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24話

 天正十二年四月二十九日 伊予国 九鬼嘉隆



 その日は、朝から烈風と横殴りの雨が吹き荒れる嵐だった。海は大しけ。先日までの穏やかな海とはかけ離れた姿。俺も村上も長年の勘で海が荒れる事は予期していたが、よもやこれ程までの嵐が来るとは思わなかった。

(しかし、この嵐も見方によれば寧ろ有り難い)

 雨に打たれながら海を眺めていると、近くの小屋から村上が欠伸をしながら出てくる。嵐の中でもなんのその、村上は普段と変わらぬ様子で歩いて来た。

「よう、随分と早いじゃねぇか九鬼の旦那」

「この時を待ちわびておったからな……。昨夜は、気が昂ってあまり眠れなんだ」

「おぉ、奇遇だな。俺も同じだ! 」

「……たわけ、昨夜あれ程気持ち良さそうにいびきをかいていた奴が寝不足なわけがあるか! 」

「いやぁ……たはは……」

 頬をかく村上から視線を逸らして溜め息を吐く。

「茶番はよせ。そのような気遣いをせんでも調子は普段通りだ。変に、肩に力も入っておらん。ただ、あの日の誓いを果たすだけよ」

「旦那……」

 右手に力を込める。

 俺達は、これから海に出る。府内に陣取る大友軍へ奇襲を仕掛け、先日の借りを返すのだ。敗因は分かっている。あの大筒だ。超遠距離からの一方的な攻撃に為す術なく敗れた。アレを攻略しない限り、俺達に勝機は無い。



(……故に、俺達はこの嵐を待っていた)



 火薬は雨に弱い。如何に大筒が強力無比な兵器なれど、その性質は鉄砲とさして変わらぬ。であれば、この嵐の中で大筒を扱う事は不可能!

 それに、悪天候で視界が悪くなれば物見に発見されにくい。嵐の中海を渡って来るなど考えもせんだろう。不意を突ける。至近距離に近付いてしまえばこちらのものだ。

 覚悟を決めた瞳で村上を見る。すると、村上は一度だけ深く溜め息を吐くとゆっくり顔を上げた。そこには、先程までの陽気な雰囲気は消え失せており、数多の海賊を率いる王の姿があった。

「府内までは一度通った航路だ。例え暗闇の中だろうが、絶対に逸れない自信はある。……だけれども、この荒波を越えるとなると人死は覚悟して貰う。正直に言えば、生きるか死ぬかは五分五分。……旦那、それでもやるのかい? 」

「無論」

 即答。村上の真剣な眼差しを真っ向から受ける。普通、常識から考えて嵐の中で出航するなんて自殺行為だと言われても仕方ない愚行だ。村上は五分五分と言っていたが、並の船乗りじゃ間違い無く波に飲まれて死ぬだろう。



 だが、やるんだ。

 やらなくてはならないんだ。

 それは、あの日死んでいった者達への償いからでは無い。滝川の旦那を見返してやる為では無い。勝つ為に、この手で勝利を掴む為にやるんだ!

 それが、一人の武士として選んだ選択だ!!

 それに――

「海に生きる者で死ぬ覚悟を持っていない奴なんていない……そうだろう? 」

「……ふっ、聞くまでも無かった……か」

「あぁ、そうだとも。俺も村上も、そして家臣一人残らず覚悟を決めてこの時を待ちわびていた。今更、怖気付いて逃げ出す男達では無い」

「……だな」

 二人して軽く笑みを浮かべる。

 さて、そろそろ準備が整った頃合いだろう。

「では」

「参ろうか」

 踏み出した一歩目は自然と揃っていた。



 ***



 湊へ着くと、既にそこでは家臣達が忙しなく働いていた。海上には一隻の巨大な安宅船。この十日間で様々な補強が施されたのか、荒波に揉まれてもその重厚な存在感は衰える事は無い。

 その素晴らしい出来栄えに感心していると、補強用の木材を積み込んでいた兵士と目が合う。すると、瞬く間に俺達の存在が家臣達の間に広がっていき、一同その場で姿勢を正した。俺は、ソレを右手で制する。

「ご苦労、そのまま続けよ」

『ははっ!! 』

 俺の言葉に、一同一斉に動き始める。即座に傍へ駆け寄ってきた竹蔵から詳細を聞き、俺と村上は二手に分かれて最終確認に走る。

 船の状態、備蓄の在庫、武器の数合わせ。乗組員の点呼に選抜。やる事はまだまだ沢山ある。抜かりの無いように、俺は一つ一つの項目を再確認していった。



 そうこうしてるうちに時は流れ、遂には全ての最終確認が終了した。

「……良し。これにて、最終確認は終了とする。乗組員に選ばれた者は、速やかに船に乗り込み出航準備に取り掛かれ! 半刻後に出航する!! 」

『おぉっ!! 』

 出航準備が整い士気が上がる。選ばれた者達は、速やかに近場に建てられた小屋へ走り、身支度を整えに行った。

(さて、こちらも準備を整えてしまうか)

 そんな事を考えながら踵を返すと、何やら基地の方からこちらへ向かってくる一団が見えた。武装はしておらず敵では無い。しかし、かなり慌てているのか荒い息がこちらまで伝わってくる。

 そして、いよいよ一団の先頭を走る者の姿がハッキリと見えた時、俺は思わずその名を口にしてしまった。

「滝川の旦那……」

「……はぁ、……はぁ。……よ、嘉隆っ!! 」

 息を切らし膝に手を着く。その弱々しい姿に、先日陰口を言ってしまった罪悪感が胸の奥から滲み出てきてしまい、思わず視線を逸らした。

 旦那は、ようやく息を整えると周囲へ視線を向ける。そして、出航間際の安宅船を見付けると、見るからに動揺して瞳を揺らす。慌ててこちらを見詰めるその瞳には、思い詰めたような悲壮感が漂っていた。

「ま、まさか海へ出るつもりか? 正気か! こんなにも海が荒れているのだぞ!? 」

「……左様。我ら、これより海に出て府内を目指す所存。嵐の中、沖に出る危険性は重々承知の上。……故に、止めないでいただきた――「たわけ! 止めるに決まっておろう!! 」……っ!? 」

 旦那の叫びに遮られる。

「儂が、儂があのような事を言ってしまったせいなのであろう!? 己が使命を果たさんと命懸けで戦い、苦難の果てに帰還した嘉隆達に対し、儂は理不尽な仕打ちを下した。……正気を取り戻した今ならば分かる。儂が、どれ程愚かだったかを。嘉隆、どうか許して欲しい」

「…………なっ!? あ、頭を上げてください! 」

 深々と頭を下げる旦那に、俺は慌てて肩に手を添えて懇願する。俺と旦那では立場が違う。旦那は織田家四大老の一人なんだ。こんな公衆の面前で醜態を晒せば、せっかく上り詰めた立場が危うくなってしまう。

 確かに、あの時の態度には腹が立ったのも事実。しかし、滝川の旦那は俺の恩人なんだ。まだまだ返さなくてはならない恩が山ほどある。あの程度で旦那を見限るわけが無い。

 しかし、旦那は中々頭を上げてくれない。

「いや、謝らせてくれ! 儂は間違えたのだ。あの時の態度は、あまりにも誠意を欠いておった。嘉隆達は何も悪くない。あの敗北は、全て儂に責任がある。……だから、だからどうか早まらないでくれ!! 」

「……ぇ? 」

「儂があんな事を言ってしまったから、嘉隆は汚名を返上しようとこんな無謀極まりない出陣を決意したのだろう!? どうか、考え直してくれ! こんな嵐の中海に出ても死ぬだけだ! 嘉隆は、こんなところで死んでいい人材では無い。死んで欲しく無い。無理をする必要は無いのだ。臼杵城攻略の際には、海上からの砲撃が間違い無く必要になる。活躍の場は儂が必ず作ってみせる。だから、だから――」

「汚名返上……無謀な…………あぁ、成程」

 肩を震わせながら言葉を詰まらせる。その姿に、俺はようやく旦那が何を言いたいかを悟れた。



 旦那は、俺が自暴自棄になって無謀な突撃をしようとしていると思ったのだ。きっと、一人で考え込んでいた時に、俺が嵐の中出航しようとしていると聞かされたのだろう。故に、俺達を止めようと着の身着のまま駆けつけたのだ。

(……旦那は、こんなにも俺の事を大切に思っていて下さったのか)

 こんなにも取り乱した姿を見ると、あの時の態度は間が悪かったのかもしれないと思い直せた。また、共に酒を飲み明かせる仲に戻れるかもしれない……と。

 俺は、村上に視線で合図を送る。すると、村上は肩を竦めて小屋へ戻った。その後ろ姿を見送ると、旦那に視線を合わせるように膝をつく。

「安心してくだせぇ、滝川の旦那。俺は、自暴自棄になっているわけじゃありやせん。勝つ為に、大筒を攻略する為に嵐の中出航する事を決めたんでさぁ」

「ま、誠か? 」

「えぇ、確かにちと厳しい道のりになりましょう。辿り着く前に死ぬ可能性もありましょう。されど、今こそが奇襲を仕掛ける最大の好機。多少の危険は重々承知の上でさぁ」

「嘉隆……っ」

「それに、負けられない理由が一つ増えましたから……。約束しますよ旦那。必ずや、府内を攻略して戻って来やす。まだまだ、やりたい事沢山ありますから! 」



 また、一緒に酒でも飲みましょうや……旦那。



 天正十二年四月二十九日。

 俺達を乗せた船が府内へ向けて出航した。



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