表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
259/353

17話

 天正十二年五月十四日 美作国 羽柴秀吉



 宮川を背に陣を敷く津田軍。度重なる奇襲と嫌がらせに怒りを積もらせていた黒田軍は、今にも津田軍に襲いかからんと前のめりになっていた。

 そこを、山の中に潜んでいた儂らが奇襲を仕掛ける。

「官兵衛ぇえええっ!! 」

 儂の雄叫びに続くように愛馬が嘶く。賢い子だ。手綱を操らずとも標的が誰か分かっておる。緩んだ大地もしっかりと踏み締めており、山の傾斜を利用した加速も相まって、馬上より振るった槍は達人のソレと差程変わらぬ。

 死角からの一撃。陣の最後方に居た官兵衛を守る者は少ない。上手くいけば致命傷。悪くとも手傷は与えられると確信した奇襲は、口元を大きく歪めて笑う官兵衛によって完璧に防がれた。

 そう……まるで、この瞬間に奇襲が来ると分かっていたかのように。

「あはぁ……っ! やっぱり、生きていましたか我が主よ!! そう、そうですとも! 貴方程の英雄が、腹心に裏切られて死ぬなどという愚かな死に方はしない。やはり、英雄とは戦場で散り果てる者ぉ!! 劇的な最期を迎えてこそ英雄ぅ!! それに、こうでなくては面白無いぃ!! 」

  「…………っ!? ……チッ」

 官兵衛は、狂ったような表情とは裏腹に、膝を巧みに使って衝撃を地面へ流し、意図も容易く儂の一撃をいなしてみせた――刹那、首筋に強烈な殺気を受けて屈む。その数瞬後に、先程まで儂の首があった場所を横薙ぎの穂先が通過した。

 内心冷や汗を流しながら舌打ちをすると、手綱を操って距離を置く。

「はっはぁ!! 逃がしませんよぉ!! 」

 そこを追撃せんとする官兵衛。しかし、凄まじい勢いで後方より飛んできた小六が見事に防ぐ。

「殿っ! 単騎で突っ込まないでいただきたい! 何故、わざわざ危険を冒すのです! 尻拭いをするのは、いつもこちらなのですよ!? 」

「はっはっは、すまんな。官兵衛の顔を見たら、つい我慢出来なくてな」

「勘弁していただきたい! 」

 冗談混じりに謝ると、小六と入れ替わるように後方へ下がった。小六の悲痛な叫びは、いつものように受け流した。その間にも、続々と集まっていく騎兵の数、凡そ二十。皆が皆、雄叫びを上げながら黒田軍目掛けて突進していった。



 官兵衛の射程から外れると、軽く息を吐いて呼吸を整える。眼前には、雄々しく戦う家臣達の姿。

 そんな中、儂と入れ替わるように官兵衛と戦っていた小六は、軽く官兵衛と切り結んだ後、直ぐにその場から離れた。事態に気付いた黒田軍が動き出したからだ。それと同時に、津田軍から雄叫びが上がる。数は少ないが、挟み撃ちにされた黒田軍の兵士達に動揺が走る。

 刻一刻と変わっていく状況の変化に、儂は当初の計画を捨てた。

(……うむ。ここが潮時か。最初の一撃で決められなかったのだ。致し方ない)

 儂の武力では、真正面から官兵衛の首を取ることは出来ぬ。それこそ、家臣達が手傷を負わせて弱らせたところを、横から止めをかっ攫うくらいで無くては不可能だろう。ここは、大人しく機を待つしか――っ!?

 刹那、強烈な痛みが全身を襲う。

「――ッ!? ゲホッ……ゴフッ……ッ」

「殿っ!? 」

 咄嗟に防いだ右手の血に汚れる。視界が歪む。ふらつく身体。重心を支える為に愛馬の首筋に手を置くと、愛馬は儂を心配するように鳴く。

 そんな儂の姿に、官兵衛はニヤリと笑った。

「やはり、無理をしていたようですなぁ。その包帯も見せかけでは無い様子。……流石に、あの火事から無傷での生還は不可能でしたか」

「……チッ」

 乱暴に口元を拭うと、舌打ちをしながら忌々しげに官兵衛を睨みつける。

 当たり前じゃあ。あんな一面火の海の中、無傷で済む筈が無かろうが。そもそも、儂を殺すつもりで火を放っておいて、どの面下げて言うてるんじゃ。阿呆んだらぁ!

「殿っ! 今、そちらに――」

 こちらへ駆け寄ろうとする小六は、視線で制した。今、お前が前線から退いたら均衡が崩れるだけじゃろうが。

(……もって、半刻といったところか)

 軽く右手を握る。僅かな痺れ。腕に巻かれた包帯からは、滲み出るような出血がみられた。やはり、この身体では無理は出来ぬ。

(……いや、本来ならば立つことすらままならぬ大怪我を負っていたのだ。こうして、戦場に立てているだけ儲けものよ)

 腹に力を込めて背筋を伸ばす。目の前には、何かの実験台を見るような視線を向ける官兵衛の姿があった。それを前に、儂は不敵に笑ってみせる。

「他愛ない。この程度の傷、貴様を相手取るには丁度いい足枷よ」

「……ほう」

 槍を構える儂に、官兵衛は含みのある視線を向けた。おそらく、儂の身体の状態を凡そ察しておるのだろう。

 今、儂の身体を動かしているのは気力のみ。命を燃やしながらこの場に立っておる。

 ……退く訳にはいかぬ。例え、ここで命が燃え尽きようとも戦わねばならぬのだ。今、ここで官兵衛を止められねば、勢いそのまま畿内を通過して安土城へ至るだろう。

 それだけは許さぬ。

 あの子は、儂にとって最後の希望じゃ!

「官兵衛、貴様はここで殺す。この命に替えても、貴様だけは必ず殺す。主君に牙を剥いた罪、その身に刻んでから地獄へ堕ちるが良い! 」

 全身に走る痛みを怒りで押し潰し、殺意を溢れ出させながら槍を構えた。



 それは、又左や権六殿から見ればあまりにも不格好な構えだろう。怒りに身を任せた結果、利き手は柄を握り潰さんばかりに力んでおるし、視界は真っ赤に染まって官兵衛だけを映しておる。

 だが、儂はそれで構わなかった。

 寧ろ、こうでもしなければ同じ土俵には立てぬ。官兵衛は、軍師と言えども儂と違って武術を収めし者なのだから、文字通り全身全霊をかけねば容易く切り捨てられるだろう。

(であれば、最初から攻撃だけを考えておけばそれで良い。下手な防御は考えるな。儂には、太刀筋を見切る眼も、捌く技量も無いのだ。所詮、この身体は既に死に体よ。今更惜しむモノでも無いわ! )

 カッと、身体の中心から熱が溢れる。

 相討ち上等。更に前のめりになる儂の姿に、官兵衛はより一層笑みを深めた。

「どうやら、それが最後の一振りなようですね。手負いの獅子が最も恐ろしい。私も、全力でお相手致しましょう。……ですが、やはり一点腑に落ちないことがございます」

「……なんだ」

「いや、単純な話ですよ。何故、貴方はまだ生きているのですか? あの傷で、あの業火の中に一人残されて。何故、その程度の傷で済んでいるのか。……それだけが、幾ら考えても検討がつきませぬ。あそこにいる蜂須賀殿とて、救出が間に合うとは思えませぬ」

「……ふっ。なんだ、そんなことか」

 首を傾げる官兵衛に、儂はあの夜のことを思い出しながら笑みを浮かべた。

「なぁに、簡単なことよ。儂も、お主も、あの一族の主君に対する忠義を侮っていた。……ただ、それだけのこと」

「……はて? それは、一体誰の――」

 官兵衛の言葉を遮るように、儂の背から馬の嘶く声が聞こえた。数十騎の足音。増援かと視線を向けた官兵衛の表情が驚愕に歪み、そして腹を抱えて笑いだした。

「くっくっく……くはははははははっ!! よもや、よもやとんだ珍客が現れたものよ! そうか、そうか。そなたが、あの火の海の中から藤吉郎様を救出されたのか。よりにもよって、織田家を裏切った大罪人の血を引くそなたが!! 」

「……ええ、左様にございます。それが、亡き父上の遺志にございます故」

 若き武者が隣りに立つ。

 その瞳には、一点の曇りも無い。

「明智十兵衛光秀が嫡男 明智十五郎光慶。織田家の危機と知り、僅かながら手勢を率いて馳せ参じた次第。……羽柴様、共に戦いましょうぞ」

「……うむ。忝ない」

 方や槍を、方や刀を構えて敵を見据える。


 役者は揃った。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 秀吉の生存と明智光慶の助太刀。 [一言] 光慶君、本当に有り難いです。父親の汚名をすすぐ機会は官兵衛と反逆者を打ちのめせば十分です。 秀吉、史実の太閤殿下の尽力を見せつけたれ。官兵衛は周り…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ