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23話

 天正十二年四月二十七日 伊予国 九鬼嘉隆



 月明かりに照らされて海面が薄く輝く。引いては返す波の音に合わさりて、お猪口に入った酒がゆらりと揺らぐ。軽く回すと酒に月が映り込み、その風情溢れる光景に満足しながら一気に飲み干す。

「…………ふぅ」

 あぁ、この一杯が堪らんのだ。波の音を聞いているだけで心が安らぐ。やはり、海を眺めながら飲む酒は格別だ。月があれば尚の事良し。

 己は骨の髄まで海の子なのだなと自虐的に笑うと、不意に横へ誰かが座る。視線を向ければ、村上が徳利片手に笑顔を浮かべていた。

「よぅ! 邪魔するぜぇ」

「……おぅ、折角の月見酒を邪魔したんだ。ちょっとやそっとの代物じゃあ張り倒すぞぉ」

 冗談交じりに村上の肩を小突くと、大丈夫だと笑い声を上げながら乱暴に隣りへ腰を下ろした。

「これは、昼間にここらの漁師に分けてもらった地酒よ。京で売っているような高級品じゃねぇが、中々良い味してんだコレが! 」

「地酒……ねぇ? 」

 お猪口へ乱暴に注がれる酒。鼻につく酒気が漂う。グイッと呷った瞬間、口の中いっぱいに濃厚な味わいが広がり、地酒特有の独特な香りが一気に鼻から抜ける。

「…………っ、美味いっ!! 」

「だろっ!! 」

 上機嫌に俺の肩を抱き、お猪口に酒を注ぐ村上。地元の漁師に分けてもらったと聞いた時点で期待していたのだが、予想以上の美味さに思わずこちらも気分が良くなる。

「良い酒だ。……これは、肴が欲しくなるなぁ」

「おぉ、流石九鬼の旦那だ。用意が良いねぇ」

 懐から干物を取り出すと、村上は目に見えて瞳を輝かせる。どうやら、今夜は長くなりそうだ。



 ……どれくらい時が経っただろうか。話が盛り上がるにつれて徳利が足元に転がっていき、いつしか愚痴のような話題へと移っていった。

「……んくっ、……んくっ…………ふぅ。それにしてもよ、まぁだ怒ってんのか? 滝川殿はよぉ」

「いや、夕餉を運んだ小姓が見た限り、随分と落ち着きを取り戻したようだ。……昨晩、三法師様から文が届いていたからな。どうやら、随分と叱りつけられたらしい。『命からがら戻った者達に対して、労いの言葉をかける前に罵倒するとは何事かっ!! 』……とな」

「へぇ? 随分と情に厚い殿様だこって。未だ、五つって話だろ? 俺は会った事ねぇからにわかには信じられんが、時代を作る英雄って奴は古今東西意味わからん逸話ばかりだ。きっと、そんなもんなんだろうさ」

「……まぁ、三法師様は普通では無いな」

 苦笑混じりに答える。

「んで、うちらの大将様はこれからどうするって言ってんだ? 」

「……あぁ、今は別の航路を探っているそうだ」

「……はっ、俺達にはもう期待しませんってか? 良い気なもんだぜ大将様はよぉ。後数日待てば良いって言ってんのが聞こえんのかねぇ? 」

「…………」

 最早、お猪口も使わずに直接酒を飲み始めた村上。俺は、それを否定する事無く口を閉ざした。不満があるのは俺も同じだからだ。



 ***



 あの日、俺は村上と共に府内の湊へと向かった。連れて行った兵士達は六百人、三隻にそれぞれ分かれて海を渡った。

 波も緩やかで兵士達も気力が有り余っている事もあり、実に順調な滑り出しだった。兵士達の中には、和やかに雑談をする者もいた程に。当然の事ながら叱りつけたが。

 俺も村上も、嫌な予感を感じていたのだ。根拠は無い。言うなればカンが働いたってところか。

 舟の縁を撫でる。今回の遠征はあくまで偵察が主な目的であり、占領出来るようなら戦闘を許可すると言われていただけにろくな武装をしていなかった。それ故に、俺と村上は非常に心許なく感じていた。



 そして、その予感は正しかった。

 肉眼で湊の様子が見える場所まで近付いた……その時、物見を任されていた勝太郎がある物を視界に捉えた。

「……? …………な、アレはっ!? ほ、報告っ!! 湊付近に大規模な防柵を発見!! その奥に、武装した兵士達の姿を確認!! 」

「なんだとっ!? 」

 慌てて目を凝らすと、確かにそのようなモノが見える。俺の視力では朧気にしか見えないが、勝太郎が見えたのならそうなんだろう。

(流石に読まれていたか。敵も馬鹿じゃねぇってこったな。だが、俺達の目的はあくまで偵察。湊付近に陣を敷いているのならば、それ相応の対策を取ってしまえば良いだけだ。……とりあえず、今は撤退だ)

「止まれぇ!! 今回はこのまま引き返す! 直ぐに準備に取り掛かれ!! 」

『おぅ!! 』

 俺の号令に皆が一斉に動き出す。今回は睨み合って終わり。そんな事を考えた瞬間、宙を揺らす程の轟音が鳴り響いた。



 ――ドォンッ!!!



「……っ! 伏せ――『ドバァーーーン!!! 』

 村上の声に重なるように凄まじい水飛沫が立つ。激しく揺れる舟。何人かが海に放り出される。悲鳴。絶叫。立て続けに響く轟音。

 俺はこの時、京を発つ前夜の出来事が脳裏を過ぎっていた。

『大友宗麟は熱心な切支丹であり、対照的に余は宣教師から距離を置いている。明への布教が目的である宣教師は、己の活動を支援してくれる権力者を常に求めているんだ。……つまり、宣教師にとって油断が出来ない織田家よりも、己の意のままに動かせる大友宗麟に勝って欲しいと思っている。……もしかすると、宣教師から大友宗麟へ兵器を献上しているかもしれない。嘉隆、常に最悪の想定をしながら行動しなさい。もし、勝てないと感じたら直ぐに逃げて情報を味方に知らせなさい。責任は余が取る』

「…………っ、聞けぇ皆の者ぉ!! 」

 轟音が響く中声を張り上げる。皆の視線がこちらを向く。覚悟を決めた瞳。皆の顔に死相が浮かぶ。……奥歯を強く噛み締めた。

「この戦は我々の敗北である!! そして、我々にはこの府内に仕掛けられた罠を仲間に知らせなくてはならない! 誰かが一人でも生き残って戻らねばならない! 故に……故に、お前達は此処で死んでくれっ!! 」

 答えは直ぐに返された。

『承知っ!! 』

 答えるや否や、二隻目と三隻目が全速力で湊へ突撃していく。当然の事ながら、敵の攻撃はその二隻へ集中していった。……反対に、俺と村上が乗る一隻目は全速力で来た航路を引き返す。

 逆立つ水飛沫。揺れる海面。砲弾が命中し、舟が海の底へと沈んでいく。唇を噛み締めながらその光景を目に焼き付けていると、不意に横へ村上が立った。

「海に生きる者で死ぬ覚悟を持っていない奴なんていねぇ。謝んなよ。それは、奴らの誇りへの侮辱だ」

「……分かっている、分かっているともっ」

 舟が激しく揺れて波を頭から被る。

 それを拭う事は無かった。



 ***



 結局、生きて帰ってこれたのは百五十人のみ。俺と村上の部下の半数以上が海の底へと沈んでいった。

 あの日の光景が頭を過ぎり、お猪口に罅が入る。

「滝川の旦那には世話になった。織田家に繋いで下さった恩もある。一度敗北した俺達は、大将としてさぞかし扱いづらかろう」

「…………」

「だが、俺達は何の考えも無しに逃げ帰った訳では無い! 情報を持ち帰っただけでは無い! 現状を打破する策を死に物狂いで考えた。それが、あの日死んでいった者達に捧げる一番の感謝だと信じてっ! だが、旦那はそれを聞き入れもせず、敗戦の責任を取れと謹慎するように命ずる始末!! 断じて、断じて納得出来んっ!! 」

 お猪口が砕け滴る酒に赫が混ざる。怒りに飲まれそうになるも、何とか落ち着かせようと深呼吸を繰り返した。


 暫く続けていると、ようやく折り合いがついて村上に頭を下げる。

「…………すまん。取り乱した」

「……構わんさ。誰だってそうなる」

 村上は、特に気にした様子を見せずに徳利を傾けた。投げやりな台詞。しかし、その真剣な眼差しに遂に時が来たのだと悟る。

「荒れるか? 」

「あぁ、ようやく来やがった。風が湿気ってやがる。間違い無い。……準備しなぁ、九鬼の旦那」



 ――嵐だ。



 二日後、伊予国に春の嵐が吹き荒れた。


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― 新着の感想 ―
[一言] これ、実はこの時代の大砲の命中率的に散開して撤退すれば命中箇所が調節済みだったであろう湊に突っ込まない限りはそれなりに生き残れてただろうから後からそれを知ったら後悔しそうだなぁ。
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