25話
天正九年 六月 森勝蔵長可
見渡す限りの大海原、行先は遥か彼方の相模の国。まさか、某がかような遠い国に行くことになるなど、夢にも思わなかった。
思えば、若様との出会いが全ての始まりだったのかも知れん。
若様に出会ったのは、五ヶ月程前だっただろうか。 あの頃の某は、これからどうすれば良いのか分からなくなっていた。
某が十三の時に父上が亡くなり、急ではあったが元服し家督を継ぐ事になった。
父上が亡くなった事は確かに悲しかったが、それ以上に誇らしかった。主家への忠義の為、万を越す敵勢を僅かな手勢で見事食い止めてみせたのだ。
上様や重臣様方は、父上の死に涙を流し冥福を祈って下さり、弟達の面倒まで見ていただける御配慮まで賜った。
これはひとえに父上の人徳が成せたモノだろう。いつか、父上の様な素晴らしい武将になりたい、そう日々精進し続け十年の月日が流れた。
最初は気楽でよかった。愛槍『人間無骨』を片手に、並み居る敵勢を薙ぎ払い、戦場を血で染めてきた。
織田家の敵を切って切って切って……ふと、我に返った時に、後ろを振り向いてしまった。
何も無かった。
何も無かったのだ……某が切り開いたその先に幸せなど無く、ただただ屍が転がるのみ。
気付けば敵勢のみならず、同僚までもが某に恐れを抱き、近寄ろうとはしなくなっていた。
こんな筈ではなかったのだ! 父上の様な民からも、仲間からも慕われる、そんな武将になりたかった。某は何が間違っていたのだろうか……この十年は一体なんだったのだろうか。
父上は『攻めの三左』と謳われた強者だったが、知に長け政にも優れた人だった。だが、某には槍しかなく、それも某より強い者等いくらでもいる。このままではいけないと、様々な方に師事を仰いだが結果は出なかった。
明智様の様な慈悲深い統治も、柴田様の様な圧倒的な武勇も、丹羽様の様な優れた智謀も、羽柴様の様な温かみのある人柄も、某には中途半端に真似する事しか出来なかった。
そんな時、忠三郎に出会った。上様が是非とも娘婿にと望んだ類稀な才能の持ち主、文武両道清廉潔白、民からも同僚からも愛される忠三郎は、某が望んだ全てを兼ね備えていた。
最初は確かに妬んだ。だが、それ以上に自分が情けなかった。
理想を追い求めるもそれは叶わず、あまつさえ成功者を見てそれを妬む等、天にいる父上になんと申せば良いのか! 某はこんなにも意地汚い人間になってしまった、そう思うと情けなくてしょうがなかった。
きっと、忠三郎はこれから先、何百、何千という命を救う事が出来るだろう。しかし、某はせいぜい二、三十の首を落とすのが精一杯。
それでも、理想に辿り着こうと必死で足掻いていた時、若様に出会ったのだ。
それからは、毎日が驚きの連続だった。
一つしか出来ないなら、それを極めてみせろと道を示してくださった若様に、どうにかして報いようと必死に鍛錬をした。
若様が発案された『べーしきぶーときゃんぷ』や『きんにくのびがく』なるモノは、某の様な無知な者では到底計り知れない叡智の結晶だった。
若様の指示通りに肉を食い、干物や山菜等を食べた後はよく寝て、よく鍛錬してをひたすら繰り返していた。
そんなある日、某は自らの身体の変化に愕然としてしまった。ほんの二ヶ月前と比べると身体は一回りはでかくなり、明らかに突きの鋭さが何段階も磨かれていたのだ!
若様に着いていけば、某は至高の領域に辿り着ける! そう確信した某は人知れず涙を流した。
だが、某は停滞してしまった。
若様直伝の鍛錬法は素晴らしい物だ。槍の腕前もみるみる上昇しているのは実感出来た。
しかし、慶次殿には一度も勝てないでいた。何度も何度も、毎日の様に模擬戦をすれども、積み上がっていくのは黒星のみ。実に五百戦全敗であった。
「おめぇさんまだやるのかい? 」
その日も、泥まみれになりながら慶次殿に挑み、呆気なく敗れていた。確かに身体はもう限界だ、足は震え握力等とうの昔に消えている。
だが、某は鍛錬するしか無いのだ。
「もう……某には若様が授けてくださった……はぁ、はぁ……この鍛錬法しかないのですっ! これでも……届かぬと言うなら、はぁはぁ……某はどうすれば良いのだっ! 」
道は確かにある筈なのだ、未だ至れぬのは己の未熟故……ならば進み続けるしかないでは無いか!
「はぁ……止めだ止め。これ以上やっても無駄だ、続きはまた明日な」
慶次殿はそういって立ち去ろうとする。待ってくれ! 某はまだやれるんだ、まだ足掻けるんだ!
「慶次殿……どうか、どうかお願いします。はぁはぁ……鍛錬を……」
某はなけなしの体力を振り絞って、土下座していると、不意に慶次殿の足音が消えた。立ち止まってくれたのかと、顔をあげようとした瞬間、凄まじい衝撃が首の辺りを襲い、某は意識を手放してしまった。
「……全く世話のかかる奴だな……」
……どのくらい時が経っていただろうか、不意に意識を取り戻すと、既に日は落ちていて某は慶次殿に担がれていた。
辺りを見渡すと、何処かの町中だろうか? 何やら怪しげな雰囲気のある場所だった。
「んあ? 何だ起きたか、えらいよく眠っていたなぁ。疲れが溜まってんじゃねぇか? 」
「あの……慶次殿、ここは? 」
「色町だな」
いろまち……色町!? 何故そんな所にいるのだ!? 某はそういう事をしている暇は無いのだぞ!
「け、慶次殿!? 降ろしてくだされ! 某そういうのは! 」
「カッカッカッ! なぁに心配いらねぇよ。全部俺に任せときな」
こちらがいくら力を入れても、全然びくともしない。ぬぅ、慶次殿の顔は見えないが、馬鹿にしているのは何となく分かる。
はぁ……なすがままにするしかないか。
暫く歩いていると、不意に慶次殿は立ち止まった。
「っと、着いたぜ勝蔵。ほれ早く降りろ」
乱暴に放り投げられ、つい慶次殿を憎たらしげに睨んでしまったのは、致し方ない事だろう。
全くここは何処なのかと、辺りを見渡すとこじんまりとした離れがみえた。
「慶次殿、ここは? 」
「あぁ知り合いの離れを借りたんだ。ほれ、早く来い」
不承不承としながら離れの中に入ると、そこには茶道具一式が揃っていた。
あまりにも予想外な光景に、己の勘違いを悟り顔が赤くなっていると、そんな某の心の内はお見通しだと言わんばかりに、慶次殿はいやらしい笑みを浮かべていた。
こいつっ!
「カッカッカッ! ほれ、茶を入れてやるから早く座れ」
「……では、有難く」
ここまで来たのだからと、致し方なく座ると、慶次殿は静かに茶を立て始めた。
慶次殿の一連の動きは、実に洗練されていて作法を熟知している事がうかがえた。某も、茶道は嗜んでいるが、某とは比べ物にならない程美しい所作であった。
慶次殿は、見た目からは想像出来ないほど文に優れていて、そんな慶次殿はある種、某の理想形でもあった。
暫く、この静かな時間を楽しんでいると、慶次殿の茶が出来上がり、某の前に出された。一口飲み、ホッと一息を入れる。
「お加減は如何でしょうか?」
「大変結構でございます。……慶次殿、某をここまで連れてきたのは何故ですか? 」
茶は確かに美味かった。絶品と言って良いだろう、だが慶次殿の意図がまるで分からんのだ。
「勝蔵、そんな生き急ぐな」
「……っ! 」
慶次殿はいつもの様子では、想像出来ないほど穏やかな表情を浮かべていた。その姿はどこか、父上に似ているように思えた。
「勝蔵、お前は槍に気持ちを乗せすぎている。故に軌道が読みやすく、単調な動きが目立つのだ。それはひとえに焦りからくるものだろう」
「……某は間違っていたのでしょうか……ただただ我武者羅に鍛錬に打ち込んでいた十年は、一体なんだったのでしょうか……」
某の十年は無駄だったのか……そう思うと、不意に足場が崩れ去る音が聞こえた気がした。どうすれば、どうすれば良いんだ! これでは、若様や父上に顔向けが出来ないっ!
悔しくて悔しくて、涙が止まらなかった。そんな、某の肩に大きくて温かい手が乗っかった。
「馬鹿だな、無駄なんかじゃねぇよ。勝蔵の努力は、ずっとお前さんの中に残っている。これから先もお前さんの力になってくれるさ」
「勝蔵、緩急を覚えろ。何事にも突っ走っていたら、確実に転んでしまう。もしかしたら、立ち直れない程の怪我をするやもしれん。……俺も小童も心配しているんだぞ」
「若様が……」
「あぁ、どうにかして息抜きさせてこいとさ。勝蔵はおーばーわーくなんだとよ」
ぐっ!……若様、申し訳ございません! 己の体調管理もままならず、主人に気を遣わせるなんて、恥ずかしい限りです。
「はぁ……小童からの言伝だ。一度しか言わんぞ」
若様の? そう思って慶次殿の顔を見ると、そこにはなんとも慈愛に満ちた姿があった。
『勝蔵、人生は何処までも果てしなく続いているんだ。焦らなくていい、どんなに遅い歩みでも良いんだ。肩の力を抜いて行こう、私も一緒に歩んであげるから』
「あぁ……ああああああああぁぁぁっ! 」
嬉しくて、嬉しくて涙が止まらなかった。こんな某と共に歩んでくれる人がいるだなんて、夢にも思わなかった。
慶次殿は、泣き崩れる某を温かく支えてくださった。あぁここにもいたのだ、いやきっと某が見えていなかっただけで、他にも某を支え共に歩んでくれる人はいたのだろう。
某はなんと愚かで、幸せ者なのかっ!
この気持ちをずっと大切に守っていこう。気付かせてくださった若様に、生涯尽くしていこう。いつか、父上に会った時に胸を張れるようになろう。そう、固く決心した。
「かつぞう、どうしたのだ? 」
ふと、気が付いたら目の前に若様が立っておられた。あぁどうやら、いつの間にかあの日の事を思い出していたようだ。
「申し訳ございません。少々考え込んでおりました」
「だいじょうぶなのか? 」
「えぇ、ご心配をおかけ致しました」
「ならばよいが……」
心配そうにこちらを伺う若様を見ていると、とても愛おしく思ってくる。いつか、この恩義に報いてみせまする。
某は凡人だ。歩みは亀の如く遅い、されどその歩みは決して止まる事は無い。
もう、心に焔を灯していただけたのだから。




