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10話

 天正十一年 十月 安土城 羽柴秀吉



 権六殿と五郎左殿。長年にわたって織田家に忠節を尽くしてきた重臣中の重臣。その二人が、額を突き合わせてこれからの行く末を話し合う。ここだけ聞けば良い取り組みに思えるが、実際のところ殴り合いの喧嘩に発展してもおかしくなかった。両者共に信念を曲げない為、押し問答と言っても過言では無い。

 そんな危うい状況は、三法師様のたった一言で終わりを告げた。

「双方そこまで」

 三法師様のお言葉に、一同即座に顔を伏して控える。そこには、先程までの騒がしさは一切感じられない。主の命令故に当たり前ではあるが、普通であれば齢四つでここまで言葉に厚みは出ない。

(やはり、上様の血か)

 幼き主君の成長を嬉しく思いながらも、対照的にその場で停滞している自分自身を情けなく思う。……否、寧ろ昔のように戻ってしまうのならば後退か。

 そう思うておると、三法師様のお言葉が聞こえてきた。

「皆の意思は確かに受け取ったよ。様々な意見が出たね。皆の意見の方向性は違えども、織田家と日ノ本の行く末を真剣に考えている事はちゃんと伝わってきたよ。その事に、先ずはお礼を言わせてほしい。……ありがとう、皆の想いが無ければ今の織田家は無いよ」

『…………っ! 勿体無きお言葉、恐悦至極にございますっ』

 三法師様の儂らを労るお言葉に、一同身を震わせていると、三法師様は一度強く頷いて口を開かれた。

「では、余の決定を告げようか」

 そのお言葉に身を引き締め直す。

 時の流れが、いつもよりゆっくりと感じられる。緊張の瞬間。高鳴る鼓動。幾ばくも経っていないにも関わらず、三法師様のお言葉を待っているこの時間は半刻にも、一刻にも感じられた。

 そして、遂にその時は来たる。

「織田家は唐入りを実行しない。例え、それが爺様の目指した覇道だとしても余の答えは変わらないよ。西欧諸国とは真っ向から対峙せず、天下一統を成し遂げた後は日ノ本の内政に重点を置く。……戦は、もうお終いにしよう」

 三法師様は、暖かな微笑みを浮かべられながら、静かにそう告げられた。



 皆がその言葉を噛み締める中、三法師様は権六殿へ視線を向けられた。

「権六」

「……はっ」

「そなたの想いは間違っていない。これから先を生きる子供達が幸せに暮らせるように、自分自身の手で脅威の種を取り除きたかったんだよね? 大切な人達が傷付く可能性を、見て見ぬふりになんて出来なかったんだよね? 」

「……おっしゃる通りにございます。儂は、もう老い先短い老骨にございます。後、何年槍を振るえるかも分かりませぬ。……黒田の話を聞くうちに、南蛮からの侵略を受けた際に戦場にすら立てぬ程に老いた己の姿が脳裏を過ぎり、ただただ絶望致しました。そんな思いをするくらいならば、この手で南蛮を滅ぼして戦場で果てたいのですっ! 」

 裾に刻まれた深い皺が権六殿の葛藤を表す。

 権六達は猪武者では無い。民を労る政策を掲げ、その優れた手腕で越後国再建を目指している。確かに、国を任されるだけの知性があるのだ。

 しかし、その本質は戦場で仲間を鼓舞する武将の器。そこに、己の在り方を自覚しているだけに、老い先短い己の運命を受け入れる事が出来なかったのだろう。

 そんな武に生きた男の心を解すように、三法師様は権六殿を労るように寄り添われた。

「権六、後を託す事は逃げでは無いよ」

「…………っ! 」

 その言葉に、権六殿の目が見開く。

「勝蔵に忠三郎、そして源二郎……将来有望な若者達は、日々切磋琢磨しながら成長している。余とて、良き主になれるように日々努力しているよ。先人達から引き継がれたモノを決して無くさない為に……ね? 」

 三法師様は、そう悪戯気に微笑まれると、成り行きを見守る儂らにも視線を向けられた。特に、権六殿と同じで大陸進出を掲げていた官兵衛に語りかけるように。

「……そしてまた、余も後進に意志を託すんだよ。そうやって、人の想いは繋がっていくんだ。大切な人を守りたいと願う気持ちは、いつの世も誰もが持ち合わせている。これから先も、ずっと皆の胸の中にある。だから……大丈夫だよ。例え、権六が死んでもその意志は誰かが必ず引き継ぐ。権六の想いは決して無駄にはならない。権六に必要なのは、きっと後進に後を託す勇気だけだよ」

「あ……ぁぁ…………儂は……儂は……っ」

 大粒の涙を流しながら身体を震わせる権六殿。きっと、権六殿は義息子達や家臣達の事を大切に思うあまり、自分自身で何とかしようと視野が狭まっていたのだろう。

 それを、三法師様のお言葉で気付く事が出来た。蔑ろにしていたわけでは無いのだ。ただ、心に空いた僅かな隙間から不安が漏れ出ただけ。直ぐに、いつものような権六殿に戻れるだろう。



 そして、そんな権六殿を呆然とした表情で眺めていた官兵衛が身を震わせながら声を上げた。

「し、しかし……それでは南蛮の脅威が……。日ノ本のこれからを考えるのであれば、放置するわけには……」

 あぁ、そうだ。まだ、その問題が残されている。しかし、三法師様は依然として暖かな微笑みを保たれていた。

「大丈夫だよ。何も、侵略や鎖国だけが日ノ本を守る道では無いからね」

「それは一体……」

「同盟を結べば良いんだよ。世界は南蛮だけが全てでは無いし、その南蛮にだって多くの国や人がいる。近場にだって、明国以外にも琉球や呂宋、天竺だってある。そこには、きっと南蛮の在り方に不満を持つ人々がいる筈だよ」

『…………っ!? 』

 想像する事すら出来なかった三法師様のお考えに、一同驚愕の眼差しを向ける。それ等を一身に受けながら、三法師様は丁寧に説明をして下さった。

「侵略や鎖国は利点もあれば欠点もある。藤の言うように、それ単体では効果が薄いモノもある。ならば、異国との付き合い方を変えれば良い。正しく国境を管理し、国同士で交流をすれば良い。一国では適わぬ敵がいるのならば、他の国々と力を合わせて立ち向かえば良い。それは、皆も知っている戦の基本だと思うよ」

『な、なるほど……』

 確かに、この織田家とて多くの大名家と同盟を結んできた。強大な織田家を打倒せんと、多くの大名家が結束して包囲網を組んだ事もあった。

『他国との同盟』

 侵略でも鎖国でも無い第三の選択肢。それは、儂もまた、視野が狭まっていた事を自覚させられるには充分過ぎた。

 動揺する一同を後目に、三法師様は棚から一つの木箱を取り出すと儂らの前に置く。ゆっくりと開かれたそこには、乾燥された大きな昆布と何やら真っ黒な物体が入っていた。

「……三法師様、これは一体? 」

「昆布と海鼠だよ。蝦夷地の調査に出していた者達から、献上品として沢山貰ったんだ。良い出汁が取れるって料理人も喜んでいたし、今井宗久も異国との商いに使えるかもと興味を持っていた。きっと、異国にもまだまだ見た事の無い物が沢山ある。お互いの資源を交換すれば、更に有意義な交流を交わせるだろう。その為にも、湊は閉じない方が良いね」

 その言葉に、湊を閉ざすように声を上げていた五郎左殿や左近殿が慌てて詰め寄る。

「し、しかし三法師様! 湊を閉じねば南蛮からの侵略を止める術が……」

「いや、湊の封鎖は急ぐべきでは無いよ。まだまだ早い。五郎左の言うように、日ノ本と南蛮との間には隔絶した技術力の差がある。なら、それを埋める為にも積極的に商いをして、南蛮の知識を吸収するべきだよ」

「しかし、そう簡単にいくとは思えませぬ! 敵に知識を渡す馬鹿が何処におりましょうか! 」

「敵と思われていないのだろう? 宣教師達は、日ノ本を蛮族が治める野蛮な国だと本国に報告している。なら、その好機を逃したくは無いよね。侮りたくば好きなだけ侮らせれば良い。その隙に、南蛮と渡り合えるだけの力を蓄えさせて貰うよ」

「さ、左様にございます……か」

 人の良い顔で恐ろしい事を述べる三法師様に、五郎左殿も思わず引き笑いをしながら後退る。

 儂は、そんな三法師様の考え方が、まるで上様のようだと思ってしまった。



 そして、皆が一様に黙った事を納得したのだと捉えた三法師様は、手を叩いて皆の視線を集めた。

「さて、今日はここまでにしようか。実に、有意義な時間だった。偶には、こうやって腹を割って話すのも良いかもね。……官兵衛、そなたの気持ちも分かるがあまりに早計過ぎる。先の事ばかりに気を取られていると、目の前にある小石に足を取られてしまうよ? 皆も、先ずは大友征伐の準備を整えるように」

『御意っ!! 』

「…………御意」

 襖を開けて退出する三法師様を平伏しながら見送る。その時、隣りで顔を伏せる官兵衛の姿が、やけに記憶に残っていた。



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― 新着の感想 ―
[一言] ジャガイモや北海道でも作れる米とかの農業チートが無い以上進むなら南海一択、南蛮の船さえ手に入れば目指すはオーストラリア一択なんだけどなぁ。
[気になる点] 実際、家康は朱印船貿易で三法師の考えに近い事をやっていた。 そこには山田長政みたいな存在も居るも居るのだから、官兵衛が海外雄飛したければそれも叶うんじゃないかな?黒田家として或いは個…
[一言] 実際天下統一したらあぶれ出た浪人や元大名の家臣たちが跋扈して治安を乱す原因になりますから限定的な入植やらは必須になりますよね でなきゃ大坂夏の陣みたいな戦いをする羽目になるし、その後に治安を…
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