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28話

 天正十二年五月七日 臼杵城 立花道雪



 春が過ぎ、梅雨の足音が聞こえ始めた今日この頃。大友家は、織田家との戦が始まって以来最大の窮地に陥っていた。

 朝敵。その言葉はあまりにも重かった。

 龍造寺隆信 討死。その事実に心が凍えた。

 島津軍 襲来。その姿に恐怖を思い出した。

 織田軍 進撃。その圧倒的な力に項垂れた。

 重なり合う負の連鎖。島に閉じこもった三万の兵。退路は絶たれ活路は見えぬこの状況で、残された大友家の者達に出来る事はあまりにも少ない。

 この日、もう何度目になるかも分からぬ会議が大広間にて開かれていた。

「既に、大友領の大部分が織田軍によって占領されておる。無事なのは孤立した山城のみ……っ。朝敵とされた我らに援軍など来やせん! 降伏する他無かろう!! 」

「大友家は由緒正しき名門ぞ! 成り上がり者なんぞに頭を下げられるか! 」

「このまま戦っても犬死にするだけぞ! 」

「ここは、大殿と若君に潔く腹をお切りいただく他、大友家を守れる道は無し」

「ふざけるな!! 主君に自害を強要するなど家臣の風上にも置けぬ狼藉よぉ!! 」

「和睦には出来ないのか! 使者は遣わせたのであろう!? 」

「先日、斬り捨てられて首が届けられたのを忘れたか爺!! 」

「なんじゃとっ!? 」

 集められた重臣達は、昂る感情を押さえきれず怒号を飛ばし合い殴り合う。その瞳に映るのは、嘆き・怒り・懺悔・虚偽・疑念・恐れ。己が背後に迫り来る『死』に、皆が正気を失っておる。

 あまりにも、あまりにも哀れじゃ。島津家に大敗を喫した時も酷かったが、今はその比では無い狼狽えよう。これが、誇りある大友家の末路かと思うと情けなくて涙が出る。



 そして、儂もまたその情けない武士の一人。宿老として果たさねばならぬ役目もろくにこなせず、ただ黙って見ている事しか出来ない老害よ。

「……っ、ゴホッゴホッ……っ! 」

「義父上様っ!? お気を確かに! 」

「す、すまないな……婿殿」

 突発的な胸の痛みに咳き込む。此処で倒れてはならぬと口を手で覆いながら必死に耐える。そんな儂を、婿殿は労るように背を摩りながら支える。

(ぬぅ…………不甲斐ないっ)

 齢七十を超え、ここ数日で急速に体力が衰えたこの身では一人で座る事すら許されない。元々、半身不随を患っている事もあり、己に残された時間の少なさを日に日に実感する。

(このままでは、大友家は滅ぶ。それだけは、それだけは防がねば……っ)

 決意を新たに視線を前に向ける。

 ここ毎日変わらぬ景色が流れている。醜い言い争い。貴重な時間を無駄に消費していく日々。もう、いつ織田軍が攻め上ってくるかも知れぬというのに、こやつらはいつまで経っても同じ議題を繰り返すしかせぬ。

 そして、大友家当主足る若様は、混乱した重臣達を制することも出来ずにただただ震えておる。殿も、数日前から儂等の前に一向に姿を見せず、日夜問わず教会で祈りを捧げる日々。

 ……最早、殿のお力を頼ることは出来ぬ。死に囚われた重臣達に、儂の言葉が届くか分からぬ。この身体では、出来る事は少ないかも知れぬ。

 されど、最後まで己に出来る全てをやり尽くすのじゃ。

 主君を、家族を護る為に――



 ***



 二日後。

 儂は、府内の外れにひっそりと建てられた庵に着いた。この場所は、儂が大切な家臣達との憩いの場にと建てたモノ。今は亡き、孫七郎達との……のぅ。

 ……故に、誰にも見られずに密会を行うのにこれ以上適任な場所は無かった。無論、半身不随の身である儂をここまで運んでくれた家継は別じゃがな。

 そして、儂が到着してから四半刻後、外に少数の気配が現れた。

「家継」

「はっ、承知致しました」

 家継に戸を開けるよう指示を出すと、家継は強く頷き席を立つ。その右手は強く握り締められており、それは護衛の身でありながら隣りで立ち会えない葛藤を物語っていた。

(……すまぬ、家継。儂の身を案じてくれたその忠誠に感謝を。じゃが、儂は既に使命を果たす為ならば己が命を懸ける覚悟を決めて此処に居るのだ。最早、止まる事は出来ぬのよ)

 そして、戸が開かれ家継と入れ替わるように目的の人物が庵へと入って来た。

 肉体の全盛期を迎えた若々しい武将。その身を守る鎧は無く、腰に二振りの太刀があるのみ。その身から溢れる覇気を纏う雄々しき立ち振る舞いは、まさに目の前の人物こそが目的の人物である事を悟るには十分過ぎた。

「……織田大和守殿にございますね? 」

「左様。我こそは、大友征伐軍総大将 織田大和守信孝である。貴殿こそ、大友家宿老にして、その武勇雷神の如しと称される立花道雪殿で相違無いか」

「雷神……か。儂は、そのような大層な存在では無いのだが……な。されど、貴殿が名乗られたのならばこちらも応えねばなりますまい。儂の名は戸次道雪。大友家に忠節を尽くす宿老である。……立花道雪の方が通りは良いかのぅ」

 互いに名乗り合うと、織田殿は薄く笑みを浮かべて対面に座った。織田軍総大将と大友家宿老。本来、決して相容れる事の無い立場にある者同士による密会が始まった。



 互いに顔を見合わせて出方を伺う。されど、それも一瞬の事。儂は、まず最初に頭を下げて織田殿に感謝を述べた。

「戦の最中であるにも関わらず、総大将足る貴殿を斯様な場所へ呼び出す無礼をお許しいただきたい。そして、儂の呼び掛けに応じて下さったこと、誠にお礼申し上げる」

「いや、貴殿の申し出はこちらとしても好都合であった。故に、礼には及ばぬよ」

「……忝ない」

 頬を一筋の汗が伝う。決意を固めた筈だというのに、指先が無意識に震えておる。

 言うのか、言わぬのか。

 ……否、最早儂に選択肢など有りはせぬか。

「大友家は織田家に降伏致します」

 儂は、静かにそう告げた。



 大友家宿老の立場にある者からの降伏宣言。普通の者であれば、このような事を聞かされれば大なり小なり動揺する。しかし、織田殿の瞳には一切の動揺の色は見えず、ただただ儂に話の先を促すような視線だけが向けられていた。

 儂は、それに応えるように視線を合わせる。

「府内が落ち、平城の多くが落ち、残っているのは孤立した山城と臼杵城のみ。……最早、雌雄は決しておりましょう。大友軍に残された手は、降伏か徹底抗戦かの二択。過程が変わるだけで結果は変わりませぬ」

「過程とは」

「戦場にて散る尊き命の数にございます」

「……」

「臼杵城には、未だに万を超す軍勢がおります。もし、これらが織田軍に襲いかかれば大なり小なり双方に被害が及びましょう。……無論、そのような無謀極まりない特攻で織田軍を打破出来るとは思っておりませぬ。儂が憂いておりますのは、それによって多くの未来ある若者が戦場で散ってしまうこと。総力戦は、双方に何一つとして利はございませぬ」

 慎重に言葉を紡ぎながら思考を張り巡らせる。織田殿の、こちらの真意を探るような視線を真正面から受け止める。既に、織田殿は儂の目的を察しておる。ならば、このまま最後まで押し通す。

 儂は、横に置いていた太刀を織田殿へ差し出す。

「名刀 雷切。そして、儂の首を差し出しまする。どうか、これで殿と若様のお命だけは見逃していただきたい。約束していただけるのであれば、必ずや臼杵城の明け渡しと今後の身の振りを織田家に一任するように殿へ言って聞かせましょう。家臣団も、主君の命が助かるのであれば無意味な抵抗は致しませぬ。……何卒、何卒殿と若様のお命だけは見逃していただきたいっ」

 深く、深く頭を下げて懇願する。

 一家臣として出過ぎた事をしている自覚はある。されど、この老い先短い老体を有効利用出来る策はこれくらいしか思いつかんかったのじゃ。

 大名家としての大友家は滅ぶとも、その命が続く限り未来へ希望を繋ぐ事は出来る。いつの日にか、再び栄光を掴める時が来るのであれば喜んでこの身を差し出せよう。

 問題は、これを織田殿が受け入れるかどうか。熾烈な籠城戦を得意とする羽柴筑前守がいる以上、知ったことかと攻められればそれまでじゃ。



 しかし、織田殿の答えは想定とは異なっていた。

「……貴殿は、本当にそれで良いと思っておるのか? 自らの命を犠牲に、大友宗麟と大友義統の助命を乞う事が本当に正しいと思っておるのか? 」

「……っ!? そ、それは……っ」

 言葉が詰まる。そんな挙動に、織田殿が視線がより一層強まったのを肌で感じた。



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― 新着の感想 ―
[一言] 立花道雪、志は立派だけど一つだけ失念していませんか。今回の戦の動機は、帝からの勅命による朝敵の討伐です。それに、対象は大友家郎党であり、連なる者も対象です。 今回の戦を止めたいなら、三法師様…
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