12話
天正十二年三月 京
『大友征伐の大号令』
誰が言ったかその呼び名は、瞬く間に日ノ本全土へと轟いていった。武士も、商人も、農民も誰もがその名を口ずさむ。
あぁ、遂に乱世が終わるのか。
泰平の世が訪れるのか。
そんな期待を一身に受けながら準備を進めて数ヶ月。予定通り三月の頭に前線基地が完成し、開戦は四月半ばに決定した。
既に、藤と左近はそれぞれ与力を率いて砦に入っており、嘉隆も村上水軍と合流して瀬戸内海にいる為此処にはいない。この京にいるのは、織田本軍三万と傘下連合軍一万。そして、今日という記念すべき日に詰め寄せた幾千の民衆で京は大盛り上がりを見せていた。
それもその筈、大友征伐に名乗りを上げた時の権力者が、太古より日ノ本を治める帝に謁見することを許されたのだ。そして、拝謁後に民衆に向けて進軍を宣言するという。
そんな事を聞いてしまえば、是が非でもその歴史的瞬間に立ち会いたいと思ってしまうのが人の性。俺としても、今回初めて会う傘下連合軍に属する武将達や多くの民衆に、天下人足る俺の力を示すこの絶好の機会を利用するのは当たり前であった。
***
さて、京の町では騒いでいない人が見当たらない程に盛り上がっている中、この場所だけは別世界のような静けさで満ちていた。
この日の為だけに用意した正装に身を包み、ゆっくりと姿勢を正しながら義父上の後を続く。渡り廊下に差し掛かると、そこには質素ながらも一つの世界で完成された庭園が広がっていた。芸術に疎い俺ですら、無意識に感嘆の吐息を洩らしてしまう程に完成された美。
ただ、そこにあるだけで圧倒された。日ノ本広しと言えども、こんなにも神秘的な庭園は他に無いと断言出来る。ただ金を掛けただけでは作れない芸術。それを惜しみなく捧げられる存在。
やはり、帝とは特別な存在なのだとようやく理解出来た。前世では敬意の欠片も無く、その存在に感謝を述べたのは冬休みが一日伸びた天皇誕生日だけ。なんとなく引きずっていた前世の感覚が、実際に朝廷に訪れる事でようやく拭えた。
そんな風に立ち止まっていると、前を歩いていた義父上が俺に気が付いて声をかけてきた。
「……ん? どうかしたのかのぅ? 」
「……いえ、あまりにも美しい庭園でしたので」
「そうか、そうかっ! ここの庭園は日ノ本で最も美しく、帝も大変お気に召しておられるからのぅ〜見惚れる気持ちは良ぉく分かる」
うんうんと頷く義父上を後目に、今一度庭園の方へ身体を向け直す。
これから帝と謁見する。天照大御神の血を引く現人神。この世で最も尊き御方。誰もが敬い、謁見が叶った事実を織田家の誉れと称えた。
そしてまた、乱世という地獄をずっと見続けた人でもある。
そんな人に、今から会いに行くんだ。
(一体、どんな人なのだろうか)
期待と不安を胸に俺は先へと進んだ。
謁見の間は想像以上に薄暗かった。
義父上に続くように入室し、最初に思った感想がソレである。襖は全て閉ざされており、隙間から差し込む光が部屋全体を優しく包んでいた。しかし、それ以外に明かりの類いは無く、上座より先は御簾で区切られている。
少し困惑しながらも、打ち合わせ通りに上座の手前で立ち止まって平伏する。左右を公卿達が固め、義父上は御簾の直ぐ近くに控えた。
暫くそのままでいると、遂にその時が来る。
「帝の御成りにございます」
凛とした声が聞こえた後、御簾の向こうで戸が開き、人の気配がゆっくりと近付いてくる。顔を上げていない為、詳しくは分からなかったが普通の人より存在が希薄に感じた。
「帝、彼が近江守にございます。本日は、大友征伐の必勝を誓いに来たとのこと」
「………………」
少し目線を上げて義父上を見ると、小さく頷いて応えたので予定通りに名乗りを上げる。
「お初にお目にかかります。織田近江守にございます。帝に拝謁が叶いましたこと、誠に光栄の極みにございます。…………恐れ多くも、先程述べられた殿下の発言ですが、一つだけ訂正させていただきたく」
ゆっくりと顔を上げる。
「本日は、朝敵大友宗麟討伐並びに、織田家が天下一統を果たし、この日ノ本に泰平の世を築く事を宣言しに参りました」
俺は、堂々と宣言してみせた。
ザワザワと公卿達に動揺が走る中、不意に声が響き渡った。
「…………近衛を残して退席せよ」
決して大きな声では無いのに、不思議と耳に残る声音。それが帝の声だと気付いたのは、公卿達が動揺しながらも従うように退席した後だった。
義父上は、狼狽えたように帝と向き合いながら何度か呟くと、遂に納得したのか場所を移動する。そして、手元の紐を操作したかと思えば、ゆっくりと御簾が上がっていき、ちょうど口元が隠れるかどうかの所で止まった。
その一連の流れに動揺していると、帝はゆっくりと口を開いた。
「近江守よ」
「ははっ」
「そなたは王の器ぞ、神の器では無い。その旨、ゆめゆめ忘れるでないぞ」
「…………ははっ、承知致しました」
帝の言葉に再度平伏して応える。義父上は何も言わなかった。ただただ、静寂がその場に流れていた。
***
結局、帝の言葉はその一言だけ。それ以外は義父上を通して言葉を少し交わしただけで、直ぐにその場を後にする事になった。
色々思うところはあるが、今は特に気にする事は無いと迷いを切り捨てる。速やかに下ろし立ての着物へ着替えると、勢いよく幕の外へ出る。この日の為に建てられた演壇は、この場に集まった大観衆を一望する事が出来た。
『うぅぉぉおおおおおっ!!! 』
大歓声が巻き起こる。それを一身に受けながら右手を上げると、示し合わせたようにピタリと歓声が止む。それを合図に一度咳払いをしてから、一歩前へと進む。
この規模の演説は初めてたが、そうも言っていられない。既に腹を括ってある。マイクの無いこの時代、どれ程の人に届くかは分からないが、それでも多くの心に届くように願った。
「時は来た。百余年続いた乱世に終焉の時が来たのだ。誰もが願い、誰もが果たせなかった夢の跡。その軌跡を辿り、織田家は天下一統を目前に控えている。約束しよう、余の統治をもって民を苦しみから解放し、千年続く泰平の世を築く事を」
『ぉおぉおぉおぉぉおおおっ!!? 』
再び湧き上がる歓声。されど、それは大友宗麟の名を口にした事で直ぐに止まる。
「されど、その道を阻む者がいる。泰平の世を遠ざける者がいる。民が虐げられて笑う者がいる。宣教師と結託し、日ノ本の民を異国に売り払って私腹を肥やす者がいる。…………豊後国を治める大大名大友宗麟だ。奴がいる限り、この日ノ本に安寧の世は決して訪れないっ!! 」
『………………』
右手を勢いよく振るうと、民衆は一様に黙り込んだ。次の言葉を待つように。その期待に応えるように、握り拳を民衆に見せつけるように掲げながら吠えた。
「だが、案ずる事は無いっ!! この日ノ本には、誰よりも民の安寧を願う御方がいる。その御方が、大友宗麟が犯した狼藉を許す筈も無い。その御方はただ一言仰られた。……大友宗麟を討てっ!! 」
俺の言葉を合図に、壇上へ錦の御旗を持った三七叔父上が登る。その姿に、その手に持つ御旗に民衆は溢れんばかりの大歓声を上げた。
『ぅ……ぅわあぁぁああああぁあああっ!!! 』
京中に届くような大歓声。俺は、三七叔父上から御旗を受け取ると、傍に控えている権六へ渡す。少し手が震えていたが権六は確かに受け取った。その流れで、その横にいる五郎左から大太刀を受け取る。準備が整うと、俺は大歓声に負けないように声を張り上げながら三七叔父上と向かい合った。
「織田本軍並びに大友征伐軍総大将に、織田大和守信孝を命ずる。その武勇をもって、天下泰平へと続く道を切り開けっ!! 」
「御意っ!! 」
片膝を着きながら誇らしく大太刀を受け取る三七叔父上。その姿に、この場に居合わせた全ての者達は息を呑む。
三七叔父上もまた、戦国の覇王の血を継ぐ者。ここ数年で築いた確かな実績によって裏付けられた自信は、彼の身に眠る覇気を呼び覚ました。
織田軍が誇る武人が、織田本軍三万・傘下連合軍一万を率いて京を発つ。天下一統総仕上げ、大友征伐が遂に始まった。
狙いはただ一つ、大友宗麟の首である。
***
一方その頃、朝廷では帝と近衛前久が話し合っていた。議題は、今はもうこの場にいない三法師について。
「……近衛よ、あの幼子の瞳を見たか? あれは、何かを守る為に人を殺める覚悟を決めた瞳よ。決して、あのような幼子がして良い瞳では無い」
その悲しげな声音に、近衛前久の顔が歪む。
「……されど、最早日ノ本の命運は彼の身に掛かっております。それを、受け入れてしまっている以上、あの子は進むしかありますまい。例え、それが破滅に向かっていようとも」
普段の口調は鳴りを潜め、ただただ一人の義父として三法師の身を案ずる近衛前久。その姿に、帝はある確信を得た。
「……才ある者は、いずれその才に潰されてしまう。力を振るう相手がいる間は良い。されど、その相手がいなくなった時、振り上げた拳は誰に向かうか」
「帝……」
「近衛よ、あの幼子を一人にしてはならぬぞ。未だ、あの身はどちらに転ぶか分からぬ」
「……ははっ、承知致しました」
深々と平伏する近衛前久を後目に、帝はゆっくりと立ち上がって襖を開ける。雲ひとつ無い青空に轟く大歓声。それを聞きながら、帝はポツリと呟いた。
――人は神にはなれぬ。どれ程焦がれようとも、神にはなれぬのだ。絶対にな……。
それは、誰に聞かれる事も無く、静かに空へと溶けていった。
龍造寺敵対によって討伐軍再編成。
織田本軍 総大将 織田信孝。
兵数三万。
主な武将
蒲生忠三郎
河尻秀隆
堀秀政
第二軍 大将 羽柴秀吉
兵数五万
主な武将
筒井順慶
細川忠興
津田信澄
中川清秀
高山右近
羽柴秀長
黒田官兵衛
加藤清正・石田三成・小西行長
毛利家援軍
第三軍 大将 滝川一益
兵数五万
主な武将
池田恒興
丹羽長重
三好信吉
毛利長秀
九鬼嘉隆・水軍大将
村上武吉
長宗我部援軍
傘下連合軍一万
関東及び奥州の大名家より各五百人から千人程。
見学が主な役割であり、各大名家の名代が参加している。本陣付近で待機。
柴田勝家率いる北陸軍不参加。
丹羽長秀は不参加だが、家臣団は息子である丹羽長重と共に滝川軍と合流済み。
徳川家・武田家・北条家・真田家は不参加。
織田信雄 病欠。




