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25話

 天正十二年四月二十九日。

 滝川一益とのすれ違いが解消され、意気揚々と海へ出た九鬼・村上水軍。目指すは豊後国府内に位置する湊。待ち構えるは、三門の大砲を用意した大友軍千五百。一度、完膚なきまでに叩きのめされた相手なれど、彼らの瞳に一片たりとも怯えの色は無かった。

 暗雲垂れ込め雷が鳴り響く。

 九鬼嘉隆と村上武吉の文字通り全てを懸けた一太刀が、大友軍の首元へと狙いを定めた。



 ***



 さて、そんな彼らは四国と九州の狭間で荒波に揉まれていた。高い波に合わせるように、上下に暴れる船。

 船内では、誰も彼もが忙しなく動き続けており、九鬼嘉隆と村上武吉の怒号混じりの指示が飛ぶ。

「隊長! 側面に穴が!! 」

「直ちに下から木材を持って来い! 急がなければ沈むぞ!! 」

「九鬼様、水が入って来ました!! 」

「身体を使ってでも塞げ! ……おい、隣のお前が板を持って来い! 大至急だ!! 」

「は、ははっ!! 」

「……っ!? す、鈴木が海に……っ」

「馬鹿野郎っ!! ちゃんと縄を縛っていなかったのかっ!! ……あいつは、もう助からん。諦めろ。海に出た時点で覚悟はしてる筈だ」

「…………っ」

「野郎どもっ!! 死にたくなかったら、命綱をしっかり柱に通せ!! 分かったか!! 」

『おぅ!! 』

 乗組員達は、武吉の指示に従って腰に通した命綱を縛り直す。大きな柱に繋がったソレが、文字通り彼らの命を繋ぐ縄。頑丈そうな見た目をしているが、この嵐を乗り越えようするならば、何とも心許なく思ってしまう。

 しかし、誰一人として文句は言わずに歯を食いしばって作業へ取り組む。最早、そこに大将も、兵士も、漕ぎ手も関係無い。誰もが、お互いを支え合いながら嵐に負けんと手に力を込めた。



 一度の敗北を乗り越え、仲間とのすれ違いを乗り越え、今再び難敵へと挑む。あぁ、実に王道な展開であろう。物語であれば、嘉隆達は数多の試練を乗り越えながら府内へ到着するのだ。誰一人失う事は無く。

 しかし、天災はそんなご都合主義など一切関係無く嘉隆達を襲う。

 伊予国を出航して既に六時間が経過した。普段通りであれば、もう湊が見えている頃合い。いや、着いていてもおかしくは無い。

 だが、現実はどこまでも非情だ。乗組員総勢二百名。漕ぎ手は皆が受け持つので全員が戦闘員で形成されたソレは、既に十三名の命が海へと沈んだ。湊は未だ見えない。否が応でも、皆の胸を焦燥感が騒ぎ立てる。

 嘉隆もまた、その一人だった。

「……村上、本当に大丈夫なのか」

 普段ならば滅多に口にしない弱音。しかし、こんな極限状態であれば人間ならば誰もが不安を口にするだろう。

 だが、この男は違った。

「あぁ、問題無い。船は順調に進んでらぁ! 」

「……しかし――「おい! 左に逸れているぞ! 直ぐに軌道修正しろ!! 波に抗うな! 流れの中にある道をそのまま通れば良いんだ!! 」

『おうっ!! 』

 武吉は、海面から一度足りとも視線を逸らさずに指示を出す。その視線は、まるで彼にしか見えない道筋を捉えているようだった。

 その姿に、嘉隆は根拠の無い安心感を得る。実に矛盾した考え。しかし、これが案外的確にこの感覚を表している。そう、船乗りとしての勘が武吉を信じろと言っていたのだ。

(信じるしか無い……か。腹を括ろう。嵐を乗り越えようとするならば、並大抵の技術では不可能。そして、技術だけでも不可能なのだ。大切なのは天に愛された運。運命を手繰り寄せる運だ。……あの村上の背中には、ソレがあるように思える。上様や三法師様が常時備えているような何か……が。ならば、俺は俺が出来る事を全力でやるまで! )

「皆の者、良く聞けぇい!! ここまで良く頑張ってくれた。湊まで後少しだ!! 俺も漕ぎ手に回る。……これで最後になるのだろう。気力を振り絞るのだ!! 気合い入れていくぞ!! 」

『おぉおおおぉおおおっ!!! 』

 嵐の中、轟音にも負けない掛け声が響き渡る。今この時、全ての乗組員の心が一枚岩になったかのような連帯感に包まれていた。



 ***



 それから、三度の交代を経て一度漕ぎ手から外れる。義隆は、壁に寄りかかるように座り込んだ。

「……ふぅー、……ふぅー、……ふぅー」

 中々息が整わない。手がかじかんで痛い。周りを見渡せば、誰も彼もが肩で息をしている。

 この降りしきる雨や荒れ狂う波を被る事で全身が濡れ、普段以上に体力を消耗しているのだ。皆で声を掛け合っているが、多くの者達がろくに返事も出来ていない。

 ここまで、寒さにも負けず気力で耐えてきたが、ここが生死を分ける境界線かもしれない。

(ここが…………限界……なの……か……っ)

 そんな弱音を吐き出しそうになったその時、誰かが嘉隆の肩を強く叩いた。ハッと意識を取り戻して横を向く。そこには、先程まで皆を鼓舞して回っていた武吉の姿があった。

「よう、九鬼の旦那。意識はあるかい? 」

「むら……かみ…………あぁ、大丈夫……だ」

 何とか口を動かして言葉を紡ぐ。すると、武吉は一瞬安堵したように口元を緩めた後、笑い声を上げながら何度も肩を叩いた。

「嫌な想像ばかりしてたら、あっという間に意識を持ってかれるぞ。どうせなら、もっと楽しい事を思い描け」

「楽しい……こと」

「そうだ、出航前に滝川殿へ言っていただろう? 未だ、俺にはやりたい事があるから……ってな。それを思い出すんだ。未来への夢は、今を生きる原動力になる!! 」

「夢……やりたい事……」

 武吉の言葉を繰り返す。

 脳裏に思い浮かべるは、あの日見た景色。初めて見た大海への入口。活気に満ちた市場。初めて見る品々。異様に黒い巨人と鼻の長い白き異人。

 (あの時、俺は何を思った……)



 ――いつか、俺も海に出たい。見たことない景色や品々を想像するだけで胸が踊る。……あぁ、そうだ。俺は、未知なる世界を巡る冒険へ出たいんだ。



「……先の戦で龍造寺家が滅んだのならば、その領地である肥前国が空いている筈。……そこに領地が欲しい。国一つで無くても良い。小さくても海に面しておれば良い。此度の戦で武功を挙げ、希望通りその領地を貰えたのであれば……いつかきっと、世界を巡る旅へ出たいものだ」

 思い出せた原点。

 すると、不思議な事に胸の奥から燃え滾るような熱が溢れ出した。手足の痺れも無い。あんなにも寒さ麻痺していた嘉隆の指先に感覚が戻っていた。

 目を見開きながら両手を眺めていると、不意に武吉が大声で笑った。

「はっはっはっ!! そいつは、何とも壮大な夢だなぁ! 良いじゃねぇか、世界を巡る旅なんざぁ船乗りとしゃあ最高に面白ぇよな。……あぁ、実に面白ぇ。そん時は、俺も旦那について行こうかねぇ……」

「村上と共に海へ出る……か。確かに悪くない」

「だろっ!? 」

 ニカッと笑う武吉に頬を緩める。すると、武吉はより一層笑みを深めて前方を指差した。

「そんじゃあ、ここで武功を挙げねぇとな」

「ぇ……」



 ――ピシャリッ!!!



 雷鳴が暗闇からソレを浮かび上がらせる。

「さて、ようやく着いたぞ。……府内の湊だぁ」

『…………っ!? ……ぅ……お……ぅううおおおおぉぉぉおおおっ!!? 』

 武吉の言葉に、乗組員全員の喜びが爆発する。誰も彼もが肩を叩き合って喜びを分かち合い、涙を流しながら言葉にならない想いを叫ぶ。

 そんな嘉隆もまた、静かに涙を流しながら胸の奥から湧き上がる喜びに打ち震えていた。

「着いた……着いたぞ……お前達っ」

 右手を力の限り握り締める。

 あの日の誓いを果たす時が来た。

 その事実を、噛み締めるように――


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