4話
天正十一年 九月 安土城
あれから数時間程経ち、いつの間にか燦々と降り注ぐ陽光は地に落ちて、深く澄み渡った夜空には星々が爛々と瞬いていた。
そんな普段ならば灯りの落ちた暗い時間帯でも、この安土だけは昼間のように明るく、そこかしこに笑い声が絶えない活気に満ちていた。今夜は宴。武士も、商人も、農民も関係ない。皆が皆、この良き日を心から祝っていた。
「ほっほっほっ、どうやらまだまだ夜は明けないようでおじゃるのぅ」
「えぇ、誠に」
心底楽しそうに笑う義父上に、俺もつられるように笑った。
秋特有の風情溢れる虫の音。そこに、時折紛れるように聞こえてくる宴の物音に耳をすませながら、俺は天守にて義父上と城下町を見下ろしていた。笑い声が途切れる事の無い、そんな素晴らしい町の景色を。
お市お姉様に連行されて行く茶々を見送った後、俺は義父上一行を大広間へ通した。要件は既に伺っており、後は朝廷の答えを聞くのみ。大丈夫だと確信していても、この時ばかりは少しだけ緊張してしまった。
そして、皆の準備が整い、上座に座る義父上より帝の御言葉を賜った。
『大友討伐を命ず』
そんな一文から書かれていた勅命。それは、帝が大友宗麟を朝敵に定めた事を意味していた。これにより、大友宗麟は官位を剥奪、守護の地位も失い数多の大名家から標的にされる。まさに、俺が思い描いた理想のシナリオ通りの展開だった。
後は、予定通りに大友宗麟討伐令を出して九州の大名家の出方を伺い、春先に大軍を率いて出陣する。
(天下統一への最終決戦。今日、その一歩目を踏み出したんだ)
義父上から勅命が書かれた文を賜る際に、そう思い胸が震えた。未だにやる事も多いし、戦場に絶対が無い以上油断は禁物なのだが、それでも此処まで来たのだと思うと何だか感慨深かった。
さて、そんな風に感傷に浸っている最中、興奮が最高潮へ達した家臣達は、大急ぎで宴の準備を始めてしまった。元々、義父上達を迎える饗応の準備をしていたばかりに、更に盛り上げようとするお調子者達に火をつける結果になってしまったのだ。
まさに、目を離した一瞬の出来事。止める役目の筈だった大老達は一切使い物にならんかった。静かに涙を流す五郎左や、身を震わせながら爺さんと親父の名前を叫ぶ権六はまだしも、ノリノリで騒動に参加した藤と左近は有罪だと思う。
そして、そんだけ騒げば当然と言うべきか。帝から勅命を賜ったと言う情報は、瞬く間に城下町にまで広まっていき、上から下までてんわやんわの大騒ぎ。収穫祭も未だだってのに、倉の貯蓄を使い果たさんばかりの大騒動にまで発展していった。
尚、それを知った俺は、大慌てで白百合隊を派遣し、何とか非常時の為の備蓄はギリギリ確保出来た。
この時代は娯楽が少ないせいか、ちょっとでも話題が上がると誰も彼もが飛び乗って騒ぎまくる。まさに炎上。その様子は祭りの如し。
そんな民の祭りに対する熱量は、前世のお祭り男達の比では無い。まるで、一瞬で燃え上がるように楽しむ様は、儚い一生を懸命に生きる為に生まれた灯火のようで……とてもでは無いが、そこに水を差す気にはなれなかった。
***
さて、そんな終わりの見えない宴から早々に抜け出した俺達は、家臣達へ今日はもう身体を休めると言いながら、誰にも気付かれぬように天守へと登った。
少し肌寒くなった外気が、盛り上がって熱くなった頭を冷やす。いつの間にか背後に控えていた松から白湯を受け取ると、小さな器を一気に呷る。そして、ホッと一つ溜め息をつくと、義父上に視線を向けぬまま呟いた。
「宴に戻らなくても宜しいのですか? 」
それは率直な感想。話を切り出す他愛もない世間話。されで、義父上は苦笑いを浮かべながら呟いた。
「いやはや、公卿が居ては皆の気も収まらぬでおじゃろう。折角の宴に水を差すのも忍びない。それならば、こうして義理の息子と宴の余韻に浸るのも乙なものでおじゃろう? 」
「……ふふっ、左様ですね」
悪戯に微笑む義父上に、俺も同意するように頷く。ヒュっと一際強い風が吹き、髪がゆらゆらと風になびく。この安土を彩る一つ一つの家庭の灯りを眺めていると、自然と言葉が溢れた。
「義父上、大友宗麟討伐の承認誠にありがとうございました。これで、織田家は大手を振って戦う事が出来ます」
「ほっほっほっ、なに構わぬよ。帝も、大友宗麟の所業にお怒りを顕にされておられた。心優しきあの御方の事じゃ、罪無き民が異国へ売り払われている事実を見過ごす事は出来なかったのでおじゃろう。…………しかし、朝廷には大友宗麟を止める力が無かった。古くから朝廷と関わりのある名門故に、大友家の息がかかった者が朝廷には多くおったのじゃ。…………誠に……不甲斐ないっ」
柵にかけた右手が僅かに震えている。消え去るような懺悔と、ぽつりぽつりと柵を濡らす雫は見なかった事にした。
だってそれは、朝廷が……帝が大友宗麟の所業を知っていながら見て見ぬふりをしていたと、そう言っているのも同義だったから。
その事実だけは、織田家当主が知ってはならぬモノ。墓まで持っていかねばならぬモノだ。
正直に言うと、朝廷は大友宗麟の所業を黙認していただろうと思っていた。アレは、ここ数年間で始めた規模では無かったし、そもそも古来より戦場での乱取りは当たり前のように行われていた。それを良しとしなかったのは、京へ上洛した時の爺さんくらい。
それに、京から遠く離れた九州の事なんて、あの頃の朝廷は見向きもしなかった事は想像するに難しく無い。あの腐れきった公卿共は、民なんて雑巾のようにしか思っていなかった。
故に、例え義父上のような善良な人間が現れようとも、ゴミ共が足を引っ張るから朝廷は何も出来なかった。どんどん力を失っていった。まさに、悪循環。負の連鎖。停滞は衰退しか生まないのだ。
だから、俺はゴミ掃除を優先した。義父上に力を集中させた。ゴミ共は、天下統一への障害にならずとも、天下泰平を妨げる癌になると確信していたから。
綺麗事では平和は手に入らない。
そう、強く確信させた出来事だった。
星を眺めながらあの日の光景を思い浮かべていると、ようやく回復した義父上が咳払いをしながら続きを語った。
「……………んんっ! 故に、帝は織田家の申し出に心から感謝しておられた。これで、ようやく民を救う事が出来ると。そして、期待しておられた。遂に、この日ノ本を照らす存在が現れたのだと。天下泰平の世を築く傑物が現れたのだと」
「…………左様でございますか」
帝の言葉が、俺の中の良心を責め立てる。俺は、そんな大層な器では無い。そんな言葉を貰って良い人間では無い。
――俺は、もう既に何万人もの人を殺した大罪人なのだから。
「……この灯りを決して絶やさせない。余に出来る事は、ただ……それだけでございますよ」
天下泰平を願う想いは、天下泰平を成し遂げねばならない義務感へと変わっていた。




