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19話

 天正十二年四月 筑前国 遠賀川 龍造寺隆信



 世界に色が戻る。

 固まっていた腕を再度振り上げる。その動きに少しの躊躇も見当たらない。ただ、いつものように金砕棒を振り下ろして頭を砕くだけだ。

 最後に今一度、地面に伏した石田何某へ視線を向ける。服は血と泥で汚れ、傷の見えぬ箇所が見当たらず、微かに覗く肌は青紫に変色している。

 明らかに戦闘続行不可能な状態。それでも尚、毅然とした態度でこちらを睨み続けていた。その瞳は、未だに死んでいない。

(……この瞳だ。この瞳のせいで、くだらぬ時間をかけてしまった。つまらぬ過去を想起させられた)

 右腕に力が込める。

 幾ら過去を悔いても時間は戻らない。あの日々は帰ってこない。酒に溺れ、心を閉ざし、何もかも拒絶した失態は取り返せない。

 最早、進むしか道は無い。

「…………さらばだ。石田三成よ」

 一言呟き金砕棒を振るう。確定された未来。もう数瞬後には、頭を砕かれ息絶える姿が鮮明に思い浮かべられる。

 油断も慢心も無い。



 だが、思わぬ一撃によってソレは阻まれた。

「…………ぬうぅっ!? き、貴様はっ!! 」

 左脹脛を貫く槍。燃えるような痛み。体勢を崩して膝をつく。槍を追って視線を向ければ、そこには最初に倒した筈の猪武者が片腕を伸ばした状態で地面に伏していた。

「へへっ……死んだふり作戦成功ってか」

「…………っ!! 」

 無理やり作った笑顔を向ける猪武者に、己が失態を悟る。

(ぬかった! あの時、止めを刺さずに放置したツケが回ったか! )

 動けない。動ける筈がない。そう断じた筈の猪武者は、確かに全身傷だらけで節々が震えている。顔は青ざめ、よくこの状態で生きていると驚愕してしまう程に死に体だ。

 だが、猪武者は動いた。隙を突いて一撃を入れてみせた。己が限界を超えて。それを、易々と許した己に対する怒りで全身に燃えるような熱が灯った。

「ぅうううおおおああああっ!!! 」

 手刀で槍を叩き壊すと、切り離された柄を掴み持ち主を引き寄せる。

「ぬぉっ!? 」

 引き寄せられるとは思っていなかったのか、猪武者は気の抜けた声を漏らしながら、なすがままに地面を引き摺られる。そして、その首根っこを捕まえると、力任せに前へと投げた。

 まるで紙切れのように吹っ飛ぶ猪武者。その先には、よろよろと立ち上がりかけていた石田何某がいた。

『うわっ!? 』

 衝突。二人は、為す術なく後方へ一気に弾き飛ばされた。二人は、かろうじて受け身が取れたのか、僅かながら身動ぎしている。

「さ、さき……ち」

「ぐぅ……ぅぁ…………虎……之助ぇ……」

 支え合うように立ち上がらんとする二人。それを眺めながら槍を引き抜き止血を済ませると、金砕棒を引き摺りながら近付いていく。

「…………っ」

 一歩踏み締める度に激痛が走る。未だ、ここから織田軍本陣まで距離がある。首が遠い。こんな所で……こんな小者に時間を取られるとは……っ。

「無駄な足掻きをしおってぇ……っ!! 」

 定められた勝ち筋を遮られた不快感に、思わず悪態をつく。奥歯を噛み締め、胸の奥に宿る憎悪に身を委ねる。滴る返り血が、身体から立ち昇る熱気によって蒸発していく。踏み締める足音は、まさに怪物のソレであった。



 ***



 あぁ、肥前の熊よ。


 その姿、まさに羅刹也り。

 その姿、憎悪の化身也り。

 その姿、人に非ず獣也り。

 人を愛し人を怨む獣也り。

 ならばこそ、人が倒さねばならぬ。

 ならばこそ、人が止めねばならぬ。

 ならばこそ、人が救わねばならぬ。


 あぁ、獣よ。怪物へと堕ちた英雄よ。

 どうか、どうか――



 ***



「残念だが、無駄な足掻きでは無い」

 戦場に響く声音。そこに込められた尋常ならざる覇気に足を止める。

「佐吉達はやり遂げた。儂が授けた命を、時間を稼げとの使命を最後まで成し遂げた。泥にまみれ、傷だらけになり、稼いだ時間は半刻にも満たない。されど、佐吉達はしかと耐えてみせた。儂が到着するまでな。……であれば、佐吉達の足掻きは決して無駄では無い」

 一条の矢が走る。寸分違わず眉間へ標準を定めたソレを薙ぎ払うと、声の持ち主は砂煙の向こうから現れた。

『と、殿……っ』

「佐吉、虎之助、良くぞ持ち堪えた。弥九郎も市兵衛も無事じゃ。後は儂に任せるが良い」

『…………っ! ははっ、承知致しました』

 黒き馬に跨る小柄な男。人の良い温和な顔つきとは裏腹に、その瞳から覗かせる修羅の相。掲げる瓢箪の数は武功の証。この男が現れただけで、石田と猪武者の瞳に力が戻った。

 ……ここまで揃えば、目の前にいる男の正体は誰でも察する事が出来よう。

「羽柴筑前守か」

「如何にも」

 即答。直後、両者から溢れる覇気が激突する。羽柴筑前守。織田軍大将格の男。この男を殺せば、いよいよ総大将織田信孝の首へ手がかかる。そう思えば、自然と全身が滾ってくるものよ。

 だが、一つだけ腑に落ちない事がある。

「何故、貴殿が此処にいる。貴殿は、総大将を護る最後の砦として五百を率いて本陣前で待機していた筈。軍勢の半数以上が川を渡れていない中、貴殿が動けば本陣の護りが無くなる。如何に毛利軍二万がいれども、我が精強なる龍造寺軍二万と相対すれば幾らかの兵が本陣へ流れ込むぞ? 」

「…………やはり、間者が紛れていたか。おかしいと思っていたのだ。あまりにも、龍造寺軍にとって都合が良過ぎる展開じゃったからな」

 羽柴は首を振りながら溜め息混じりに悪態をつく。羽柴の予想は正しい。間者を使う事は戦の常套手段。幾ら卑怯だと喚こうとも、戦に敗れて死んでしまえばそれまで。正しく負け犬の遠吠えであろう。今までも、我が軍の奇襲によって討ち取られた武将が怒りに染まりながら吠えておった。

 しかし、やはりこの男は違う。今一度視線があった時に浮かべていた表情は獰猛な笑み。罠にかかったのは貴様の方だと嘲笑う獣の顔。

「貴様は、三七様を侮り過ぎだ。あの御方は、織田家当主近江守様より大友宗麟征伐軍総大将の任を賜った。それ程の大軍を任せるに足る器が、護りが無ければ戦えぬ小者と思うな。……無礼るなよ、龍造寺隆信」

「……なにぃ? 」

 直後、左側から凄まじい雄叫びが上がる。

(あそこは、龍造寺軍二万と毛利軍二万がぶつかり合っている戦場の筈。一体何が……)

 その答えは、直ぐに明らかになった。

「我こそは、織田軍総大将織田三七郎信孝也りっ!! 者共ぉ、我に続けぇええ!! 援軍足る毛利家に遅れを取るなど織田家の恥ぞぉぉおおお!! 」

『おおぉ!!! 』

「た、大将首じゃ!! 」

「討ち取れば報酬はたんまり貰えるでよ!! 」

「行け、行けぇええ!! 」

 織田信孝の名乗りに、戦場はみるみるうちに熱狂の渦に巻き込まれ、徐々に俺とは反対方向へずれていく。織田信孝という極上の首に、兵士達が正気を失って持ち場を離れたのだ。

 奴は、己が首を囮に俺が率いる遊撃隊を孤立させた。故に、最後の砦である羽柴を出撃させたのだ。俺を討ち取る為に。

 そして、そんな総大将の名乗りに合わせるように、土煙の向こうから羽柴が率いる五百の軍勢が現れた。

「では、始めようか。我らが総大将が討ち取られるのが先か、儂らが貴様を討ち取るのが先か。雌雄を決する時は今ぞ、龍造寺隆信っ!! 」

「…………やりおるわ。だが、簡単にこの首が取れるとでも? 」

 右手を掲げる。すると、予定通り背後から馬の脚音が響き渡り遊撃隊が合流した。数は、およそ五百から三百五十程に減っている。奇襲とはいえ、羽柴秀長率いる二千の軍勢を蹴散らしたのだ。これでも消耗を抑えた方か。

『殿っ!! 』

「俺が先陣を切る。貴様らは雑魚を一掃せよ」

『御意っ!! 』

 俺の指示に遊撃隊は陣を展開。それに合わせて羽柴軍も陣を構える。羽柴と視線が合わさる。五百対三百五十。戦力差は無し。勢い有り。勝機有り。万を超す軍勢同士のぶつかり合いから始まった戦は、奇しくも少数の遊撃隊同士で最終局面を迎える事となった。

 力の限り金砕棒を握り締める。

「では……」

「いざ……」

『参るっ!!! 』

 大将の雄叫びが混じり合い、両軍の先鋒が戦場の中央でぶつかり合った。



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― 新着の感想 ―
[一言] 正しく賭けですね。秀吉対隆信の対決で、大将首を挙げるかが要です。 信孝を侮るな。信孝は大いに成長し、織田家の柱石なのだ。賊軍風情に思い知らせるだろう。
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