12話
天正十二年五月十九日 加賀国 金沢平野。
その日、織田家を代表する武将同士が、この金沢の地で対峙した。
北は、加賀国を治める闘将 佐々成政。
南は、槍の又左の異名を持つ豪傑 前田利家。
率いる軍勢は共に三千。共に織田家に忠誠を誓い、共に若かりし頃より信長の背を追った。晴れの日も、風の日も、雨の日も、雪の日も共に戦場を駆けた。果てなき荒野へがむしゃらに駆けた。幾度も模擬戦を繰り返した。勝った負けたを繰り返した。反りが合わず、顔を見合わせば喧嘩を繰り返した。
そんな自他ともに認める宿敵同士は、奇しくも鏡写しのように本陣にて椅子に腰掛けながら瞑想していた。
「又左……」
「内蔵助……」
呟くと同時に膨れ上がる闘気が、向かい合わせる両軍の狭間で衝突する。風になびく馬印。刻一刻と戦場に漂う緊張感が高まり、今にもはち切れそうになった……刹那、大地を震わせるような法螺貝の音が響き渡った。
『…………いざ、参らん』
利家と成政。両者の瞳が同時に開かれると、ゆっくりと立ち上がり小さく呟く。踏み締めたその一歩は決別の証であった。
***
午の刻。
「……おい、これどうなっているんだ? 法螺貝は鳴ったよな? 」
「なら行くか? 」
「馬鹿野郎。一人で突っ込んだところで無駄死にだろうが。今は、指示を待とうぜ」
ザワザワと兵士達の間に動揺が走る。足軽達は槍を構えたまま顔を見合わせ、弓兵達は構えを解いて指揮官へと視線を向ける。しかし、侍大将達は馬上に跨ったまま動かない。ただ、真っ直ぐに腕を組んだまま戦場の中央へ視線を向けていた。
そこに居たのは、両軍の大将同士。前田利家と佐々成政。有り得べからざる光景だ。既に陣が展開されたこの状況で、大将同士が顔を突き合わせるなんて。
だが、そんな嘘みたいな光景が確かにあった。両者、共に相手の間合いの一歩外に立つ。幾千もの模擬戦の果てに、自然と足はその場所で止まっていた。
初めに、成政が口を開く。
「この地は、我が領土加賀国である。そこに、貴様は軍勢を率いて立ち入ったのだ。これは、どういった了見か説明して貰おうか! 」
成政が、ドンッと槍の柄を地面に叩き付けて吠えれば、負けじと利家も返す。
「たわけ! 先に兵を上げたのは貴様の方だろうが! 俺が北上しなければ、戦場は加賀国から越前国へと移っていただけ。そのような分かりきった事をわざわざ問うな! 」
それに……と、利家はニヤリと笑う。
「合戦の際は、必ず敵の領内に踏み込んで戦うべきだ。結果はどうあれ、戦場になった場所は戦火に呑まれて荒れ果てる。自ら国を荒らすのは、ただのうつけよ。誠に賢い者ならば、僅かでも自分の領国へ踏み込まれてはならない。そう、上様は言っておられただろうに。そんな大事な事も忘れたのか、内蔵助? ……織田家への忠義と共に」
「……なに? 」
成政の眉がピクリと跳ねる。放たれる覇気の奥底に、隠しきれぬ怒気を利家は感じ取った。しかし、それを敢えて無視して続ける。
「しらばっくれるな! 内蔵助、貴様が件の謀反に関わっている事は一連の行動から察しておるわ! とんだ不忠者よ。越後にて騒動を起こして親父殿の動きを封じ、その隙を突いて挙兵するとはな。何たることか。上様も、奇妙様もさぞ嘆かれておろう」
「…………違うっ! 俺は……俺は……っ」
ミシリと、成政は俯いたまま柄を握り締める。
「俺は、織田家への忠義を捨てた訳では……無い」
何かを耐えるように、振り絞るような声音でソレを否定する成政。しかし、それを聞いた利家の目は吊り上がり、左手を大きく横に振りながら激昂した。
「では、何故挙兵した! この先にあるのは、我らが仕えし主君 三法師様が治める安土ぞ! 織田家への忠義を捨てていないのならば、何故、貴様はこの先へ進もうとする! 何故、秘密裏に兵を集める必要があった! 何故、事前に俺に対して越前国を通過させて欲しいと使者を遣わさなかった!! 」
「…………それは、敵に俺の行動を悟られぬ為だ。全ては、三法師様を安土城より救出し、我が加賀国へ迎える為に行ったこと。謀反では……無いっ」
「違うな! 一連の動きは、貴様が織田信雄に組みして主家を乗ってろうとしたからでは無いのか!! この、舐め腐った文に書かれているようにな!! 」
「…………っ」
利家は、胸元から一枚の文を取り出して成政へ突き付ける。成政の瞳が僅かに揺れた。
それは、織田信雄が各地の大名家や国人衆へ送り付けた怪文書。織田家本家への宣戦布告。その大義名分は、幼き主君を傀儡化している四大老を打ち倒し、囚われた主君をお救いするというもの。真実を知る利家にとって、信雄の言い分は決して許せぬ主君への侮辱であった。
それ故に、この文を受け取った瞬間、利家は衝動的に破り捨ててやりたくなった。しかし、その直前に三法師子飼いの忍びの存在が脳裏を掠める。もしかしたら、彼女達が自分を訪ねてくるかもしれない……と。
結果、彼女達は利家の下を訪れた。利家は、この異変を三法師へ知らせる為に文を託せた。
では、今、利家が成政へ突き付けている文は誰の物か。それは、利家の援軍に駆け付けた国人衆の一人が持っていた物。信雄は、手当り次第に怪文書をばらまいていたのだ。腹立たしいことに。
しかし、それは利家にある確信を抱かせる切っ掛けとなる。加賀国にて挙兵した佐々成政。彼もまた、その文を受け取っている確信を。
利家の顔が歪む。それと同時に、文を持った左手で胸元を掻き抱く。クシャりと文に深い皺が出来た。
「内蔵助。お前も……見ただろう? 必死に不安を押し殺しながら、織田家当主という重荷を自ら背負って歩く三法師様の御姿を。貴様も見ただろう。助けてくれと。どうか、力を貸して欲しいと頭を下げる三法師様の御姿を。……確かに、今の三法師様には上様のような皆を引っ張る力は無い。だが……っ、だがな! その瞳には眩い光があった! その言葉には陽射しのような暖かさがあった! この人を支えたいと心から思えた! 内蔵助……お前もそうじゃ無かったのかっ!! 」
「…………っ」
利家の魂の叫びは、訴えかけるように成政の心の一番柔らかい場所を貫く。唸り、俯き、瞳は揺れて、半歩後退る。その僅かに見せた隙を突くように、利家は畳み掛ける。
「黙って無いで答えろ、内蔵助ぇ!! 」
「…………お、俺は……っ、俺は……っ! 」
「何故、三法師様を裏切ったんだ!! 」
「…………っ!! 」
その言葉が引き金となった。
ドンッ! と、俯きながら足を踏み締める成政。地面はひび割れ、砂煙が足元を漂う。張り詰めた空気が流れ、先程までとは明らかに様子が一変していた。
「……此処で、貴様を討ち取る。俺が成すべき事は、ただそれだけだ」
それは、氷のような感情のこもっていない無機質な声音。成政は、そう吐き捨てるように呟くと、深く腰を落として槍を構える。気配が変わる。影から覗く瞳は黒く澱み、放たれる闘気に殺意が込められる。
それを見た利家は、唇を噛み締めながら嘆く。
「最早、語り合う気は無い……か」
成政の変貌に応じるように利家も構える。左手を突き出し、腰を落として半身になる。
「お前がその気なら乗ってやるよ。……だが、決着は俺達二人の一騎打ちで決めよう。お前の考えなんて知ったことじゃねぇが、お前の勝手な私情に兵士達を巻き込むな。……それに、この場にいる多くの者達は、共に北陸戦線を駆けた仲間達ばかりだ。指示されたからといって、簡単に相手を殺せる奴なんて一人もいないだろうからな」
「…………良いだろう」
成政が同意すると、両軍の足軽達は一斉に構えを解いた。その顔には、利家の言うように明らかに安堵の表情が浮かんでいた。
それを見届けた利家は、覚悟を決めて足を一歩踏み込んだ。成政も、同様に足を踏み出す。互いの境界が重なり合う。必殺の間合い。もう、後戻りは出来ない。
されど、利家は不敵に笑う。
「織田家への忠義を忘れ、躊躇無く仲間を斬り捨てる決断を下し、信雄に呼応して三法師様へ反旗を翻す。その理由を語ることは無く、ただ此処で俺を倒すのが役目だって? 」
「…………だから、どうした」
「……ならよ。なんで、そんなに泣きそうな顔してんだよ。馬鹿が」
「…………っ!? 」
刹那、利家の闘気が膨れ上がる。
「悪いが、そんな馬鹿には、ちぃとばかし痛い目にあって貰うぜ! ……我が名は、織田家重臣 前田又左利家。越前国を治めし者! 佐々内蔵助成政の一番の宿敵也り!! いざ、尋常にぃ……参るっ!! 」
「……来い、又左ぁ!! 」
大地が爆ぜ、戦場の中央で両者の槍が激突した。