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11話

 天正十一年 十月 安土城 羽柴秀吉



 手元の僅かな灯りを頼りに夜道を歩く。安土城の大門を抜け、緩やかな下り坂を歩いていると、直ぐに武家屋敷が建ち並ぶ通りに差し掛かった。

 儂の顔を見た途端、慌てて平伏する四人の門番の間を抜けて二軒先にある屋敷へ入る。玄関で履物を脱ぎ、横に控える侍中に灯りを渡す。ようやく一息つけたのは、寝室で横になる頃だった。

「…………はぁ」

 中々寝付けず、何度か寝返りをした後に瞼を開ける。暗闇の中で、僅かに見える天井の切れ目をただじっと眺める。意味なんて無い。惰眠を貪るような無駄な時間を過ごしている中、脳裏に浮かんでくるのは、決まって先程の話し合いだった



 ***



 退出する三法師様を見送った後、儂らは自然と解散していった。あれ程荒れていた権六殿と五郎左殿の表情はいつの間にか晴れやかになっており、終わってみれば織田家の方針はそのままに大老達の結束が高まる結果となった。

 如何に異国の脅威を知ろうとも、掲げる大志は揺れる事無く立ち続ける。幼きその身に重なる覇王の影。儂は、改めて思った。この御方がいれば織田家は安泰だと。

 そんな思いを胸に階段を降りていると、不意に後ろから呼び止める声がかかった。

「……殿、少し宜しいでしょうか? 」

 足を止めて振り返る。そこには、思い詰めたような暗い表情を浮かべる官兵衛の姿があった。これは、主君として話を聞かねばと思い、官兵衛の誘いを受け入れる事に決めた。

「……あぁ、分かった。そうだな……もう、こんな時間だ。そこの一室を借りるとしよう」

 儂の提案に官兵衛は黙って頷く。深夜、誰も通らぬ暗闇の中、静かに襖を閉じる音が響いた。




 月明かりを頼りに明かりを灯す。儂と官兵衛の顔を僅かな火が照らす。重苦しい沈黙が流れる中、儂は励ますように声をかけた。

「そう、気を落とすな。齢三十半ば、一介の家臣足る官兵衛が、織田家当主と四大老を前にして堂々足る立ち振る舞いでその知勇を示したのだ。素直にそれを誇るが良い」

 腕を組んで固く頷く。

 実際、国持ち大名ですら無い官兵衛が儂ら四大老を呼び出し、あまつさえ天下人足る三法師様の前で今後の織田家の行く末を語ったのだ。

 何と豪胆な事か。褒美とは言えども、その場で無礼討ちされても文句は言えぬ。もし、上様の前で同じ事をしていれば、正直命の保証は出来ぬだろう。

 儂は、そんな官兵衛の覚悟を心底気に入った。半兵衛亡き今、やはり官兵衛が儂には必要不可欠だろうと。それ故に、こうして落ち込む官兵衛を励まさんとしているのだ。



 しかし、それでも尚、官兵衛の表情は影が差したままであった。

「若様は、本気で天下泰平の世を築かんとしているのですね。戦うしか道は無い。平和とは血の流れた量だけ持続出来る。……そう思っていた私にとって、異国と商いをして国力増強を図り、あまつさえ異国と同盟を結ぼうとは想像すら出来ませんでした。…………もし、あの御方のような人格者が増えれば、日ノ本は本当に泰平の世を迎えられるやも知れませぬ」

「はっはっはっはっはっ!! そうであろう、そうであろう! 」

 基本的に人を高く評価しない官兵衛が、曲がりなりにも三法師様を褒めた事に頬を緩ます。自分自身が褒められたわけでも無いのに、何故だかとても嬉しく思えた。

 だが、それは直ぐに収まることになる。

「されど、あまりに現実が見えていない。大友征伐も、そう簡単に終わるとは思えない。他の大名家がどう出るか……人はそう簡単に変わることは無いのです。正直、今のままでは天下一統を果たせても、天下泰平の世は決して訪れないでしょう」

「…………」

 噛み締めるように呟く姿に、儂の心は急速に冷めていった。気付いているのだろうと、気付いていたのだろうと、何処か咎めるような視線が儂を貫く。

 儂は、それを咎める事も無く頷いて肯定した。

「あぁ、そうかもしれんなぁ……」

 織田家大老としてあるまじき行為。されど、苦楽を共にした官兵衛を相手にしているが故に、今後の織田家が抱える難題が零れてしまった。

 加速度的に膨れ上がる領地。それに伴う人材不足。古参と新参の格差。裏で暗躍する宣教師。切支丹大名。

 ……否、官兵衛が言いたいのはそれでは無い。

「力を持ち過ぎた大名家の存在……か」

「…………っ! えぇ、左様にございます」

 今まで避けていた難題に触れると、官兵衛は一瞬だけ驚いたように眉を動かしたが、直ぐに意味深な笑みを浮かべた。

 あぁ、どうやら儂の予感は的中したらしい。どうやら、今夜はまだまだ長引きそうだ。



 足を崩して顎に手を添える。深く吐いた溜め息は誰に対してのものか。

「北条家が百万石、長宗我部家が六十五万石。毛利家と島津家は、大友征伐の働き次第で六十万から七十万石はいく……か。権六殿や儂の領地も広大。与力を合わせれば百万石にも手が届く。……後の事を考えれば、織田家を脅かす勢力になるやもしれん」

 織田家が天下一統を果たせば、儂は家臣という立場から将軍家を支える大名へと変わる。であれば、一大名家に百万石の領地はあまりにも多過ぎる。せめて七十……否、五十万石には抑えなくては、将軍家と大名家との力関係がひっくり返る。

 そうなれば、官兵衛の言うように天下泰平の世は訪れない。待っているのは、将軍が大老の言いなりになる鎌倉幕府のような傀儡政権。

 無論、儂の目が黒いうちはそんな愚行を許すわけが無い。……だが、その子孫は分からん。広大な領地を持つ大名家の子孫が、未来永劫織田家に忠節を誓うなど欠片も思っておらぬ。

 故に、官兵衛の描いた道筋が儂にも理解出来た。

「えぇ、その通りにございます。今は良い。若様がいる。殿がいる。家臣団にも若様へ忠節を誓う者も多い。されど、百年・二百年先を考えればどうでしょうか! 間違いなく、力を持ち過ぎた大名家の暴走が見て取れる。誠に天下泰平を願うのであれば、直ぐにでも大名家の力を削がねばなりますまい。その打って付けの機会こそが……唐入り」

(やはり、官兵衛の狙いはそれだったか)

「丹羽様は、唐入りは無謀であり織田家の力を失墜させると説きました。柴田様は、唐入りをして日ノ本の力を南蛮に示さねばならぬと説きました。そして、ここに力を持ち過ぎた大名家という難題がございます。……さて、全ての問題を解決するにはどうすれば良いでしょうか? 」

 一つ一つ確かめるように話す官兵衛に、儂はあの時黙っていた策を話す。

「……儂が旗頭となり織田家の反乱分子を集めて出撃。成功してもしなくても反乱分子を日ノ本から遠ざける事が出来、兵士の大半を諸国の大名に負担させて力を削ぐ。消耗するのは諸国の大名家故に織田家に問題は無く、各地で激戦を交わせば南蛮に日ノ本の力を示す事が出来る。……織田家の大老が動けば不審に思われまい」

 そして、唐入りが失敗に終わった儂を日ノ本を混乱に陥れた謀反人として討てば、三法師様の威光は高まり、織田家の地位は安泰となる。

 儂と数十万の命で泰平の世を築けるのであれば、それもまた致し方無い事か。

「殿、私は最期までお供致します」

 瞳を輝かせる官兵衛に、儂は答えを告げた。

「儂は……儂は――」



 ***



 ゆっくりと瞼を開ける。

 結局、儂は唐入りを承諾する事は無かった。三法師様の決定に従う事にしたのだ。

 確かに、官兵衛の提案に乗る方が確実なのかも知れん。だが、三法師様とて何も考えていないわけでは無い。血を流さずとも、泰平の世を築き維持する策を練っておられる。

 ……まだまだ、穴だらけの策ではあったがな。それでも、三法師様には多くの時間が残されている。いつか、きっと理想を実現出来ると信じている。



 夜は、まだ明けていなかった。



 ***



 暗がりを一人の男が歩いている。

「あぁ、何故誰も理解出来ぬのだ……。何故、覇道を拒絶するのだ……。せっかく、ここまでお膳立てしてやったというのにっ! 」

 苛立ち混じりに悪態をつくと、不意に立ち止まって夜空を見上げた。

「…………そうだ、もう王の器を育てる必要は無い。下準備は整っているのだ。後は、それを計画通りに実行するのみ。馬鹿には出来ないが、それを可能な者が此処に居るでは無いかぁ!! 」



 ――あぁ、そうだ。私が王になれば良い。



 狂った男が月に映し出される。身を焦がす程に燃え盛る野心は、己のみならず全てを焼き尽くすだろう。




 それから時が流れ。


 天正十一年十一月。

 帝の勅命を免罪符に、織田家が諸国の大名家へ大友討伐令を出す。しかし、官兵衛の懸念が的中し、島津家・秋月家・相良家以外はこれを固辞。龍造寺家は、戦わずして軍門に下る事は無いと高らかに宣言し、大友家は徹底抗戦の構えを見せた。

 これを受け、朝廷は勅命に背いた大名家の官位と守護職を取り上げ、織田家は傘下の大名家へ出兵を命じた。


 そして、天正十二年三月。

 着々と先陣が国境線で戦支度を整える中、三法師は織田家本軍を率いて上洛。帝との謁見後、大友征伐を行うと宣言した。



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― 新着の感想 ―
[一言] 南蛮から順々に南下して征服していけば徐々に武士も消耗させられて、ついでに君もルソン王とか南海の王になれると思うんだがなぁ。
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