32話
天正十二年五月十五日 臼杵城 立花道雪
ごく自然と構えられた銃口から伝わる殺意に身体が固まる。躊躇無く放たれた弾丸は宙を切り裂きながら飛来。当然の事ながら、儂にソレを躱す事は出来んかった。
――パンッ!!
乾いた銃声が礼拝堂に響き渡る。音に一歩遅れて頬に焼けるような痛みが走り、一筋の血が顎先へと伝っていく。
頭部を狙ったと思われるソレは、運良く頬を掠めるだけで済んだようじゃ。殿は、その結果に苛立ちを隠せず舌打ちをする。
「チッ……運の良い男め。撃つ直前に視界に光が差し込まねば、今頃その眉間を銃弾が貫いていたものを……。だが、次は外さぬ」
「殿……っ」
殿は、手馴れたように弾を込め直すと、明確な殺意を持って再び銃口を向ける。この距離で二度外す事は無いじゃろう。殿の瞳に情など一つも無い。あるのは尋常ならざる狂気のみ。今の殿ならば、例え我が子が相手でも躊躇無く撃ち殺すじゃろう。
そして……儂にはこの距離を埋める術が無い。躱そうにも、この麻痺した半身では咄嗟の動きは難しい。
(……っ、無念! )
引き金に殿の指が触れた瞬間、儂は死を受け入れた。最早、どうする事も出来ない……と。
脳裏に浮かぶのは、愛しい娘とそれを支える婿殿の姿。長年儂を支えてくれた家臣達。苦楽を共にした盟友。罪を償う機会をくれた織田殿。……そして、優しげな笑みを浮かべる若かりし頃の殿の姿だった。
(と、殿……っ。くっ……ぅう……申し訳ございませぬ。儂には、貴方様の目を覚まさせる事は出来ませんでした……っ)
――パンッ!!
乾いた銃声が再度礼拝堂の中で響き渡る。
……しかし、幾ら待てども身体に痛みが走らなぬ。恐る恐る目を開くと、そこには目を見開いて短銃と儂を見比べる殿の姿が。
「な、何故だ? 何故当たらぬっ!? 」
この距離で二度も外した事実に、信じられないとばかりに驚愕の眼差しを向けてくる。その瞳には僅かな恐れの色が見えており、かなり動揺しているのか、明らかに弾を込め直すのに苦戦しておる。
じゃが、儂にはソレに構う余裕は無かった。目の前に確かにソレが見えておるのだ。今も尚、儂を護るように立つその背を。
「孫……七郎……なのかっ」
『……道雪様』
喉を震わすこの想い。その背は間違いなく、立花山城で散った孫七郎のモノであった。孫七郎が、凶弾から儂を護ってくれていたのだ。
「……っ、お主という奴は……本当に……っ」
頬を一筋の涙が伝う。
孫七郎は、儂の背を押すだけでは無く、殿の乱心からこの命を護る為に天より駆けつけた。駆けつけて当然だと笑みを浮かべた。どうか、己の使命を果たして欲しいと儂の半身を支える。
そこに込められた孫七郎の願いに応えるかのように、全身に力がみなぎっていく。それこそ、若かりし頃のような。
(一人の武士として、この孫七郎の想いに応えねば男が廃るというもの)
太刀を少し持ち上げて下ろす。その音に、床に転がる弾丸を拾わんとする殿の右手が止まる。
「最後に一つお聞かせ願いたい。……何故、罪無き民を異国へ売り払ったのですか? 民を守り、国を守るのが武士の本懐。ましてや、殿は国を治める主として民を慈しむ義務がありまする。異国に売り払われた者達がどのような末路を辿るか、殿ならば容易に想像出来ましょう! なのに、何故……っ」
「……なんだ、そのような下らぬ事で余を裏切ったのか。どうにも理由が分からず気にも止めていなかったが……。まぁ、良い。冥土の土産に答えてやろう。余は、この国を治める主だぞ? 土地も、川も、空も、金も、人も全てが余の所有物。それをどうしようと余の勝手であろう? 」
「な……っ!? 」
「売られた先でどのような目に合っても、それは余の預かり知らぬ事よ。農民なぞ放っておけば幾らでも湧き出る。戦場で死んだら何の足しにもならんが、まとめて売り払えば幾らかの金にはなる。……それに、異国の兵器はちと高くてなぁ。おかげで、目当ての大筒や船も買えて、更には商人との繋がりも出来た。くっくっく……嬉しい誤算だったさ。これで、民はその身全てを余の為に尽くせるのだ。これ以上無く名誉な事ぞ? 田畑を耕すか、子を産むか、戦場で捨て駒になる事しか出来ない愚図に、余は新たな道を示してやったのだ。寧ろ感謝して貰わねばなぁ。くっくっくっ……くはっはっはっはっはぁっ!! 」
「…………っ!! 」
歪んだ笑みを浮かべる殿に、儂は堪らず俯いた。
金。兵器を買う金。そんなモノの為に、殿は民を異国へ売り払ったのかっ!!
今まで、殿に対して向けた事の無い感情が胸の奥に渦巻く。これは怒り。人の命を何とも思っていない外道に、天誅を下さんとする正義の焔。
「……もう、殿の中には民を憂う想いは失われてしまったのですね」
「くだらんな。道草が幾ら散ろうが、誰も気にはせぬだろうに。……もう、良かろう。貴様の戯言に付き合うのも飽きた。これで、終いにしてくれよう」
弾を込め終わった殿が、歪んだ笑みを浮かべながらこちらへ歩み寄る。三度目の正直とばかりに、至近距離から儂の眉間を狙うつもりなのじゃろう。確実に儂を殺す為に。
その後は、先程言っていたように隠し通路を使ってこの場を脱出するのじゃろう。そして、またあのような悲劇を起こす。
――それだけは、何としても止めねばなるまい!
腰を下ろし半身に構える。
「……何のつもりだ? 」
鯉口を切る。
殿の足が止まる。
「最早、貴方様を人とは思いませぬ」
「何? 」
柄に手をかける。全身の力を足に集中させる。
最初は嘆きじゃった。
何故、こんなにも変わってしまったのかと。寺や神社を破壊し、家臣に切支丹になれと強要し、異国との繋がりを強固にしようとする様に涙を流した。幾ら声を上げても聞き届けて下さらぬ現状に、儂は後悔の念に苛まれた。
そして、儂は一つの希望にすがった。
宣教師共を追い払い、俗世を離れて隠居すればきっと正気に戻るだろう……と。しかし、それは織田殿に否定された。殿は責任を負わねばならぬと。その血をもって、人は次の時代を歩めるのだと。
ならばと、儂は最後の望みを託した。
ここで潔く腹を切れば、まだ首の皮一枚大友家の名誉は守られる。何十年、何百年と民に対して真摯に向き合い、いつの日にかこの汚名を返上する日が来ることを願って未来へ託そうと。儂が殿の介錯を務め、その始まりとなる礎になるのだと。
じゃが……儂は見誤っておった。
殿は、宣教師共に操られてなどいなかった。寧ろ、自ら進んで日ノ本に生きる民を破滅させようとしている。民が苦しむ姿を心から楽しんでおる。
そのような者は人では無い。……悪鬼じゃ。鬼は滅せねばならぬ。泰平の世を迎える為に……この手で!!
「……覚悟は決めていたつもりでした。されど、それは間違っておった。迷いは無くとも殺意が足りておらなかったのじゃ。……じゃが、今は違う。殿の真意を知り、初めて貴方に殺意を抱いた。……この一振りをもって、決別の儀とさせていただきまするっ!! 」
孫七郎の風が支えるように半身に纏う。これが、人生最後の一振り。主君へ捧げる最後の忠義。
――戸次流抜刀術 終の太刀 疾風迅雷
「一体、何を言っ…………てぇ……ぇ? 」
煌めく剣閃は鬼の首を容易く切り裂く。残心。声が遅れて聞こえ、その首が宙を舞いながら儂の足元へ落ちた。
深く息を吐く。右斜め下に向けて振り下ろし、刀身に付着した殿の血を振り落とした。
「さらば、孫七郎。さらば、我が終生の主君よ」
納刀。それと同時に身体が崩れ落ちる。暗転する世界の中で一際大きな物音が聞こえた気がした――
***
道雪が宗麟の首を斬り落としたと同時に、織田軍が田原親賢が死守していた門を突破。本丸へと突入した。
天守閣へ辿り着いた高虎達を出迎えたのは、既に自害し果てていた大友義統と重臣達の亡骸。敗北を悟った義統は潔く腹を切る事を決め、重臣達は涙を流しながら介錯を務めた後に殉死した。
その後、礼拝堂にて道雪と宗麟を発見。道雪は意識不明の重体であり、兵達によって速やかに本陣へ運ばれていった。宗麟は首を切り飛ばされて死亡。その首は、織田信孝の元へ運ばれた。
天正十二年五月十五日。ここに、九州の雄として名を馳せた名門大友家が滅亡。織田家は、悲願の天下統一を果たした――
――かに思われたその時、既に事態は動き出していた。
「では参りましょうか。これが、最後の戦いです」
「側室の子倅風情が調子に乗りやがってぇっ!! そこは、俺が座るべき場所だ!! 」
「そんな…………なんで、貴方が……っ」
「織田は…………ワシの敵じゃ」
闇に蠢く悪意が、遂に動き始めた。
これにて、第六章大友征伐編終了。
次回より、最終章【最後の英雄】が始まります。
三法師の物語も遂にクライマックス。どうぞ、最後までお楽しみください。
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