9話
天正十一年 十月 安土城
双方勢い良く立ち上がり、真っ向から対立する五人。その瞳は、ただ真っ直ぐに相手だけを見詰めている。
正直、主としては止めるべきかと思うのだが、ここで無理矢理引かせても後々遺恨が残る。であれば、好きなだけ自分の気持ちをぶつけ合って発散して貰った方が良い。刀も無いし、最悪殴り合いの喧嘩だろうて。ガス抜きだ、ガス抜き。
そそくさと安全圏に移動すると、真剣な表情で両者の行く末を見守る。この対立の結果はどうであれ自分の意見をまとめなくてはならないし、真剣に織田家の……日ノ本の未来を考えた上での対立だ。俺には、それを見届ける義務がある。
俺が安全圏に退避した事を無意識に察したのか、権六と五郎左はお互いに一歩足を踏み出した。
***
先ず、口火を切ったのは五郎左だった。
「南蛮と正面から戦うなど愚の骨頂。宣教師共を追い出し、日ノ本に巣食う切支丹を処刑し、湊を閉ざして国境を断絶する。日ノ本の平和を守る為に、南蛮と日ノ本の間にある壁を厚くして独立するべきであろう!! 」
右腕を振るって国内一掃を表現する五郎左。それに対して、権六は極めて冷静であった。
「完璧な独立など所詮絵空事よ。現に、宣教師共は大海を越えて日ノ本へやってきた。外に大敵が居る事実が変わらぬ以上、日ノ本を守る武士として見て見ぬふりは出来ん。……それに、日ノ本に巣食う全ての切支丹を処刑する事は不可能だ。宗教の厄介さは、五郎左とて嫌になる程に分かっておろう。どうせ隠れて信仰する。根元から処理せねば、いつまで経っても草むしりは終わらぬわ」
『…………』
嫌な事を思い出したかのように顔を歪める両者。成り行きを見守る左近や藤も、苦虫を噛み潰したように眉間に皺が寄っていた。彼らにとって宗教は因縁の相手。それ故に、色々と思うところがあるのだろう。
口を閉ざす五郎左を説き伏せるように、権六は五郎左の右肩に手を置く。
「儂とて無益な戦はしとうない。だが、戦わねば救えぬ命がある。守れぬモノがある。最早、一刻の猶予も無い。早急に南蛮と戦えるだけの戦力を集めなければ、この日ノ本は奴らの占領地になってしまうだろう。……五郎左、ただ殻に閉じこもるだけでは何も守れやせんのだ。貴様とて、本当は分かっているだろう」
その言葉に、五郎左の顔が悔しげに歪む。右肩に乗る権六の手を振り払うと、それでも納得出来ぬと睨みつけた。
「……確かに、ただ黙って嵐が過ぎるのを持つだけでは全てを失うだろう。援軍の無い中籠城するようなモノ。下策も下策だ…………だが、それは今回は当てはまらない」
「…………なに? 」
首を傾げる権六。その様子に五郎左は僅かに笑みを浮かべると、襖の向こうを指差した。
「昔、上様から【天下を記す球体】を見せていただいた事があっただろう」
「……あぁ、あの奇妙な玉か」
「その時、権六は何を感じた? 宣教師が記した物など信用出来ぬと一蹴したか? 日ノ本の小ささに嘆いたか? 怒りを覚えたか? ……私は違う。南蛮や明国の広大な領土に恐れを覚えた。日ノ本よりも広大な海を自由に渡れるその技術力に、日ノ本と南蛮の圧倒的な格差にただただ絶望した」
「…………」
襖の向こうへ視線を向けながら淡々と語る五郎左。それを黙って見詰める権六。権六は、五郎左の気弱な発言を咎めたりしなかった。ただ、裾に皺が深く刻まれていた。
両者の間に暫しの沈黙が流れた後、不意に五郎左は視線を戻して権六と向かい合う。
「なぁ、権六よ。勝てるわけが無いんだよ。たった二丁の鉄砲が戦の常識を変えたように、南蛮と日ノ本の間には決して越えられぬ壁がある。勝ち目など万に一つも無い。そんな無駄な戦の為に、多くの未来ある若者達が死んでいくなど……断じて許容出来んっ!! 」
力強く断言する五郎左の背から覇気が溢れる。重苦しい空気が流れる中、権六は涼し気な顔付きで一歩足を踏み出す。負けじと、五郎左も足を一歩踏み出した。
「決して勝てぬ戦など存在せぬ」
「決して適わぬ敵は存在する」
「戦わねば日ノ本を守れぬ! 平和を手に入れたいのならば、この手で勝ち取らねばならぬのだ! それが、何故分からぬのだ!! 」
「戦えば織田家は潰えるっ! 遠征のその先で数多の犠牲を出せば、必ずや遺恨の種が残る。それは、積もり積もって織田家を打倒せんとする大火へと至るであろう。このままでは、この日ノ本に乱世が蘇るだけだ! 権六、貴様は今一度あの地獄を見たいのかっ!! 見たくないのであれば、そんな簡単な事を見抜けなかったその瞳は節穴だ!! 」
「な、なんだとぉ!! 」
互いに譲らず睨み合う両者。手段は違えど目的は同じ故か、一向に折り合いが付かず話し合いは平行線を辿る一方。段々とヒートアップしていくのが目に見えて分かった。
そろそろ止めるべきかと思っていると、この流れに乗るように、今まで静観していた左近達が二人の間に入っていく。
「権六殿は、先程から日ノ本を救う為に戦わねばならないと言っているが、戦うとはいつまで戦い続ける気だ? 唐入りのその先は? 南蛮まで、あの果てしなき大陸を横断しながら戦火を広げる気か? ……正気の沙汰では無い。どれ程の血が流れると思っているのか。これでは、終わらない戦と同じでは無いか」
「…………」
思わぬ横槍に驚く権六。そんな権六をフォローするように、官兵衛が声を上げた。
「しかし、丹羽様の言うように南蛮はこの日ノ本を一捻りに出来る力を持っております。その力が、いつ日ノ本に振るわれる事か……。丹羽様とて、それを見過ごす事は出来ませぬでしょう? 奴らを倒さない限り、この日ノ本に安寧の世は訪れないのです。柴田様の言うように、平和はこの手で勝ち取るべきでしょう。……時間は、もうあまり残されていないのですから」
「時間がもう無い……だと? それは、南蛮からの侵略を指しているのか? そんな何時来るかも定かでは無いモノ、国内で迎撃の準備を備えれば済む話では無いか。こちらから、大陸へ進出する必要性など皆無だ! 」
意味深に語る官兵衛を鼻で笑う左近。しかし、官兵衛の示唆したモノとは全く違うモノだったのか、官兵衛は首を横に振って否定する。
「否、私が申したいのは寿命にございます。私も、そして皆様もいずれ年老いて死に行く運命。数十年の月日が経てば、乱世を駆けた一騎当千の強者達の何人が生きておりましょうか……。泰平の世を築く。それは、誠に素晴らしき願いにございます。されど、それは間違いなく日ノ本の武力低下を招くでしょう。その時、日ノ本を守る武士達は南蛮からの侵略を阻止出来ましょうか? 」
「…………」
言葉を詰まらせる左近。その姿に、官兵衛は悲しげな眼差しを向けながら続けた。
「戦を知らぬ者と平和を知らぬ者が戦場で相対した時、どちらが勝つかは言うまでもありません。迎撃するにせよ、侵略するにせよ、勝ち目は今しかございませぬ。一騎当千の強者揃う今しか……。柴田様は、それを分かっているが故に唐入りに賛同を示したのですよ」
そこで官兵衛は話を区切ると、引き継ぐように権六が前に出る。
「今、ここで叩かなければ、南蛮の存在は未来永劫日ノ本の悩みの種として残るだろう。儂は、こんなろくでもないモノを残して死ぬわけにはいかぬ。輝かしい未来を生きる子供達へ負の遺産を残すわけにはいくまいて。分かってくれ、五郎左よ」
「…………」
権六の言葉に俯く五郎左。
「……権六が、この先を見据えた上での選択をした事は分かった。だが、やはり私は承知しかねるっ」
しかし、その決意は揺れる事は無かった。
「五郎左!! 」
「如何に大義を抱こうと、その先に地獄しか待っていないと何故分からぬ!! 権六は、先の事ばかりに囚われて今を見ておらぬ! 今の日ノ本に、大国と渡り合える力は無いと何故分からぬのだっ!! …………私は、織田家大老として……日ノ本を守る武士として……唯一無二の友として権六を止める。絶対に引く気は無いぞ!! 」
覚悟を決めた五郎左に続くように左近が横に立つ。それに対抗するように、権六・藤・官兵衛が並んだ。
「平和は勝ち取るべきでございます!! 南蛮共は、日ノ本の民を食いモノとしか見ておりませぬ! 交渉すら叶わぬのです。最早、争う以外の選択肢はございませぬ!! 」
「否、迎撃だけで十分だ! まともに大国へ戦を仕掛けても勝てぬ以上、日ノ本に巣食う切支丹を追い出し、一枚岩となって南蛮に対抗する。その為にも、即刻湊を封鎖すべきだ! 」
「だが、湊を閉ざしてはこちらの動きを悟られる。慎重に動かねばなるまい」
「湊を閉ざさぬ限り、奴らの手先が次々と日ノ本へ上陸するのだぞ? 民の流出も防げぬ。後手に回っても良い事など無いだろう! 」
「否、否、否ぁ!! 平和は、勝ち取らねば決して得られぬっ!! 既に、多くの民が異国へ売り飛ばされておるのだ! それを先導したのは宣教師であり、その裏にいるのが南蛮共だ。それを見過ごせと言うのか!! 儂らが仇をとらなくて、いったい誰が犠牲者の無念を晴らすのだ!! 」
「いや、日ノ本は独立すべきだ。湊を閉ざして今まで以上に南蛮との壁を厚くし、今を生きる日ノ本の民を守るべきだ! ……確かに、奴らは許されざる行いはした。決して許してはおけぬ。だが、その仇は大罪人大友宗麟で晴らせば良い。それで、残された者達も納得しよう」
意見をぶつけ合っていくうちに、討論はどんどん白熱していく。言葉は徐々に荒くなり、今にも殴り合いの喧嘩に発展しそうな空気が流れている。
――さて、ここまでだろう。
パチりと一度扇を鳴らすと、つい先程まで白熱していた討論は鳴りを潜め、誰も彼もが即座に平伏した。
俺は、その様子に満足気に頷くと、ゆっくりと上座に座り直して口を開いた。
「双方そこまで」
皆の意見は分かった。それを踏まえた上で、織田家当主として結論を出す。