10話
天正十二年五月二十日 安土城
あれから一時間半後、城内の一室に煌びやかな鎧を身にまとった幼子の姿があった。
「殿、良くお似合いで」
「えぇ! 素敵ですよ! 」
「……うん。ありがとう。高丸、雪。……だけど、やっぱり少し恥ずかしいなぁ」
手放しで褒め称える二人に、何だかこそばゆくなって頬を掻く。正直、ここに鏡があったらまともに直視出来ないだろうと確信している。そりゃもう、黒歴史間違い無しだ。
(だって……この大層立派な甲冑が、この小さな身体にはあまりにも不釣り合いなんだよ。……何だろう、この隠しきれない七五三感は……)
両手を上げ、キョロキョロと視線を動かしては、ガックリと肩を落とす。やたら豪勢な装飾が施されているのが、より一層服に着せられている感が強まっているのだ。とっつぁん坊やである。
そんな気持ちを隠す事が出来なかったのか、二人は慌てて励ましてくる。
「だ、大丈夫ですよ、殿! おかしな所なんて何一つございません! 煌びやかな鎧を身に纏う殿の御姿は、まさに大軍を率いる大将に相応しい装いですよ!? ほら、隣りの部屋から姿見を持って参りました! 見てください、とてもご立派ですよ!? 」
「そうですよ!? ……ぇと、鎧自体凄く輝いてますし!? ……ぁとー殿が好きな緑が渋……い? と、思いますし!? ……ぁと、その……こんな甲冑でも見事に着こなせる殿は、本当に凄いですよ! 雪は、感服致しました!! 」
「……雪、それは褒めて無いよね? あと、高丸。その姿見は直ぐに仕舞って。お願いだから」
「……はぅっ!? 」
「も、申し訳ございません」
下手くそなお世辞を言う雪と、寧ろ傷付いた心にとどめを刺した高丸は、慌てて弁明を始めた。
そんな二人を見ながら、ハハッ……と、儚げな笑みを零す。大軍を率いる大将に相応しい装い……か。そうだよなぁ。大将が着物って訳にはいかんよなぁ。いや、分かるのよ?安全性的にも、こんなんでも着物一枚よりは遥かに身を守れることくらい。
ただ――
(だけど、これ鍍金だし……パチモンだし……)
この、こうじゃない感は何とか出来ないのかと思っちゃうんだよね。いつの時代も甲冑って男のロマンだし、実際にこの時代に転生して父さんや爺さんの戦装束を見た時、少しばかり憧れを感じていたんだよなぁ。良いなー、カッコイイなー、俺もいつか着るのかなーって。
ただ、現実はこんなもんだった。
それだけの話さ。
虚空を見詰めながら乾いた笑い声を零す幼子。そこには、数十分前の凛々しくも雄々しい大将の姿など欠片も無かった。
そう、これは勝蔵や五郎左達が身に纏う本物とは違って、限界ギリギリまで鉄を薄く伸ばして軽量化した代物。身体の未熟な幼子には、あんな重い甲冑を身に纏うなど到底不可能だと結論付けられ、一流の鍛冶師によって拵えた特注品である。
ちなみに、この甲冑が製作が開始されたのは三年前。あの地獄のようだった馬揃が終わった後、どうせならと爺さんが今井宗久に命じて用意させたのだ。何がどうせなのか。
とまぁ……それ故に、このド派手な装飾は完全に爺さんの趣味である。正直、この甲冑は着たいとは思わない。
しかし、一応こんなんでも爺さんとの思い出の品である。捨てるのはなんか嫌だったので、倉の奥深くに眠らせていたのだ。
……まぁ、案の定後悔している訳だが。
(姿見に映る自分の姿がさ、前世のおばあちゃん家の床の間に飾られていた自分の七五三の写真そのまんまなんだよね……。あの時感じたモヤモヤを、生まれ変わっても味わう羽目になるなんて思わなかったよ。……うん)
と、まぁ気落ちしていたものの、間近でオロオロとしている二人を見て、そろそろ揶揄うのも終わりにしてあげようかと笑った。
「さて、良い感じに緊張も解れたし、そろそろ湊へ向かおうか? 」
『……え? 』
ピシッと固まる二人の肩を、クスクスと笑いながら叩く。
「冗談だよ、冗談。流石に、この状況で我儘を言うほど愚か者では無いよ。……ただ、二人共目に見えて緊張しているからね。少しばかり揶揄っただけだよ」
『さ、左様でしたか……』
ホッと安堵の溜め息を吐く二人。まぁ、元々俺がこの甲冑を好んでいなかった事は周知の事実だし、装着中も嫌な顔をしていたから気が気で無かったのだろう。
すると、どことなく顔色が良くなった雪が、胸元で指を弄りながらおずおずと話を切り出した。
「で、では! これを機に、これからはもっともっと色々な着物を着てみませんか? 殿でしたら、流行りの色や派手な色、蒼や紺色の落ち着きのある色合いもきっとお似合いですよ? お市様や奥方様、松殿や椿殿も殿にはもっと着飾って欲しいと様々な品を今井殿に用意させておりまして――「それは、嫌かな」……っ!? そ、そんな〜」
最初はしどろもどろだったのに、段々と興奮したのか早口になっていく雪に、俺は話をぶった切って断固拒否する。すると、それを見守っていた高丸が突如として腹を抱えながら吹き出した。
「ぶふぅ……っ!? くっ……くくっ……くっはっはっはっは! 」
「なぁ……っ!! ちょっと兄さん、そんなに笑わなくても言いじゃない! この! このぉ! 」
「ちょ……まぁ……っ、悪かったよ、悪かったって! だから、俺に八つ当たりするのは止めろっての! 地味に痛いんだよ! 」
「……なっ! ……らっ! 避け……ないで……よ!! 」
「無茶言うなっ!? 」
羞恥で顔を真っ赤に染めながら殴りかかる雪に、それを笑いながら避ける高丸。目の前で繰り広げられる年相応な兄妹喧嘩に、俺は目尻を下げながら温かく見守っていた。
今、二人の瞳には、いつも通りの色が戻っている。つい先程まであった焦燥感は、きれいさっぱり消え失せていた。
その事実に胸を撫で下ろす。
(あぁ、良かった。これなら大丈夫そうだ。まぁ、仕方ないよね。二人共これが初陣でありながら、よりにもよって戦う事も出来ない護衛対象を抱えた身なんだ。そりゃ、緊張に呑まれちゃうよな)
うんうんと頷きながらも、少し申し訳ない気持ちが芽生える。二人には苦労をかける。しかし、二人が居なければ俺は自分の命を守ることは出来ない。この戦には、二人の力が必要不可欠なんだ。
(だから、もう少しだけ頼んだよ……雪、高丸。これが、最初で最後だから)
こんな事、二人には絶対言えないから秘密にする。きっと、これは二人が向けてくれる忠義への侮辱だから……ね。
そんな事を思いながら二人のじゃれ合いを眺めていると、不意に背後の襖が開く。誰かと視線を向ければ、そこには兜を持った藤姫と小太刀を持った甲斐姫の姿があった。
「あれ? 藤と甲斐じゃないか。どうしたの? 」
『あっ、旦那様! 良かった、こちらにいらしたのですね? 』
二人は俺と視線が合わさると、満面の笑みを浮かべながらトテトテと歩み寄って来た。どうやら、中々着替えの終わらない様子に心配になって足を運んだらしい。ちゃんと着替えの済ました俺の姿に、二人は心底安堵した様子だった。
「旦那様、後はこちらの小太刀と兜を身に付ければ準備完了ですよ! 」
「丹羽様以下、一同出立の準備は整っておりますわ」
「うん、ありがとう。待たせてごめんね。直ぐに向かうよ」
『いえ、お気になさらず』
頬をかきながら遅れた事を詫びると、二人は一切咎める事は無かった。しかし、中々移動しない俺を不思議に思った二人は、身体を逸らして視線を向ける。そこには、未だに繰り広げられる兄妹喧嘩の姿があった。
『……旦那様』
「まぁ、もうちょっとで終わると思うよ。……はは」
誤魔化すように視線を逸らすと、甲斐姫はやれやれと肩を竦めて小太刀を藤姫に手渡した。
「申し訳ございません。藤姫様、しばしの間こちらを預かってていただけますか? 」
「えぇ、構わないわ」
「感謝致します。……では、旦那様行って参ります」
「あぁ……うん。頼んだよ」
俺の了承を得た甲斐姫の笑みが深まると、一歩力強く二人の方へと足を踏み込んだ。