31話
天正十二年五月十五日 臼杵城 立花道雪
外から聞こえる騒音に、織田軍が目の鼻の先にまで迫っている事を悟る。もう、己に与えられた時間は少ないのじゃと。
「どうやら、織田軍を引き入れたのは貴様らしいな。……道雪よ」
「…………殿。最早、大友家に未来はございませぬ。どうか、潔く腹をお切り下さいませ」
「…………そうか、お前も余を裏切るのか」
「…………っ」
何処か咎めるような声音に、儂は唇を噛み締めながら俯いてしもうた。
これが、儂の選んだ選択。泰平の世の妨げになる者を臼杵城に残し、主君諸共皆殺しにするあまりにも残酷な選択。何度も迷った。何度も自問自答を繰り返した。殿への忠義を貫き、最後まで織田家と戦い腹を切るか。それとも、儂と殿が犯した大罪への贖罪として残された時間を民の為に使うか。
……答えの無い問答じゃ。どちらかが間違っているなど無い。前者は武士として正しく、後者は人として正しいのじゃろう。……軽々しく答えなど出せぬ。血を吐く思いで決断したのじゃ。
「……ご子息のお命は、残念ながらお救いする事は出来ませぬ。殿と共に、この臼杵城にて誇りある最期を果たしていただきまする。されど、まだ幼い末の姫君については、この道雪が必ずや無事に臼杵城からお連れする事を約束致します。……生き延びるには尼になる他ございませぬが、それでもあのような年端もいかない幼子が訳も分からず命を奪われてしまうなどあまりにも哀れ。誠意を持って助命を願えば、織田家も幼子を無闇に殺したりはせぬかと」
「……ふん、そうか」
「…………っ。故に、どうか安心して大友家に幕をお引き下さいませ。誠に勝手ながら、この道雪が介錯を務めさせていただきます」
殿の先を促すような視線に耐えかね、一気に最後まで続ける。体重を支えていた雷切が小刻みに震える。まるで、儂の心を映し出すように。
俯きながら唇を噛み締める。
儂は、この選択を未来永劫悔やみ続けるじゃろう。殿を、仲間を裏切る道を選んだ事を。
じゃが、この道こそが光輝く未来へ至る為の最善の選択。主君を、民を思えばこの道しか無かった……っ。
(だから、どうかこのまま潔く腹をお切り下さい。殿が犯した罪は消せずとも、大友家の誇りだけは何十年かかっても、この道雪が必ずや取り返してみせまする。どんな責め苦を味わおうとも、無様な生き恥を晒そうとも、生きて、生きて、生き延びて、この日ノ本に生きる民の為に尽くす。そして、大友家の在り方を後世に残すのじゃ。豊後国を豊かにしたのは、紛れもなく大友家の尽力があったのじゃと。悪行ばかりでは無かったのじゃと。いつの日にか、民に許される時を信じて)
涙ながらに決意を固めると、自然と刀の震えが止まった。最早、儂は迷うこと無く殿の首を斬り落とせると断言出来る。その死を、その罪を背負うと決めた。殿の分まで地獄を歩くと決めた。
これが……敬愛する主君への最後の忠義だと。
しかし、殿の返事は想定とはかけ離れておった。
「く……くく……くははははははっ!! 」
「と、殿? 」
殿は、両手で顔を覆いながら狂ったように笑い続ける。その得体の知れない雰囲気に息を呑むと、突如として殿は顔を上げた。
「…………っ! 」
指の隙間から覗く狂気の宿った瞳に恐怖を抱く。人のして良いソレでは無い。
「くっくっく……馬鹿な男よな、道雪よ。余の事を、貴様は何も分かっておらぬ」
――此処で死ぬのは貴様の方だ。
殿は、そう静かに告げると懐から短銃を取り出して儂に照準を定める。
「誇りある死などいらぬわ。息子も、末の娘も殺すなら勝手に殺せば良い。あやつらの行く末など興味も無いわ。余は、この場を脱して身を隠し、宣教師の力を借りて海を渡る。そして、いつの日にか力を付けて舞い戻るのだ。再び、この日ノ本に神の国を作る為になっ!! 」
「…………っ!? 」
殿は、力強く宣言すると一歩足を進める。その尋常じゃない佇まいに思わず息を呑む。その自信に満ち溢れた姿は、まるで儂の裏切りを予期していたようにも感じられた。
儂は、内心の動揺を悟られないように極めて慎重に言葉を紡ぐ。
「……既に、臼杵城は織田軍によって完全に包囲されており、敵兵が本丸へ辿り着くのも時間の問題でしょう。最早、どうする事も出来ませぬよ? 」
「くっくっく……さて、それはどうかな? 」
殿は、含み笑いをしながら椅子の合間を進む。そして、何かを蹴飛ばしたかと思えば、ソレは勢い良く壁に激突して砕け散った。飛び出したのは壺。鼻につくこの匂いは……まさか油か!
「儀式に使う聖油だと言えば、そう怪しまれずに礼拝堂に油を備蓄する事は出来る。既に、昨夜から油の配置は終わっている。それに合わせて火薬の配置もな。……後は、こいつを使うだけだ」
「…………っ!? 」
息を呑む。冷や汗が頬を伝う。殿が懐から取り出したのは火薬玉。やたら導火線の長いソレに大量の油と火薬が備蓄された礼拝堂。この状況を見れば、殿が一体何をするつもりなのかは童でも悟れよう。
「ま……まさか、この礼拝堂ごと自爆するおつもりですか!? 馬鹿な真似はお止め下され!! 如何に油と火薬で火力を上げようとも、そのような火薬玉一つで万を超す織田軍を滅ぼす事は不可能。精々、一個小隊に甚大な被害をもたらすのが関の山でしょう。むざむざ犬死するおつもりか!! 」
「たわけ! 誰がこのような場所で死ぬか! それに、このような小細工で織田軍を滅ぼせぬなど分かりきっておるわ! ……だが、時間稼ぎにはなる」
殿は、悪質な笑みを浮かべるとこれみよがしに足先で床を叩いた。
「この礼拝堂には地下室がある。そこには隠し通路が掘られており、既に臼杵城に滞在していた宣教師は脱出しておる。今頃、出航準備を整えて余を待っているだろうよ」
「なっ!? 」
確かに、今日は不思議と宣教師の姿を見ていない。教会に立てこもったかと思っていたが、よもや既に逃げ出していたとは!
「本丸へと続く門を織田軍が突破すれば、自ずとこの礼拝堂に辿り着くだろう。厳重に鍵のかかったこの礼拝堂に……な。天守閣を落としても余の姿が無ければ当然この礼拝堂を疑う。兵士で囲って降伏を促すだろうさ。何せ、奴らはこの首が欲しくて欲しくて堪らぬのだから」
殿は、右手で首筋を撫でる。
「朝敵討伐の証。今後を考えれば、織田家は余が確実に死んだ証明が欲しい。そうなれば、虫のように兵士達がこの礼拝堂に集まるだろう。……そこで、この火薬玉に火を付けて礼拝堂に投げ込んだ瞬間に、余は地下の隠し通路から脱出する。これ程の油と火薬があれば建物を吹き飛ばす程度の威力は出るだろう。無論、地下にいる余は無傷。逆に、礼拝堂を取り囲んでいた織田軍には甚大な被害が出るだろう。織田軍は、悲鳴と混乱の最中で、散乱した瓦礫の山と砕けた肉塊から有りもしない余の首を探そうと躍起になるのだ! ハッハッハッ!! これ程愉快な事はあるまい!! 良い気味だ!! ハッハッハッ……アッハッハッハッハッ!! 」
「…………っ!! 」
この御方は、未だに諦めてなどいなかった。本気で、この状況を覆そうとしている。その為ならば、何人死のうが……誰が死のうが関係ないと。命を弄ぶように。
そして、気が狂ったように笑い続ける事で幾分か満足したのか、殿は不意に真顔になると銃口を儂へ向けた。
「だが、此処を脱出する前に裏切り者を粛清せねばならぬな? ……そう、貴様だよ道雪」
殿の指が引き金に触れ、躊躇無く儂へ向けて銃弾が放たれた。