1話
天正十二年五月二十日 安土城
その一報が届いたのは、良く晴れた日の昼下がりの頃。昼餉を終えた俺は、いつものように政務に明け暮れていた。
「――では、このように指示を出して参ります」
「うむ。頼んだぞ」
「ははっ」
五郎左から文を受け取った文官が、足早に広間から立ち去っていく。俺は、その横で皆から上げられた報告を精査し、適正に処理していく。広間に居る文官は二十人。等間隔に並べられた長机にてそれぞれ業務にあたり、小姓を介して下の部署に指示を出していく。その流れに淀みは無く、それぞれが慣れた手付きで政務に励んでいる。
そんな最中、突如として城内が騒がしくなった。
『――ぃ! ――れぃっ!! 』
「……ん? 何だ? 」
ザワザワとどよめきが波のように広がっていき、急いでいるのか凄い速度で足音がこちらへ向かって来る。そして、足音が襖の直前で止まると、何やら騒がしい話し声が聞こえ始め、遂には勢い良くその襖が開かれた。
「殿、失礼致しますっ!! 」
「……梅? 」
「ははっ! 白百合隊三日月 梅にございます! 此度は、火急の用にて、急ぎ殿の御前に参上仕りました!! ご無礼、どうかお許しくださいませ!! 」
息を荒らげながら現れたのは、白百合隊を束ねる三人の女傑『三日月』の一角を担う梅であった。その背後には、これまた息を荒らげている雪が見える。
「これ! 三法師様の御前であらせられるぞ! せめて身なりを整えぬか! はした――「五郎左、大丈夫だから」……ははっ、失礼致しました」
「梅、何があったんだい? 」
突然の出来事に眉をひそめる五郎左を落ち着かせ、梅に話の先を促す。梅には、日頃は里の経営を任せていたが、先日から堺に伝令役として待機させていた。その梅が、息を荒らげながら登城したのだ。要件は自ずと見えてくる。
梅は、失礼致しますと一言詫びると俺の前まで参上し、深々と平伏する。そして、皆に聞こえるようにハッキリとそれを告げた。
「報告致しますっ! 先程、大和守様より伝令が参りました! ……先日、織田軍は臼杵城を攻め落とし、朝敵大友宗麟並びに大友義統を討ち取ったとのことっ!! 大友家重臣達も共に討ち取り、敵軍は壊滅。城攻めでございましたが、味方の損害は最低限に収まっており、御味方大勝利にございますっ!! 」
「…………っ!! 」
その言葉に勢い良く立ち上がる。その反動で書類が畳の上に散らばってしまったが、そんなモノ一切気にならなかった。
『か、勝った……? 勝ったのか……っ、ぉお……ううううおぉぉおおおおっ!! 天下一統じゃあああああああっ!!! 』
一拍遅れて文官達の感情が爆発する。隣りに座る五郎左も目頭を押さえて俯いており、雪も肩を震わせながらほろりと涙を流す。
……無理も無い。最早、この日ノ本に織田家に敵対する勢力が大友家以外いない以上、大友征伐の成功は即ち天下統一を意味する。爺さんが掲げた織田家の悲願が成就したのだ。こんな時くらい人目もはばからず涙を流しても、誰も冷やかしたりしないさ。
俺もまた、その一人。
「さ、三法師様。遂に、遂にこの日が来たのですね……っ。織田家が、尾張国の小さな領地を治めるのが精一杯だったあの織田家が、この日ノ本を統一する時がっ! …………おめでとうございます、三法師様。先代様も……先代様も、きっと草葉の陰から喜んでおりましょうぞっ!! ぅ、ぅぅ……上様ぁ……あぁぁ……うぅ……っ」
「……余は、ちゃんとやれただろうか? 父上や爺さまは喜んでくれるだろうか? 」
「えぇ、えぇ。必ずやお喜びになりましょう! 子が、己の意志を継ぎ大望を果たしたのです。これを喜ばぬ親はおりませぬよ! 」
「そうか。それなら、良かった……っ」
二筋の涙が頬を伝う。その涙を見て、五郎左は何かを思い出すように声を上げて涙を流した。
もう、人前で泣くつもりは無かった。親父が死んで爺さんの記憶が失われた時、これから織田家当主としてやっていくのだから、家臣達に情けないところは見せられないと誓った。月明かりに照らされたあの夜、強くなろうと誓ったんだ。
(……だけど、今日くらいは良いよね? )
俺の夢。天下泰平を叶えるまでまだまだ先は長いし、言うなればスタートラインに立てただけかも知れないけど。それでも、今日だけはこの喜びをただただ噛み締めたい。明日からまた、夢への旅路を歩み始める為に。
――この時、俺は忘れていたんだ。この世界は、どこまでも理不尽に溢れた残酷な世界だと言うことを。虎視眈々と己が首を狙う死神の存在を。
勝利の余韻に浸る最中、突如として廊下を走る足音が響き、何事かと正気に戻る。そして、その者達は入口に居る雪を押し倒すように広間へなだれ込んで来た。
「失礼致すっ!! 殿、一大事にございますっ! 」
「大変でございますっ!! 」
「殿っ! 御報告致したい事がございますっ! 」
「鈴蘭、朝顔、蓮……? どうしたんだい? 」
現れたのは、白百合隊十傑の三人。それぞれ顔面蒼白で怯えるように身体を震わせており、尋常では無いと直ぐに悟れた。俺は、直ぐに三人の側へ駆け寄り視線を合わせると、三人は深く息を吐いて呼吸を整え、鈴蘭から口を開いた。
「ほ、報告致します。尾張国小牧山城にて、織田三介信雄殿が挙兵致しました。その数、凡そ五千余り。その場で、大和守様並びに四大老様方に対し宣戦布告を成されました。要求は、織田家当主 三法師様と安土城の引き渡し。信雄殿は、今の織田政権は大和守様と四大老様方による傀儡政権であり、これは明確な主家の乗っ取り。謀反であると主張。自らを、正統な後見人にせよと申しております! 」
『な、何だとっ!? 』
「……であるか。やはり、三介叔父上は敵対の道を進むんだね。…………皆、落ち着いて。大丈夫。予想はしていたから、既に対策は万全に整えているよ。岐阜城には、三千の兵を配置してあるし、何よりあそこには新五郎がいる。容易くは落ちないよ」
ザワつく文官達を宥める。確かに、ここにきて三介叔父さんの謀反は辛いが、いつかこうなると思っていたから対策はちゃんとしてある。兵数は少しばかり予想を上回ってるが、大した問題では無い。この時の為に北陸勢を残していたんだから。
しかし、事態は思わぬ展開へと転がっていく。鈴蘭の報告を聞いた朝顔と蓮が、慌てるように口を開いた。
「報告致しますっ! 越後国各地で一揆が勃発しております! 下手人は新発田家や上杉家の残党と見られ、柴田様は対応に追われております!! 」
「更には、加賀国にて佐々成政謀反! 三千の兵を率いて越前国へ進軍。前田様が、同数を率いて迎え撃たんと出陣致しました!! 両軍、加賀国と越前国の国境沿いにて雌雄を決するつもりかと!! 」
「一揆……成政が、謀反っ!? 」
思わず胸元に仕舞った扇を握り締める。これで、北陸勢を動かせなくなった。一揆は分かる。だが、成政の謀反の理由が分からない。
それに、何故こうも同時に報告が上がるんだ。携帯なんて無いんだぞ! 各地から集めた情報に、タイムラグが起こるなんて当たり前なんだ。偶然にしては出来過ぎてる。
何かがおかしい。
そう思った俺は、慌てて五郎左へ視線を向ける。
「五郎左、藤から何か連絡はあったか!? 三介叔父上が謀反を起こした時に備えて、先月には帰還命令を出しただろう。そろそろ、備中国か備前国に差し掛かっているのでは無いかっ!? 」
「……いえ、それが備後国に到着したとの文を受け取ってから連絡が途絶えておりまして」
「…………っ!? 」
首筋を冷や汗が伝う。
そんな嫌な予想は直ぐに的中する。二つの影が広間へ駆け込んで来た。反射的に視線を向ける。そこに居たのは、それぞれボロボロの男を背負った松と椿。
「このような姿で失礼致します。されど、どうか御無礼お許しくださいませ! 筑前守様より、急使にございますっ! 」
松は、そう言って慎重に男を下ろすと、自然とその顔が視界に入る。……この顔、確か藤の子飼いの青年だった筈。確か、石田三成だったか。どうやら、藤からの急使に違いないらしい。
「おい、起きるのだ。お主、石田三成であろう? 事態は一刻を争う。早う、藤からの言葉を伝えよ」
ぺちぺちと頬を叩くと、三成は痛みを堪えるように身体を震わせ、その瞳を僅かに開ける。そして、絞り出すように言葉を紡いだ。
「近江守様……筑前守様より伝令にございます。……っ、黒田官兵衛並びに中川清秀、高山右近、筒井順慶が……備後国鞆の浦にて謀反を起こし申した……っ。一万の兵は散り散りとなり、黒田官兵衛が三千余りを率いて東へ進軍して……おります。お逃げ下さい……」
「な、何じゃと! 藤は、藤はどうしたのじゃ! 」
慌てて三成の肩を掴んで顔を上げさせるも、三成は苦悶の表情を浮かべながら俯いた。
「殿は、黒田官兵衛の謀反を早急に近江守様へ伝えよ……と。私と虎之助は、命からがら海路にて脱出致しました。……ですが、殿は……もう……っ」
「そ、そんな……」
「申し訳……ございませぬ……っ」
膝から崩れ落ちる。
もう、これは偶然では無い。誰かが裏で糸を引いている。俺を陥れる為に、白百合隊の情報伝達速度を逆算して事を起こしたのだ。
(一体……誰が……)
頭を抱えて唸る。幾人もの顔を脳裏に浮かんでは消えていく。
……いや、もう一人しかいないだろう。
それを裏付けるように、竹が音も無く隣りに現れた。
「尾張国と美濃国を繋ぐ街道を、織田信雄率いる軍勢が進軍中にございます。その数、進むに連れて続々と膨れ上がり、現在一万を超えております。……おそらく、奴らは街道整備の作業員に扮して潜んでいたと思われます。……敵軍の掲げる旗印の中に葵の紋を確認致しました。徳川家康殿、謀反にございます」
「ば、馬鹿なっ!? 徳川家には、前々から葵を監視に付けてある! 物の流れにも注意を向けてきた。戦支度をすれば直ぐに発覚する筈。…………っ!! まさか、葵は……もう……っ」
俺は、その時になってようやく気付いた。己の首元に添えられた死神の鎌に。気付いた時には、徳川封じの策は全て食い破られ、退路は絶たれていた。
「これが……徳川家康」
呆然としながらその名を呟く。
やはり、歴史にその名を刻んだ英雄には勝てないのか。
視界から、急速に色が失われていった。
***
尾張国のある竹林にて、一人の少女が血の海に沈んでいた。その側には、真っ黒に染まった二つの影。
「これで、良かったのかぁ? 」
「……えぇ、構わないわ」
「ふっふっふ……あいよ。それにしても、哀れな女子よなぁ。最後の最後まで、自分が裏切られた事を信じられなかったようだぜ? 」
「…………」
「おぉ、怖い怖い。そう、睨むなよ。俺たちは、仲間なんだからよぉ。もう、戻れないぜ? 」
「……分かっているわ」
一つの影がその場を後にする。その手には、真っ赤に染まった葵模様の手ぬぐいが握られていた。
これより、最終章【最後の英雄】開幕となります。
どうぞ、最後まで宜しくお願い致します。
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