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5話

 天正十一年 九月 安土城 真田信繁



 暖かな日差し。澄み切った秋空に舞う紅葉。朝の訪れを告げる小鳥のさえずり。まさに、爽快な一日の始まり……そうなる筈だった。

「…………ぉ…………ぉ……ぉげぇぇえええっ! 」

 雲一つない青空へ響き渡る汚ったねぇ音。日ノ本で最も栄えていると謳われたこの安土城城下町は、今や酔い潰れた愚者で溢れかえっていた。

 まさに、地獄絵図。むせ返るような異臭漂う町の中、赤鬼隊は町の治安と景観を守る為、朝早くから出動していた。



 さて、同期の面々と城下町の西側へ向かった俺達一行。その行く末を阻むのは、徳利片手に寝転ぶ酔っ払い共の群れであった。

『ぅう…………ぃあぁぁ…………』

「…………っ! 」

 その言葉にならない呻き声に、思わず一歩後退り顔を強ばらせる。しかし、このままではいけないと気合いを入れ直すと、力強く一歩足を進めた。

「あぁ〜もう! 早く起きろ馬鹿者! 宴は、既に終わっているのだぞ! 」

 やや乱暴ながらも、そこら辺に転がっいた男を無理矢理起き上がらせようとする。うっ……酒臭いっ! 何時まで飲んでやがったんだ此奴!

 しかし、中々男は立ち上がらない。腰に全然力が入っていない。ここまで脱力していると、ただの重しより厄介だ。それに、酔っ払い共の厄介さはまだまだこんなもんじゃない。

「馬鹿っ野郎ぉおおおっ!! おりゃ、酔ってねぇぞぉ! 」

「そうじゃあ!! 酒持ってこんかぁ!! 」

「くっ! ……このっ! 大人しくし――痛っ!? 」

 手足を縦横無尽に動かしながら暴れる酔っ払い共。何とか取り押さえようとするも、横っ腹を無駄に腰の入った一撃が襲う。この男、本当に酔っ払ってるのか!?

「ぬぐっ…………!? 皆、ここが踏ん張り所だ! 速やかに縄で縛り付けて家族へ引き渡す! この分だと、まだまだ同じような輩が沢山いるぞ! 気合いを入れ直せ!! 」

『おぅ!! 』

「ぅがぁああああああっ!!! 」

 気合いを入れる声。酔っ払い共の叫び。それに感化された骸共が、視界の奥で動き始めたのを捉えた。

 ……どうやら、地獄は始まったばかりのようだ。



 ***



 生傷だらけになりながらも、何とか暴徒の群れを鎮圧し、吐き散らかされた汚物を清掃すること数刻。全ての任務が終わった時には、既に陽は天高く昇っていた。

「はぁ……やっと終わった……」

 疲れた身体に鞭を打って足を進める。あれ程の重労働をやり遂げた報酬か、昼過ぎからの任務が無くなったので帰宅しても良い事になった。

 全く、慶次殿には頭が上が…………いや、慶次殿達は酔い潰れて先程まで眠っていたな。この交代は、寧ろ当然の配慮と言える。何か流れで押し切られたが、数発殴っても構わなかっただろう。

 明日、模擬戦にてその頬を張り倒す決意を固めていると、気が付けば既に長屋へ着いていた。立ち止まって埃を払い、立て付けの悪い戸を引いて中へと入る。

「お〜い、戻ったぞ〜」

 語尾を伸ばしながら襖を引く。そこには、いつものように童が眠っている筈だ。最近は、帰る度に声をかけるのが習慣になっていた。その事を、楽しんでいる自分自身にも気付いていた……。

 しかし、視線の先に居たのは童だけでは無かった。

「やぁ、おかえりなさい。源二郎」

「…………ぇ」

 思わず呆けた声が漏れる。その気品ある佇まいと、その身に宿る覇気で本物である事は直ぐに悟れた。正真正銘、私が忠誠を誓った主君その人だ。

 しかし、何故このような場所へ居るのかが全く見当もつかなかった。

「と、殿……何故、このような場所に……」

 頭の中がぐるぐると回る。本来であれば、このような古臭い長屋は高貴な御方が来て良い場所じゃない。

 先々代様も、突拍子もない行動をされる御方だったと聞いた事があるが、ここまでとは思ってもいなかった……。



 それから、慌てて平伏する私を殿が止めたり、何か出さねばと、粗茶を用意しようとして転倒したり、そんな物音に童が目を覚ましてしまったり等々、本当に情けない姿を晒してしまった。

 不幸中の幸いだった事は、そんな醜態を殿が気にしておられなかった事だが、それでも失態を重ねてしまった事は事実であり、私としては項垂れる他無かった。

 そんな私を見かねて、殿は早々に本題へ入られた。

「今日は、先の戦の件で来たんだよ」

 その言葉に、自然と姿勢を正す。

「源二郎は、本当に良くやってくれた。その獅子奮迅の活躍は、誰もが認める一番手柄。紀伊国名草郡を与えたのは正当な評価だったと自負しているよ」

「ははっ、誠に有り難きお言葉」

「しかし、源二郎にはもう少し赤鬼隊に居て欲しいんだ。雑賀孫市には、源二郎の代官として名草郡を治めて貰おうと思ってる。勿論、税収は領主である源二郎へ行くようにするよ。……それで、構わないかな? 」

「ははっ、承知致しました。直ぐに、雑賀殿へ使者を遣わしましょう」

「……ごめんね」

 殿は、どこか申し訳なさそうに眉を落とす。しかし、私はその決定に何一つ不満は無かった。



 織田家大老足る滝川様とて、飛び地に代官を立てる事は当たり前のように行っているし、そもそも私には直臣がいない。真田家に仕える武士達は、皆、兄上の方へついて行ってしまった。兄上は、国を貰ったのだ。間が悪かったと諦める他無い。

 であれば、自身が交流のある雑賀衆の領地を貰い、その代官として雑賀孫市殿が立って下さる状況は、決して悪い話では無いのだ。……それに――

「そんな顔をしないで下さいませ。私は、殿の決定に不満はございませぬ。このような若輩者に、広大な領地を授けて下さり、円滑に統治下に置けるように雑賀孫市殿にまで話をつけて下さりました。ここまでして下さったのです。何を不満に思いましょうか」

「しかし……」

 殿は、口を細められて言葉を濁す。私は、そんな殿の不安をかき消すように、隣りに座る童の頭を優しく撫でた。

「それに、殿は高価な薬を手配して下さっただけでは無く、天下一の名医・翠竹庵様を遣わせて下さいました。おかげさまで、童の体調は日に日に良くなるばかり……何とお礼を申し上げれば良いかっ」

 童の頭を撫でているうちに、自然と目尻に涙が溜まる。安土へ着いた直後、突如として体調を崩した童は、幾度も死線をさまよった。度重なる負傷におびただしい出血、更には追い討ちをかけるように雨に打たれたのが悪かったらしい。

 正直、私にはどうする事も出来なかった。ただただ、神仏への祈りを捧げるしか出来なかった。そこに、殿は貴重な薬を惜しみなく使い、京より名医を呼び出して童を救って下さった。

 ただの一家臣に過ぎない私に、ここまで手厚くして下さったのだ。そのような大恩ある御方に、何故不満を抱けようか。

「…………であるか」

 そんな私の想いが伝わったのか。殿の表情からは、先程よりも影が薄らいでいた。そして、殿は童へと視線を向けたかと思うと、何かを察したように微笑まれた。

「源二郎」

「はっ」

「答えは、見つかったんだね」

「…………っ! ははっ!!」

 短くも温かい言葉に、思わず胸が熱くなる。

「本当は、この子を織田家で引き取ろうと考えていた。それが、この子にとっても源二郎にとっても良い話だろうと。……だけど、それは違うんだね? 」

 確認するような声音。それに同意するように、私は童の手を反射的に握っていた。

「私は、この童と共に暮らしたいと思っております。私は、このような幼子を育てた事は無く、家事もまともに出来ない未熟者でございます。それでも、私はこの童と共に暮らしたいのです。それが、命を救った者の義務でございます! 」

「……人ひとりの命を背負う事は、決して簡単に考えてはいけない事だよ? きっと、源二郎はこれから大変な思いをするだろう。身を裂かれる思いを味わうかもしれない。織田家で預かれば、何不自由無い生活をおくれるだろう。……それでも、この子と暮らしたいのかい? 」

「はいっ! 」

 即答する私に面食らったように様子の殿だったが、直ぐに笑顔になられた。

「ならば、その子に名を授けてあげなさい。名付けとは、子供が親から最初に与えられる祝福。親になる覚悟を決めた今の源二郎ならば、その資格があるよ」

 だから、今まで童呼びだったのだろう? と、笑いながら言われた時には、やはり殿には隠し事は出来ないと苦笑いを浮かべてしまった。

 さて、気を取り直して童と向かい合う。

 実は、もう名前を決めてあるんだ。今朝、自由に空を舞うあの姿を見て、ようやく覚悟を決めたあの時に。

「そなたの名前は、紅葉。もう、そなたを縛るモノは無い。自由に、どこまでも自由に生きて欲しい。紅葉……そなたのこれからの人生が、鮮やかな彩りで満ちておりますように」



 ――ただ、それだけを祈って。


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