14話
天正十二年四月 筑前国 遠賀川 小早川隆景
荒れ狂う遠賀川を背に馬上より槍を振るう。上半身を捻るようにして振るわれた矛先は、宙に華麗な軌跡を描きながら敵兵の首筋を斬り裂く。
「はぁあああっ!! 」
気合い一閃。唸るような一突きは敵兵の目玉を貫き、追い打ちをかけるように愛馬を嘶いて強烈な蹴りを与える。その衝撃によって抜けた矛先を振り回しながら血を払うと、手綱を引いて愛馬へ合図を送る。愛馬が走り出したのと槍を構え直したのは全くの同時であった。
まさに、人馬一体。転がる兵士を時に踏み潰しながら地を駆ける愛馬に、自ずと若かりし頃の血が滾る感覚が戻ってくるようだ。
齢五十を過ぎ、既に肉体の最盛期は過去のモノとなっている。だが、中々どうして身体が軽い。戦に出る事はあれど、もう何十年と槍を振るっていないと言うのに……だ。
それはやはり、後ろに護るべき主君がいるからであろう。
「うぅおおおおおぁあぁあああっ!!! 」
全力で槍を振るうと、半円を描くようにして敵兵が崩れ去る。そのあまりの気迫に恐れをなしたのか、一歩二歩と後退る敵兵。それらを睨み付けながら、儂は天へ轟くように吠えた。
「我が名は小早川又四郎隆景也り! 我が身、我が魂は毛利家の為にある。我がいる限り、何人足りともこの先へは通さぬ。……我と思わぬ軟弱者達よ立ち去るが良い。我がいるこの場所こそが、この日ノ本で最も危うき死地なるぞ!! 」
『ぬぅ…………っ』
全身から覇気を溢れ出しながら構える。確かに、我々は龍造寺軍の奇襲によって劣勢に立たされている。絶体絶命の危機と言っても過言では無い。
――だが、このような危機など些事に過ぎぬ。儂が、今までどれだけの修羅場を潜り抜けて来たと思っているっ!
「死にたい者からかかって来いっ!! 」
『ぅ……ぅう…………っ』
その気迫に誰も彼もが更に後退る中、示し合わせたかのように敵兵の中に人ひとり分の道が出来た。すると、まるで近所へ散歩へ行くような自然体の男が忽然と現れたのだ。
「では、某がお相手致そう。小早川殿」
言うや否や、腰を落として構える男。ただ、その腰に差した刀に手を添えただけで、まるで男の方へ引きずり込まれるような烈風が吹き荒れる。
類稀な才を持つ武人が、ただただ愚直に鍛錬を積み重ねる事で到れる極地。覇気とも違うその威圧感は、まさに全てを押し潰す重厚なる殺気。
(只者では無い)
そう察した儂は、愛馬から降りて男の名を問う。
「貴殿は、さぞ名のある武人とお見受け致す。矛を交えるその前に、是非ともその名をお聞きしたい」
「……相手に名乗らせておいて答えぬわけにもいかぬか。某の名は鍋島孫四郎直茂。我が主君の覇道を阻む者達は、この一太刀で切り伏せようぞ!! 」
「……鍋島。……そうか、貴殿があの」
龍造寺隆信の右腕。されど、その器は二流止まり。……いやはや、大した擬態だ。やはり、所詮噂話に過ぎぬか。
「……噂に聞く姿とはえらい違いであるな。己が栄誉に興味は無いか」
「他人の評価など気にはせぬ。某もまた、殿の覇道を叶える駒に過ぎぬからな。……それに、殿が一言褒めて下さるだけで、この身には充分過ぎる誉れよ」
「ふっ……違いない」
あぁ、なんと不器用な忠義者か。それがまた、実に心地よい。最早叶わぬ事なれど、一度忠節を誓った主君への想いを語り合ってみたかった。酒でも交わしながら……な。
では、始めるとしよう。
もう、充分に語り尽くした。
「では……」
「尋常に……」
『参るっ!! 』
直後、轟く衝突音。凄まじい土煙が立ち昇り、その衝撃で行く末を見守っていた周囲の兵士達が吹き飛ばされた。
宙に描かれた二つの軌跡。瞬く間に全身に無数の切り傷を作りながらも両者一歩も引かず切り結び続ける。僅かな隙が致命傷となる極限の中、敬愛なる主君への忠義を胸に、絶対に負けられない一騎打ちが幕を開けた。
***
一合、二合と矛を交える度にどんどん速度が増していく。初手は突き。されど楽に躱され、儂の動きを利用するように鍋島は刀の側面に槍を滑らす。火花を散らしながら真っ直ぐ刃が迫る。このままでは指を切り落とされる。それを即座に理解した瞬間には槍を手放していた。
「なぁ…………っ!? 」
目を見開く鍋島。力の行き場を失った刀は、そのままの勢いで儂へ向かってきた。それを篭手で受け止める。鈍い衝撃。軋む骨。されど、歯を食いしばって鍋島の腹を蹴飛ばす。
「がぁぁああぁああっ!!! 」
「ぬぐぅ………っ!? 」
距離が開くと同時に槍を拾って構え直す。視線がぶつかり合う。苛立った瞳。高揚する頬。息を整えたと同時に一足飛びに斬りかかった。
『ぅううぅぉぉおおおぁあぁあぁああっ!!! 』
払い、躱し、薙ぎ、突いては躱され、幾度も矛先がぶつかり合い、息が切れると即座に離れて呼吸を整える。気が付けば身体中に無数の切り傷が刻まれており、頬を伝う血が冷や汗のようにも感じた。
形勢は互角……と言いたいところだが、このまま長引けば分が悪いのを肌で感じる。
手数は鍋島が上、一撃の威力はこちらが上。技の冴えはこちらが上だが、身のこなしは鍋島が上だ。
ここまでならば互角に見えるが、やはり勝敗を分けるのは勝負感。少し矛を交えただけでも分かる。鍋島は、最前線で戦い続けてきた根っからの武人。対して、儂は前線から退いて久しく、ここ数年は後方で策を練っているばかり。最前線にて兵を鼓舞するのは、専ら兄上の役目であった。
最前線で戦い続けた者と、鍛錬でしか人と打ち合っていない者。両者の間にある経験の差は如何ともし難く、勝負どころを嗅ぎ分ける感覚……つまり勝負感は比べ物にならん。
それ故に短期決戦が望ましいのだが、相手もそれが分かっているから手を出さぬ。じわりじわりとすり足で距離を確かめ合いながら探り合う。
「ふぅ………ふぅ…………ふぅ…………」
「ふーっ、ふぅぅぅー、ふぅぅぅうううーっ」
お互いがお互いの動きを想定し合い、頭の中で幾度も殺し合う。こればかりは戦場に出ねば分からぬ感覚。対峙する両者の間で交わされる生死の攻防。
何故だろうな。息は切れ、戦況は劣勢で、儂がここで負ければ若様の命が危ういというのに、自然と笑みが零れていた。
何故、こんなにも胸が踊るのだろうな。
儂は、もう齢五十を過ぎた老骨だ。この戦いが、儂の人生最後の一騎打ちだろう。勝敗関係無くな。
故に、人生最後の相手が貴殿のような武人で良かった。今一度、知将としてでは無く武将として戦場で槍を振るえた、愛馬と共に戦場を駆ける事が出来た。
(なぁ、鍋島よ。お前はどう思っている? )
「………………ふっ」
鍋島は笑った。小さく、たった一瞬の事だったが確かに笑っていた。あぁ、お前も楽しいのか。この一糸乱れぬ攻防が。この執念とも言える意地と意地のぶつかり合いが。
場違いとも言える感覚。されど、お互いに相手に敬意を抱いているからこそとも言えた。まるで、唯一無二の友に出会えたようだった。
――だからこそ譲れぬ。
ほぼ同時に足を一歩踏み出す。両者の間合いが中央で僅かにぶつかり合い火花を散らす。既にそこには、笑顔など欠片も無かった。
『しかし、我らは殺し合う運命。例え、両者の間に友情が芽生えようとも、我らが主君の為に貴殿を殺そう。己が全ての技を出し尽くし、全身全霊をもってお相手致そうっ!! 』
奇しくも全く同じ事を決意すると、最後の技を繰り出そうと重心を移動させる。
『この一撃で終わらせるっ!! 』
大地を踏み締める力さえも利用し技を繰り出そうとしたその瞬間、膠着した状況に焦れたのか、周囲を取り囲む兵士達から声が上がった。