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7話

 天正十一年 十月 安土城



 涼やかな風が吹き、虫の音色が静かに町を包む夜。天守に六名の男達が集められた。織田家当主である俺を筆頭に、権六・藤・五郎左・左近の大老四人。そして、藤の軍師である官兵衛。

 他には誰も居ない。小姓すらも。これならば、多少声が大きくなっても誰かに盗み聞きされる事は無いだろう。この徹底した人払いを願い出たのは、他でもない皆を集めた張本人である官兵衛その人だった。



 俺は、集められていた者達を一瞥しながら上座へと進む。直後、横に控えていた官兵衛が襖を閉じた。一同深々と平伏する中、ゆっくりと上座へ腰を下ろす。準備は整った。それを感じ取った官兵衛が、一歩斜め前へと進み、一度俺に頭を下げた後に権六達へと向き直った。

「本日は、お忙しい中私の為に皆様の時間を割いていただき、誠にありがとうございまする。そして、私のような下賎な身の上で、皆様をお呼び立てした無礼をどうかお許しくださいませ」

 深々と頭を下げて詫びる官兵衛を庇うように、俺からも権六達へ事情を説明する。

「官兵衛は、先の高野山の一件で大いに織田家の為に尽力してくれた。その褒美として、皆を集める場を設けたんだ。しかし、官兵衛が望んだのは皆を集める事だけ。議題はまだ聞いていないけれど、それに同意するかは皆次第。それ以上は、自分の力で勝ち取ると言った。そんな官兵衛の漢気に免じて、官兵衛の無礼を許してあげて欲しい」

『…………ははっ、承知致しました』

 俺の言葉に、権六達も不承不承ながら頷いた。それは、官兵衛が自分の力で権六達に認めさせると言ったからだろう。これで、もしも自分の提案に承諾してくれと言っていたら、怒り狂って帰っていたかも知れない。

 まぁ、そもそも権六達が無礼だと思っているのは、自分達を呼び出す為に俺を使ったからで、俺が不問にすればそれまでの話なんだけどね。

 さて、一応だが大老四人も納得したと言う事で、官兵衛は早速本題を切り出した。

「本日は、天下一統を果たした後、織田家が進むべき未来について皆様と意見を交わしたくお呼び立て致しました。…………そう、唐入りについて」

『…………っ!? 』

 薄く笑う官兵衛。その瞳が怪しく輝いた。



 ***



『唐入り』

 そう切り出した官兵衛に、一同顔を凍りつかせる。俺も、またその一人。無意識のうちに扇を握り締めていた。

 唐入り。それは、明国……つまり中国への侵攻に他ならない。あの大国へ攻め込む? 百年に及ぶ乱世で荒れ果てたこの状況で? ようやく泰平の世を築けるのに?

 もし、明国という広大な領地を持つ大国と戦をする事になってしまったら、両国を合わしても何万……何十万という犠牲者が出る。日ノ本を揺るがす大戦になる。

 そんな戦をしようだなんて、正気の沙汰では無いっ!! これでは、あの宣教師共の思う壷じゃ無いか!

 官兵衛の話を止めようと立ち上がりかけた瞬間、それを見越したように官兵衛が続きを語る。それは、俺の行動を止めるのには充分過ぎた。

「この唐入りは、上様が推し進めていた計画の一つ。彼の御方の意志を継ぐ若様ならば、その偉業を果たす権利がございます。皆様も、共に南蛮と戦いましょうぞ! 真の平和を勝ち取る為にっ!! 」

「爺様が……? それに、真の平和って……。官兵衛、そなたは一体何を言って……」

「この痴れ者めがぁ! そのような戯れ言を誰が信じると言うのか! 儂ですら、そのような話は上様から聞いたこともないのだぞ!! 」

「そ、そうだ! 重臣足る我らすら知り得ない情報を、どうして黒田如きが知っていると言えようか! 三法師様! このような戯れ言に耳を貸す必要はございませぬ! 即刻、追い出しましょう! 」

 俺がその大仰な言い回しに困惑していると、我慢出来んと言わんばかりに権六達が立ち上がりながら吠える。彼らの顔には、怒りよりも困惑の色の方が強かった。信じたくない。それが、怒りの源か。

 しかし、そんな大老からの怒りを一身に受けながらも、官兵衛は何処か余裕のある笑みを浮かべ続けていた。

「皆様、どうか落ち着いて下さいませ。何も、私は何の根拠もなく話している訳ではございませぬ。私は、ただ真実のみを語っておるのです。上様は、確かに唐入りを計画されておりました。……そうでございますよね、殿? 」

 官兵衛が今まで黙り続けていた藤へ話を振る。皆の視線が一斉に集中する中、藤は静かに口を開いた。

「……左様。上様は、確かに唐入りを考えておられた。儂がソレを知り得たのは、宣教師共の会話と博多の豪商である島井宗室の動きから探りを入れた故。上様から直接話を聞かされた者は、おそらく奇妙様や十兵衛など限られた者のみ。儂や権六殿へ言わなかったのは、大敵との戦に集中させる為でしょうな」

「な、なんと…………」

 ドシンッと、権六が崩れ落ちる。それを咎める声は上がらない。案ずる声も上がらない。沈黙が場を支配する。俺も、またその一人。

 あまりにも衝撃的なその話に、パクパクと口が開くだけで言葉が形にならない。うるさいくらいに脈打つ心臓の音。背中を流れる冷たい汗。

 俺は、まるで人形みたいに上座で座っている事しか出来なかった。



 耳が痛くなる程の静寂。

 皆、一様に顔を暗くさせて押し黙る。その脳裏に思い浮かべる光景は多々あれど、それは決して明るいモノでは無いだろう。

 そんな中、官兵衛の語りかけるような声音が聞こえてきた。

「……どうやら、皆様は唐入りを悪く捉えている模様。されど、果たして本当に唐入りは悪手なのでしょうか。上様は、意味もなく戦火を広げられる御方でしょうか? 」

 その含みある物言いに、五郎左の瞳が細まる。

「何が言いたいのだ……」

「私は、上様は日ノ本を南蛮の魔の手より救う為に唐入りを推し進めたと思うております。あの御方が、宣教師共の裏の顔に気が付かなかったとは考えにくい。必ずや、内に秘めた意図があった筈なのです」

 神妙な眼差しで俯く官兵衛。その姿に、先程の言葉が脳裏を過ぎった。

「真の…………平和」

「左様にございます。流石は、若様にございますな。上様は、戦おうとしておられたのです。世界を支配しようと企む悪鬼共から!! その力を得る為の足掛かりこそが唐入り。上様は、あくまでも日ノ本を守る為に戦をしようとしたのです!! 」

『…………っ!? 』

 官兵衛の言葉は、何故だか妙に聴き心地が良かった。きっとそれは、爺さんを信じたかった俺達にとって都合のいい理想だったからだろう。本当のところ、官兵衛の言っている事が正しいとは限らないんだ。

 しかし、爺さんは記憶を失い、事情を知る親父と十兵衛は死んでしまった。最早、今の俺達に爺さんの真意を知る機会は永遠に訪れない。残された断片的な情報から読み解くしかない。

 それ故に、官兵衛が語った爺さんの真意は、自然と俺達の胸に響いた。例えそれが、都合のいい理想だったとしても。



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― 新着の感想 ―
[一言] 官兵衛の口から、唐入りの話が出るとは。信長様はあくまで情報収集の一貫で、構想していたのであって回収しましたか本当にやるとは思えないんですよね。 この頃の明王朝は、万暦帝で衰退の一途を辿るとは…
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