
「あ……あぁ……ああああああああぁぁぁっ! 」
私は母の骸を抱え泣き叫ぶ事しか出来なかった。何故こんな事になったんだ、一体何があったと言うんだ! 家族がこんな目に合っていた時、私は何をやっていたんだ!
「おいおい、まだ生き残りがいたぞ」
「チッ早く殺しとけ、そんなもの」
気付けば、私の前に見知らぬ男共がいた。コイツらが家族を殺したのか。
コイツらは家族の仇だ! それなのに、不思議な事に殺意は湧いてこなかった。多分、私はもう死にたかったのだろう。早く家族の元へ行かせてくれ、殺してくれそう願う程だった。
「へいへい、んじゃな嬢ちゃん。恨むなら下賤の身に生まれた自分を恨むんだな」
刃が迫る、あぁこれで楽になれるのだ。そう思い瞼を閉じて、その時を待った。
だが、待てども待てども一向に痛みがこない。一体何が、そう思って瞼を開けると、そこには見知った背中が目の前にあった。
「し……はん……? 」
「早く逃げろ! 生き残りを連れて逃げろ! 」
「チッ邪魔だクソジジイ! そこをどけ! 」
師範の身体を貫いた槍は、私の鼻先で止まっていた。血に濡れたその槍は、師範の急所を貫いている事を物語っていた。
それでも、師範は私を生かす為に必死に槍を抑え込み、男共と対峙しているのだ。
「逃げろ●●! 早く逃げるのじゃっ! 」
私は師範の声に従い、一目散に逃げ出した。顔を血と涙で濡らしながら必死に走った。また、大切な人が死んでしまった。それでも、私は止まる訳にはいかなかった。
生き残りを連れて逃げる、それが師範に託された願いなのだから。
命からがら山に入り、非常時の隠れ家に辿り着いた時には、生き残りは二十名にも満たなかった。先輩達も生き残ったのは、●●様を含め二人だけ。私達の日常は一日で崩壊してしまった。
仕立て人は武田だと、誰かが言っていた。
三日、五日、十日と過ぎ私達は里に戻っていた。おそらく里を襲った輩も、もういないだろうし何より家族達の埋葬も済んでいなかったのだ。
私達の数はもう十三名しかいなかった。幼い子供達は怪我が元で亡くなったのだ。もう、涙はとうの昔に枯れてしまった。
そんな時、彼等に出会った。彼等は織田家の者だと名乗り、私達を召し抱えたいと仰った。
だが、こんな状況では力になれる事はない。私達の身に起きた事を説明すると、驚く事に彼等は泣いてくださった。
なんと理不尽なのだ……と、嘆き悲しみ、家族達の墓を共に作ってくださった彼等のことを、私達はもう一度だけ信じようそう決めたのだ。
驚く事はさらにあった。彼等に案内され、三法師様にお会いしたのだが、三法師様は私達の事情を知るやいなや涙を流し、私達の事を抱き締めてくださった。
「さ、三法師様、私共は皆汚れております! お召し物に泥がついて……」
「どこがよごれているものか。これは、そなたたちがひっしにいきのびたあかし、なくなったものたちのねがいじゃ。そなたたちはけっして、けがれてなどいない、よくここまできてくれた。がんばったな」
「そなたたちは、じぶんたちがいきのびたことを、けっしてくやんではいけないよ。それは、そなたたちをいかしてくれた、ものたちにたいするぼうとくじゃ」
「それに、わたしはそなたたちがいきのびたことをうれしくおもう。ありがとう、いきのこってくれてほんとうにありがとう」
「……っ! くぅっ! ……ぅぅぅぅっ! 」
私達は言葉が出なかった。ただただ嬉しかった、こんなにもみすぼらしい私達を、三法師様は温かく包み込んでくださったのだ。涙が溢れて止まらなかった。
あぁ私達は助かったのだ。そう思い、意識を手放してしまった。
それから、三法師様は数々の物を私達に与えてくださった。心休まる屋敷を、美しい衣を、そして新しい名を授けてくださった。
「そなたは、これからツバキをなのるがよい」
「ははっ有難き幸せ」
「そなたたちは、たいせつなものをうしなった。だが、それいじょうにたくされたのだ。いきのこったそなたたちは、しあわせになるぎむがある。それをわすれないでほしい」
『ははっ』
あの日、私は一度死にそして殿に新たな命を与えられたのだ。太陽の如き貴方様にお仕えする事こそが、今の私の幸せなのだ。
そして、遂に浜松まで辿り着いた。この文こそ、いま殿が何よりも必要としている物、私は殿のお役に立てるのだ! きっと褒めてくださる!
走って走って走って、遂に殿のお姿が見えた! あぁ私は間に合ったのだ。
「つばきっ! どうしたのじゃ、こんなボロボロになって……」
「と……殿、これを……上様からの文でございます」
私は懐から文を差し出すと、殿はそれを受け取らず私を抱き締めてくださった。
「おろかものっ! こんな、ボロボロになってっ! どれだけむりをしたのじゃ! 」
「殿の……お役に立つことが……私の何よりの幸せ……なのです」
あぁ殿、そんなに泣かないでくだされ。私は大丈夫です、私は貴方様が悲しまれる事が、何より辛いのです。
「殿……私はお役に……立てたでしょうか? 」
「あぁ、もちろんじゃ! ありがとうツバキ、たすかったぞ。ゆっくりとやすむがいい。そうじゃ、さがみにはおんせんもおおかろう、いいいきぬきになる。ともにくるがいい」
「ははっ……有り難き幸せ……」
あぁ殿がお喜びになってくださった。私を褒めてくださった。私はいま、幸せでございます。
白百合隊序列
三日月
松・竹・梅
十傑
第一席 桔梗
第二席 水仙
第三席 桜
第四席 彼岸花
第五席 椿
第六席 葵
第七席 鈴蘭
第八席 朝顔
第九席 紫陽花
第十席 蓮




