27話
天正十二年五月五日 安土城
京で行った決起集会より、早くも二ヶ月近くが経とうとしていた。
乾いた風が頬を撫でる。廊下ですれ違うのは女中ばかりだ。多くの兵士達が戦場へ向かった為か、この安土城に滞在する者達の殆どは文官。戦闘員は、城下を護る赤鬼隊の面々だけ。あの武人特有の騒がしさは鳴りを潜めていた。
俺は、そんな安土城の様子に、皆が出発した当初は何故だか少しだけ寂しく感じていた。結局、俺は待つ事しか出来ない側の人間なんだと。皆の無事を祈る事しか出来ない側の人間なんだと。
ただ、その覆せない現実に目を伏せた。
……まぁ、そんな風に感傷に浸れていたのは最初の数日だけなんだが。
「さぁ、三法師様。次は、こちらの書類に目を通して下さいませ」
「…………ぅむ」
机の上に山積みに置かれた書類。横で、心底楽しそうに政務に励む五郎左。それ等を見ていると、次第に瞳から光が失われていった。
(……ぇ、ちょっと待って? 全然終わらないんだけど……ぁ、未だ続きあるんだ……了解です)
幾ら手を動かしても仕事が減ってくれない。さっきから積まれた山の高さが変わらない。昔、アニメで見た判子ぽんぽんしてたら終わるみたいなやつじゃない。しっかり読んで、適切な沙汰を下さなくてはならない。
……アニメは所詮空想に過ぎなかった。
そんな風に激務をこなしていると、おのずと寂しさなんて直ぐに忘れてしまうもの。それに、藤姫や甲斐姫とイチャイチャしたり、初や江と遊んだり、白百合隊や赤鬼隊の修練場に顔を出したりしてたら気分転換にもなる。
あ、茶々は京へ帰りました。もう、近衛家の姫様だもんね。仕方ないね。帰り際に未だ帰りたくないと駄々を捏ねていたが、修羅の形相と化したお市お姉様に説教をされて泣き叫んでいた。悲しみ。
あと印象に残っているのは……アレだな。露骨に距離を置いていたからか、最近宣教師からのアプローチがウザくて、ついつい「ウザイな〜」と呟いたら、翌日には椿が件の宣教師を半殺しにして逆さ十字で晒し者にした事かな。
ちょっと焦ったけど、おしり触られたとか、卑しい目で見られたとか言ってたから是非もないよね!
***
さてさて、ここ二ヶ月で行った思い出を振り返りながら歩いていたら、思いのほか時間が掛からずに謁見の間に着いた。控えていた雪が襖を開ける。どうやら、予定時間前だけど彼らは既に着いていたらしい。
部屋に入り上座へ座る。視線の先には、二人の男達が深々と平伏していた。昨日到着したと聞いていたけど、見た感じ元気そうに見える。
二人は、俺の準備が整うと口上を述べる。
『真田喜兵衛昌幸並びに蘆名源三郎信幸、召喚に応じ参上仕りました』
俺は、頬を緩めながら二人へ語りかける。
「喜兵衛、源三郎。良く来たね、元気そうで何よりだよ」
『ははっ! 誠に有り難きお言葉、恐悦至極にございまする! 』
更に深く頭を下げる二人に苦笑する。久しぶりの再開だけど、どうやら生真面目な気質は変わっていないようだ。
「頭を上げて良いよ。五郎左も席を外しているし、会津から長旅で疲れたでしょう。余が許す。楽にしなさい」
『……ははっ、では失礼致しまする』
俺の言葉に従うように頭を上げる二人。その表情は実に晴れやかなものであり、おのずとこれから聞く質問の答えを悟った。
「どうやら、上手くいったようだね? 」
「ははっ。近江守様のご指示通り、某は蘆名家の家督を正式に継ぎ蘆名家十九代当主と相成りました事、この場にてご報告致しまする」
「そして、蘆名家が所有していた会津領以外にも、近隣の国人衆の取り込みも終了致しました。石高は、およそ四十万石程と思われます。大きな戦もありませんでしたので、取り決め通り来年度より近江守様へ年貢を献上致しまする」
「……であるか。良くやってくれたね。主君として、二人の素晴らしい働きを誇らしく思うよ。では、約束通り喜兵衛と源三郎が得た領地の所有を正式に認めよう」
『ははっ、有り難き幸せっ!! 』
「うむ」
再度、深々と平伏する二人を尻目に顎を撫でる。
正直、ここまで昌幸達が優秀だと思わなかった。信じられない速さで蘆名家を纏め上げて勢力拡大を果たした。
……四十万石とか普通に大名じゃねぇか。ヤバすぎるだろ真田家。流石は、あの真田幸村のご先祖さまなだけある。あれだけ女子達が騒いでたからな、さぞかし真田幸村も優秀なんだろう。先祖の姿を見て納得した。青田買い作戦大成功だね!
それから暫く談笑していると、自然と源二郎の話題へと移っていった。
「そういえば、二人は源二郎と会ったのかい? 」
「えぇ、暫く見ないうちに良い瞳をするようになり申した。愚息が近江守様へ迷惑をかけていないか案じておりましたが、どうやら及第点に達したようで……」
「ははっ……であるか」
口調は厳しいけど、喜兵衛の表情はどこか温かみを感じた。そうだよな。親子だもんな。紅葉の件もあって少し心配していたけれど、どうやら杞憂だったらしい。
「では、紅葉にはもう会ったんだね? 」
『はい』
「……そうか。……あの子は、今までとても苦労した。それこそ、目を瞑りたくなる程の凄惨な目にあった。……あの子には幸せになって欲しい。せめて、これからの人生を幸せに過ごして欲しい。それには、源二郎の存在が不可欠であり、源二郎もまた紅葉の存在がこれからの人生の支えになると思う。……二人とも、紅葉の事を受け入れてくれるかい? 」
主君として、紅葉の真田家への養子縁組を認めた者として二人に許しを乞う。すると、二人はお互いに視線を合わせた後に強く頷いた。
「兄として、弟の行いを誇りに思います。あの子が責任をもって養うと決めたのならば、某に異論はございませぬ」
「……真田家の家長として思うところはございますが、一人の父として新たな家族を温かく迎えたいと思っております。……それに、孫娘を無下にする祖父はおりませぬよ? 」
真剣な眼差しで源二郎の選択を認めた源三郎と、少し茶目っ気を出しながら紅葉を受け入れた喜兵衛。先程の態度から大丈夫そうだと思っていたけれど、やはりこうして言葉にしてくれると胸にくるモノがある。
「であるか……っ。ありがとう、二人とも」
俺は、心から感謝を述べた。真田家の輝かしい未来を夢見ながら。
***
そうこうしているうちに、どうやら時間が来たらしい。静かに謁見の間に入ってきた高丸を見て、地獄の政務に戻らねばならないのだと悟った。
しかし、どうやら五郎左からの呼び出しでは無いらしく。高丸の表情が僅かに強ばっている。
「失礼致します。殿、北条幻庵様より文が届きました。火急の用との事。どうぞ、ご確認くださいませ」
「……うん、分かった。ありがとう」
高丸から文を受け取り中身を確認する。そして、そこに書かれたモノに思わず手が震えた。
これは、早急に手を打たなくてはならない。二人もまた、そんな俺の雰囲気を察して退室しようとする。
「……では、某達はこれで失礼致します」
「であるか。久しぶりに二人と話せて楽しかったよ。このまま真っ直ぐ帰るのかい? 」
「ははっ、お供衆も長旅で疲れておりましょうし、三日程安土に滞在しようかと」
「うん。それが良いだろうね。……確か、会津から連れてきたお供衆は二百名程だったよね? 三番街の客人用の屋敷が空いている筈だ。案内も付けるから、暫くそこを使うと良い」
『ははっ、お気遣い痛み入りまする』
深々と頭を下げる二人。その時、ふと昌幸の姿を見てあの事を思い出した。
「あぁ、そうだった。喜兵衛に、一つ聞きたい事があったんだ」
「儂に……で、ございますか? 」
「うん。これからどうするのかと思ってね。源三郎と共に会津へ帰るのかい? 」
「……そうですなぁ、一度荷物を取りに戻らねばなりませぬ故、源三郎と共に会津へ帰る予定にございます。ですが、会津に永住する気はございませぬ。源三郎は既に蘆名家の身。これからは、儂の力を借りずとも国を動かしていかねばなりませぬ。……であれば、この身は既に不要にございましょう。安土へ戻り、今一度近江守様のお傍にて、天下泰平という偉業を支えたく存じまする」
「……父上っ」
平伏する喜兵衛の姿に、源三郎は瞳を潤ませる。それは一つの別れ。巣立ち。源三郎にとって、どんな宝よりも嬉しい、偉大な父からの信頼の証だった。
俺は、ならば好都合だと話を切り出す。
「……であるか。喜兵衛のような優秀な者が支えてくれるのであれば、余にとってこれ以上無く嬉しく思うよ。これからは、余の傍にて共に泰平の世を作ろう」
「ははっ! この喜兵衛、命尽きるその時まで御身をお支え致しまする! 」
「うむ! ……では、早速だけど喜兵衛に任せたい仕事があるんだ。実は、居城を移そうと思っていてね。場所は石山本願寺跡地。安土城も素晴らしい城だけど、これからの世を考えれば少しばかり場所が悪い。これ以上、城下を広げられないからね。……喜兵衛には、この城の縄張を任せたい」
『…………っ!? 』
俺の言葉に、喜兵衛と源三郎の顔に動揺が走る。しかし、そんな二人を真っ直ぐに見詰める俺の瞳に嘘偽りは無いと悟ったのか、喜兵衛は今一度姿勢を正してこちらへ視線を向ける。
「御意。この喜兵衛、必ずや天下を治める御方に相応しき城を献上致しまするっ!! 」
「うん。任せたよ、喜兵衛」
力強く宣言する喜兵衛に、俺は自然と胸元を強く握りしめた。あと少しで泰平の世が来る。理想が現実になる瞬間が訪れる。
……故に、今後の統治の邪魔になりかねない芽は、速やかに取り除かねばならない。例え、数多の血が流れようとも。
(……喜兵衛達が帰ったら、松を呼ばないといけないな。他の子も集めよう。最初の十三人を。あの子達には、知る権利がある。里を襲った黒幕の正体を)
知らせてくれたお師匠に感謝の念を送りながら、松達にどう伝えようか考えていた。できれば、戦いにならない事を願いながら……。




