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18話

 天正十二年四月 筑前国 遠賀川 龍造寺隆信



 冷酷非道。

 そう呼ばれるようになったのは、一体いつからだっただろうか。急速に色を失っていく世界の中で、ふと脳裏にあの言葉が過ぎる。


「何故、お前はそうも容易く命を足蹴に出来る。家臣を捨て駒に出来る。……お前には、お前には人の心が無いのかっ!! 」


 裏切られるからだ。

 義理や人情では家を維持する事は出来ない。敵国からの侵略から国を護れない。勢力を拡大する事は出来ない。圧倒的な暴力によって国人衆を屈服させ、その身に上下関係を叩き込まねば直ぐに裏切る。己が利を優先する輩など、最初から信用する事など出来ぬ。

 隣接する大名家、足を引っ張り合う国人衆。これらから家を護り維持する為には、反乱の芽を徹底的に潰さねばならぬ。それが例え、どんなに小さな可能性だったとしても摘まねばならぬ。


「何故、貴方様は人を愛せぬのですか……っ」


 死んだからだ。

 一族が主家に滅ぼされかけ、曽祖父に呪いとも言える遺言を託され、母の執念とも言える期待を背負って生きねばならなくなった俺を、いつも隣りで支えてくれたお前が死んだからだ。

 人は死ぬ。人は裏切る。ならば、最初から愛さねば良い。信頼しなければ良い。そうすれば、失う時に辛くないだろう?



 幾千の風景が連続して脳裏を駆ける中、不意にあの夜死んだお前の顔が過ぎった。まるで、人形のように血の気が引いた顔。冷たくなっていく身体。光を失う瞳。

 あぁ、そうだ。あの夜を思い出す。あの日もこの時もそうだった。記憶の中のお前はいつも星空の下にいた。



 ***



 祖父と父が殺されたのが十七の時。七つで出家し俗世から離れていた俺に、ある日突然一族滅亡の危機が舞い込んだ。罠にかかったのだ。父と祖父は、主君に対する謀反の嫌疑をかけられ、少弐家重臣 馬場頼周によって誅殺された。

 事態を飲み込めていなかった俺は、言われるがままに曽祖父に連れられて筑後国の蒲池家の下へ脱出。そこで、曽祖父主導の下で祖父と父の仇を討ち、龍造寺家再興を目指す事になった。

 あぁ、そうだ。お前に初めて出会ったのはこの日だったな。無気力な俺を見るに見兼ねて、曽祖父がお前を傍付きの侍女にしたのだ。

「円月よ、そなたはこれからの龍造寺家を背負って立つ存在じゃ。そのような調子では困るのじゃぞ」

「……申し訳ございません」

「……うむ。だが、そなたの気持ちも分かる。事態が事態故、親の埋葬も供養も出来ずに逃げねばならなかったからのぅ。故郷と親を一度に失ったのじゃ。ちと、己が心と向き合う時間がいよう。十日程暇を与える。傍付きを与える故、人里を離れてゆっくりと過ごすが良い。……おい、入るのじゃ! 」

「ははっ、失礼致します」

 曽祖父の合図に合わせて女が一人部屋へと入る。名は初音。平凡な顔付きに地味な装い。そこら辺に幾らでもいる女。

「若様、どうぞ宜しくお願い致します」

「…………あぁ」

 それが、初音への第一印象であった。



 良くも悪くも当たり障りの無い出会いをした二人。そんな初音との日々は、大方の予想通り平凡な日常であった。契りを交わすわけでもなく、兵法や政の勉学に励むわけでもない。ただただ、初音は俺が快適に過ごせるように影で支えてくれた。

 それが、どれ程俺にとって有り難い事だったか。

 それを実感したのは最終日の事。

 人里離れた山の麓に建てられた屋敷。最初の数日は突然の展開に戸惑っていたが、数日後には初音との生活が当たり前になり、八日目にはあれ程喉を通らなかった飯を食えるようになった。初音の支えが俺の強ばった心を解してくれたのだと気付けた。

 陽が落ち、夜空を星々が彩る頃。帰り支度を整えた初音を縁側に呼び出した。

「若様、お呼びでしょうか」

「……今夜でこの生活も最後だ。少し、付き合え」

「……かしこまりました。では――」

 俺の横に腰掛ける初音。その横顔は、いつもと変わらぬ自然体であるように思えた。だからだろうか。俺も、自然と口を開いていた。

「何故、お前は何も言わない。皆、俺の境遇に同情して声をかけてくる。曽祖父様のように、龍造寺家再興を目指せと言ってくる。祖父と父の無念を晴らせと言ってくるっ。なのに、何故お前は――」

「言って欲しかったのですか? 」

「…………っ!! 」

 言葉が詰まる。立ち上がりかけた腰を下ろす。両手を膝の間で組みながら力無く項垂れた。

「いや、言って欲しくなかった。……無論、俺とて祖父と父の仇を取りたい気持ちはある。だが、だが俺は――」

 続く言葉を遮るように初音が俺の頭を抱く。腕の中に包まれながら伝わってくる心音が、荒立つ感情を和らげる。まるで、幼子をあやす様な仕草だというのに、何故だかソレを拒絶しようとは思えなかった。

「宿敵を討ち、龍造寺家を立て直す。兵法や政を学ぶ。……確かに、今後を考えればこれ以上無い程に成さねばならない責務でございましょう。一介の侍女である私がソレを否定する事は出来ませぬ。……されど、若様にはその前にやらねばならない事がありましょう? 」

「それは……? 」

「未だ、亡くなった先代様へ別れを済ませておりませぬ。例え、遺体が無かろうとも、その死を嘆き死者を弔う事は出来ます。……私は、未だ若様の涙を見ておりませぬ」

「…………っ!? ……くぅ…………ぅう……うぅ…………っ」

 堰を切ったように溢れる涙。そんな俺の背中を、初音は優しくさすってくれた。

「此処には、私達以外誰もおりませぬ。その涙は誰にも見られる事はございませぬ。……だから、もう我慢しなくても良いのです。若様は、本当に良く頑張りました」

「うぅ……ぅあ…………ぅうわわわあああああっ!! 」

 一雫頬を伝う度に、呪詛のように心を蝕んでいた『龍造寺家再興』という呪いが剥がれる。

 曽祖父の憎悪に満ちた顔も、母上の妄執に取り憑かれた顔も、蒲池殿の哀れんだ顔も、僅かに残った龍造寺家家臣団の不安に満ちた顔も今は忘れ、ただただ初音の腕の中で泣き続ける



 ――若様は止めてくれ。お前には……初音には、その名で呼ばれたくない。



 ――では、貴方様……と。



 重なり合う影。

 星の降る夜。心の底に空いていた穴が塞がれた。



 ***



 だが、幸せな日々は往々にして長くは続かない。



 翌年、宿敵 馬場頼周を討って龍造寺家の再興を果たすも、曽祖父が老衰で息を引き取る。

 その間際に遺した言葉が、俺が進まねばならぬ道を決定づけた。

「お前が、水ヶ江龍造寺家を継げっ!! 」

「……承知致しました」

 その遺言は呪詛となり精神を蝕む。そして、曽祖父の呪いが乗り移ったかのように、母上も執拗に俺を駆り立てた。

 それからは、まるでそうなる事が決まっていたかのように、とんとん拍子に物事が進んで行った。

 主君を滅ぼし、本家を乗っ取り、地盤を固める為に未亡人を娶り、屈辱を味わいながらも大内義隆の後ろ盾を得た。

 そんな激動の日々を支えてくれたのは初音だ。状況が目まぐるしく変わっていく中で、初音だけは昔と変わらぬ姿でいた。城に帰れば、いつものように笑顔で労ってくれた。

 俺は、初音とのそんな些細な一場面に日常を感じていた。唯一、心が安らぐひと時であった。



 その後、大内義隆が死に後ろ盾を失った俺は、早急に勢力拡大を強いられた。乱世は弱肉強食。そして、出る杭は打たれるもの。後ろ盾の無い中途半端な戦力しか持たぬ龍造寺家には、何処かの大大名に取り入るか、一大勢力を築いて対抗するしかない。

 俺は、国や家臣達を護る為に戦う決意を固めた。戦をすればただでは済まない。そんな一大勢力になり、他国と同盟や交易を重ねて国を豊かにしよう。きっと、皆の力を合わせれば何とかなる。

 そんな青臭い理想を、初音は微笑みながら肯定してくれた。俺ならば平和を築けると励ましてくれた。



 ――あぁ、そうだ。この目の前で倒れ伏す石田何某は、青臭い理想を馬鹿みたいに掲げていた昔の俺そっくりだ。故に、無性に癇に障るのか。



 その腹に、俺の子が宿っていると知ったのは二日後の事。そして、全てを失ったのは三日後の事だった。



 ――どうか、貴方様は……貴方様の道を……。



 そう言い遺して初音は逝った。

 家臣達の期待に応えるように勢力を拡大し続け、遂には肥前統一が目前まで迫った龍造寺家。そんな龍造寺家を危険視した大友家の策略により、初音は寝返った家臣の手で毒殺された。俺を庇って。

 事切れた初音を抱きながら眺めた夜空は、未だ鮮明に覚えている。あの夜流した黒き涙は、今も尚流れ続け胸の奥深くに溜まり続けた。

 そして、いつしか溜まりに溜まった黒き涙は泥となり、復讐という名の炎へと変わっていった。己自身すら焼き尽くす業火となった。最早、自身の手では制御出来ぬ程に……。

 肥前を統一した時、「あぁ、こんなものか」と何の感慨も浮かんでこなかった。金も、栄誉も、権力も、国も、全て手に入ったのに一番大切な宝は二度と手に入らない。



 ぽっかりと心の底に穴を空けたまま、俺は復讐を果たす為だけに生きてきた。

 血筋しか誇れぬ堕ちた名家が憎い。目先の端金で主君を売った痴れ者が憎い。死んだのが侍女で良かったと宣う家臣共が憎い。死にゆくお前を、ただただ呆然と眺める事しか出来なかった無力な己が憎い。

 乱世が終わる? 織田家が天下を統一する? 龍造寺家は速やかに軍門に降り加勢せよ?

 ……ふざけるなっ!!

 これは、俺の戦いだ。俺の復讐だ。俺が大友家を滅ぼすのだ! 帝の勅命? 従わねば朝敵にする? 知ったことか! 横からしゃしゃり出て来るな!!

 俺が、大友家を滅ぼす為にどれ程準備をしてきたか分かるまい。どんな想いで勢力を拡大してきたか分かるまい。

 あぁ、許さぬ……許さぬ……許さぬっ!!

 俺の大切な宝を踏みにじった大友家に復讐を。俺の邪魔をする織田家に復讐を。憎悪に満ちたその瞳は、あの日見た曽祖父と瓜二つであった。



 あぁ、渇く。

 底に穴の空いた器には何も満たされない。何故、こんなにも石田何某の存在が癇に障るのか分かった。

 こいつは、俺が否定した過去そのものだ。情に施され全てを失った愚者。復讐者と化した己にとって、決して認められぬ一側面。

 


 おびただしい弱者を踏みにじり、骸の上で胡座をかく。家臣を使い捨てに勝利を抱く。そこまでしても尚、俺は能面のような無表情を保ち続ける。

 何故、そんなにも平然としていられるかだと?

 胸の奥に巣食う泥のような怒りに身を焦がれ続けていると、いつしか笑顔を浮かべる事も無くなったからだ。地獄を闊歩する修羅が、全て憤怒の表情を浮かべているわけでは無いのだよ。

 まぁ、大友家に復讐を果たすまでは地獄へ行くつもりは無いがな。



 あぁ、そうだ。

 復讐こそが、俺の原点だった。



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