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3話

 天正十一年 九月 安土城



 昨夜、夜更け過ぎまで続いた軍議も無事に終わり、数時間程の仮眠を取って起床。むくりと身体を起こして欠伸をする。障子越しに差し込む朝焼けと、秋らしい涼やかな風が優しく頬を撫でた。

(ふぅ…………さて、起きるか)

 少し身体を伸ばしながら立ち上がる。前世では、目覚まし時計が無ければ起きれなかったのに、今では自然と同じ時間帯に起きられるようになった。硬い木の枕も気にならないし、この布団にも慣れた。

 そんな些細な事で、不意に寂しくなるのだ。もう二度と、あの時代へ戻れないのだと。家族や友人にも会えないのだと。

「……ん…………ぅ………ん」

 そんな暗い感情が胸の奥に芽吹いた時、ふと隣りから可愛らしい寝息が聞こえてきた。視線を向ければ、むにゃむにゃと幸せそうに微笑む藤姫と甲斐姫の姿が見えた。

「…………」

『……ん…………んぅ……むにゃむにゃ…………』

 少しはだけた布団を直し、頬にかかった髪を払う。すると、二人はくすぐったそうに身動ぎをする。二度、三度優しく頭を撫でれば安心したような寝息が聞こえてきた。

(もう少しだけ寝かせてあげようかな)

 朝餉の時間まで未だ余裕はある。昨日も、夜遅くまで俺の事を待っていたのだ。少しくらい、ゆっくり休んでも良いだろう。



 穏やかに眠る二人の寝顔を眺めながら微笑む。こうして見れば、二人はごくごく普通の少女なのだと気付いた。

 明るく元気で武勇に優れた性格イケメンな甲斐姫も、強く気高く美しく人を惹きつけるカリスマ性を兼ね備えた藤姫も、ひとたび瞼を閉じれば十歳のあどけない少女。普段の凛々しい姿からは、随分とかけ離れた姿に思わず笑ってしまった。

 最近は、あまり一緒に居られない日々が続いている。二人は、決して不満を口にする事は無いけれど、いつもどこか寂しげな瞳をしている。

 生まれ故郷から遠く離れた場所へ嫁いできたのに、ずっと城の最奥で放置されているのだ。そりゃあ、寂しくもなるだろう。俺は、酷い婚約者だ。

 故に、一度だけ故郷へ帰そうかとも思った。泣いて怒られたので直ぐに破棄されたが。

 それでも……それでも思う。一度、二人を相模へ帰した方が良いと。理由は分からない。だけど、どこか胸騒ぎが止まない。このまますんなりと終わらない……そんな気がするんだ。

(こんな事、家臣達には言えないけどね……)

 無駄に不安を煽ってしまいかねない。そんな言い訳と共に不安を胸の奥に仕舞う。

 この有り触れた日常を噛み締めながら――



 ***



 その後、朝餉を済ませた俺達は、直ぐに正装へと着替えて大門前へと降りていった。

 俺の傍には、美麗しい着物に身を包んだ藤姫と甲斐姫が並ぶ。その直ぐ隣りでは、顔を紅潮させた初と江がお市お姉様と共にその時を待っている。

 そして周りを見渡してみれば、四大老を筆頭に織田家を代表する重臣達が軒を連ね、既に地面に片膝を立て平伏している。今日ばかりは、赤鬼隊はフル出勤で警備にあたっており、城下町もいつもの賑やかさは無い。

 ……だが、それも今日ばかりは致し方無いだろう。



「近衛関白様の御成です」



 小さくとも、不思議と耳の奥へ響く声。誰も彼もが口を閉ざして平伏する中、大門がゆっくりと開いていった。

 重く、木材が擦れる音が響き渡り、扉の先から雅な装飾が施された輿が姿を現す。一歩、また一歩と輿を揺らさないように大地を踏み締める様は、それだけで神秘的な場面をその場へ作り出す。

 軽く頭を下げて輿を迎える。暫くそうしていると、ゆっくりと動いていた輿が所定の位置へ停止、付き人に連れ添われるように中から一人の男性が姿を現した。

「あぁ、安土城へ来るのは何年振りでおじゃろうか……。変わらぬ……変わらぬのぅ。此処は、あの頃と変わらぬ活気で満ちておる。…………織田様の意志は、しかと次代へ受け継がれたのでおじゃるなぁ……」

 噛み締めるような、懐かしむような声音。視線を上げた先には、あの日と変わらぬ優しげな微笑みを浮かべる義父上の姿があった。

 そんな俺の視線に気付いたのか、義父上は目尻を更に下げて微笑んだ。

「久しぶりでおじゃるのぅ。息災であったか? 三法師よ」

「……はい。お久しゅうございます。義父上」

 そう……現関白近衛前久、朝廷を取り仕切る公卿その人が帝からの遣いとしてわざわざ安土まで訪れたのだ。まさに、重臣達や城下町で暮らす民からすれば、義父上は天の上に住む至高の存在。無礼があってはならぬと、いつも以上に畏まってしまうのは無理も無いだろう。



 そして、今日安土へ訪れたのは義父上だけでは無い。義父上の後に続くように、もう一台の輿が大門を通って俺の前までやってきた。

 義父上が乗っていた輿よりは小さく装飾も少ないが、そのシンプルな作りは日ノ本の古き良き奥ゆかしさを見事に表しており、高貴な身の上が乗るに相応しい品格と言える。

 さて、そろそろ現実から逃避する事は止めよう。改めて件の輿へ視線を向ければ、何やらガタガタ揺れており、若干騒がしい声が漏れている。何処かから含み笑いが聞こえたかと思えば、視線の横で義父上が笑いを堪えていた。いや、アンタかい!

 そう、心の中でツッコミを入れた瞬間、簾が上がり一人の少女が外へ躍り出た。

「はっはっはっ!! 妾、帰還っ!! 」

 堂々と胸を張りながら太陽の光を一身に受ける美少女。その背後に控える付き人のたんこぶが、彼女の変わらない気質を見事に表している。間違いなく、公卿の姫君としては落第であった。

 どうやら、一年程度では公卿の姫君としての立ち振る舞いは身につかない様子。……まぁ、それはそれで茶々らしいけどね。

「ふふっ……茶々、お帰りなさい」

「おぉ! 三法師では無いかっ! 久しぶりじゃな! 随分と大きくなってからに!! あっはっはっはっ!! 本物じゃ!! 本物の三法師じゃっ!! 」

 苦笑いしながら出迎えると、俺の姿を捉えた瞬間に茶々の雰囲気が一変した。鼻息は荒く目は血走っており、明らかにイレ込んでいるご様子。最近、何処かで見た顔だと思ったら九州から帰還したばかりの頃の椿と同じ顔だった。視界の端では、共感するように椿が頻りに頷いていた。



 さて、そうこうしているうちに我慢の限界に達したのか、茶々が素晴らしいスタートを決めて突っ込んでくる。十五歳のタックルを四歳の幼子が受け止めきれる訳も無く、このままでは地面に押し倒されること間違いなし。こんな大勢の前で、そのような赤っ恥などかきたくない。

 しかし、俺では到底避けきれないスピードで迫る茶々。思わず膠着してしまう身体。あわや大惨事か……っと、思われたその時、一つの影が動き出す。茶々の行動をいち早く察した人が、この場にただ一人だけ存在していたのだ。

 そう……お市お姉様だ。

「…………ふっ」

 お市お姉様は、ゆらりと音も無く動き出したかと思えば、目にも留まらぬ動きで茶々の背後に回り、神速の手捌きで首根っこを掴んだ。

「ふぐぅっ!? 」

 急に首根っこを掴まれた事で、茶々の口から苦しげに息が漏れる。茶々は、既に仕立て人の察しがついているのか、ガタガタ震えながら視線を後方へ向けた。当然、そこには世にも美しい笑顔を浮かべるお市お姉様がいる。

「茶々、少しばかり……おいたが過ぎるのでは無いかぁ? ……ん? 何じゃ? 久方ぶりの母娘の再会ぞ? 何か言ってみよっ! 」

「は、母上…………」

 涙を浮かべながら許しを乞う茶々。されど、お市お姉様の怒りは収まらなかった。

「少し……話をしようかのぅ? 三法師よ。すまぬが、妾達は先へ行くぞ」

「…………」

 笑顔を浮かべるお市お姉様の背後から、茶々の無言の圧力が放たれる。しかし、お市お姉様の方が断然怖かった俺は、ゆっくりと頷いてしまった。

「…………えぇ、一年ぶりの再会なのです。積もる話もございましょう。夕餉までにはお戻りくださいね? 」

「うむ。感謝するぞ、三法師! では、行くぞ茶々。初と江もついてくるのじゃ」

「…………っ!? 」

「分かりましたー」

「……お馬鹿」

 見放されたと言わんばかりにショックを受ける茶々は、まるで猫のように拘束されてお市お姉様に連れて行かれた。その後ろを姉妹二人が追う。どうやら、自分達が無視された事に腹を立てているのか、姉を救う気は一切無いみたいだ。

 まぁ、昨日からソワソワしながら楽しみにしていたのに、相手に無視されちゃあ腹の一つや二つ立つだろうて。

 問題は、取り残された俺達とカオスと化した現場だけだよ。

「ふふっ……くくっ……、いやはやあの娘は本当に変わらぬのぅ〜ほっほっほっほっ」

 ご満悦な義父上に、目まぐるしく変わる状況に困惑する者達。

「…………はぁ」

 思わず吐いた溜め息は、この場に居る全ての人達の思いを代弁するように、重く響き渡った。




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