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対徳川戦略

 天正九年 五月 尾張



 静寂、波の音だけがこの場に響き渡っている。新五郎達は、驚きのあまり固まってしまっているが、爺さんは口を閉ざして真っ直ぐに俺の瞳を見ている。冗談では無い、そんな気持ちを込めて見返すと、ようやく再起動した新五郎が慌てて声を上げた。

「お、お待ち下さいませっ! 若様、正気でございますか!? 何故、北条家へ? 政を学びたいのであれば、何も斯様な辺境になど行かなくとも、岐阜へ呼び寄せれば良い話ではありませんか! 」

「いいや、それでは民の営みが分からない。実際に、この目で確認したいんだ。北条家が成した政の成果を」

「しかし――っ」

「よい、新五郎。……今から、三人で話し合う。新五郎、人払いをせよ」

「……ははっ」

 親父が、新五郎を止めて人払いをさせる。そう言われたら、新五郎も引き下がるしかない。皆が船を降りていくのを後目に、俺達は船の先端へと移動。家族会議が始まった。

「……奇妙から話は聞いておった。今日、わざわざ尾張まで来たのもソレが理由よ。三法師、お前が何を考えているのかを知りたくてな」



 ――政を習うだけが全てではない。そうだな?



「――っ」

 爺さんの鋭い眼差しが俺を貫く。背を冷たい汗が伝う。まさか、見抜かれているのは思わなかった。

 ……いや、当たり前か。相手は、歴史にその名を刻んだ英雄だもん。高々、現代の知識を持った転生者程度がどうにかなる相手ではないさ。

(……でも、俺にはここで退けない理由がある! )

「その……通り、です。北条家の政に、興味があるのは嘘ではありません。法で人の在り方を正し、内政を重視し、民の暮らしを豊かにさせることで国を栄えさせる。その考え方は、私が一番身に付けなければいけないことですから。……ですが、それ以上に味方が欲しいのです。私の為に、私の危機に立ち上がってくれる絶対の信を置ける味方が」

「味方……それに、北条が成り得ると? お前の血筋を考えれば、武田の方が味方になるのではないか? 」

「……ご冗談を。お爺様は、武田家を滅ぼすおつもりでしょう? よしんば滅亡は免れても、全盛期とはかけ離れた姿に落ちぶれていることでしょう。それでは、いざという時に頼りになりませぬ」

「……」

 分かっている、それくらいは。新五郎から、教わったことだから。武田家では、駄目なのだ。北条家くらいの大勢力でなければ、奴を牽制することは出来ない。後の天下人、徳川家康を。



 ***



 そもそも、俺は最初から秀吉と家康のことを最大級に警戒していた。爺さんが殺された、本能寺の変。その実行犯は、明智光秀。だが、前世ではその裏には黒幕がいると言われていた。その中の一人に、羽柴秀吉と徳川家康の名前があるからだ。

 しかし、まともに授業を聞いていなかった俺は、彼らが黒幕だと言われるその理由までは知らない。所謂、陰謀論ってやつだったし、俺も偶にやるテレビの特番でチラ見した程度の関心しかなかったから。

 ただ、前世で歴史科の先生が、本能寺の変前後の家康の行動を怪しんでいたことを僅かに覚えている。あまりにも、都合が良過ぎるのだと。……これも、その理由や家康が取った行動は何一つ知らないけど。

 ……はぁ、本当に生前ちゃんと勉強していなかったことを悔やむ。こんな虫食いだらけの知識じゃ、何時か見たラノベの主人公みたいに最悪の未来を変える布石なんて打てる訳がないよな。

 


 だが、一つだけハッキリしていることがある。家康は、本能寺の変後に大きく勢力を拡大させる。それこそ、秀吉の死後に天下を統べる程に。家康は、利を得たのだ。爺さんが、死んだことによって。

 勿論、それは家康以外にも該当するだろう。流石に、俺とてそれだけで家康を黒幕だと決め付けたりはしない。というより、爺さんが恨みを買いすぎて誰が黒幕でも有り得るのが実情でもあった。

 しかし、その恨みにこそ家康への疑いを強める要因があった。家康は、織田家に祖父、父、妻、嫡男を殺されていた。それも、妻と嫡男は爺さんからの疑いを晴らす為に、家康自身に家臣へ指示させた。殺せ、と。

 それを、新五郎から教わった時、俺はあまりの凄惨さにゾッとした。その全てが、織田家の者が直接手を下した訳ではない。家臣の反乱もあった。されど、その全てに織田家が関与していたのは事実だという。特に、妻の築山殿と嫡男の信康を殺したのは、家康の忠義を試す為に爺さんが行った謀であると。



 ……その胸の内を想像することも出来ない。俺なら、復讐の機会をずっとずっと狙い続けるだろう。如何に乱世と言えども、これはあまりにも悲惨な過去だ。家康には、動機がある。復讐を成すだけの理由が。



 ***



 だからこそ、家康を封じ込めることを決めた。家康が、何を考えているのかは分からない。同情はする。杞憂かもしれない。黒幕なんて最初からいないのかもしれない。だけど、俺は家康のことを信用することは出来ない。故に、封じ込めるのだ。本能寺の変を起こさせないように。

「北条家を完全に取り込むことが出来れば、お爺様の掲げる天下布武を更に推し進めることが出来ます。相模は、関東の要。戦略的にも、商業的にもこれから更なる発展を望める地。家柄も、国力も申し分なく、東に新たな縁者を作るのであれば、これ以上の相手はいないでしょう」

「……婚姻同盟か」

「はい! 」

 力強く肯定する。

 勝算はある。そもそも、北条家が臣従した時に現当主北条氏政の息子の氏直に、爺さんの娘を嫁がせる約束があったのだ。だが、爺さんはそれを渋り、未だ婚姻を結んでいない。おそらく、北条家を見極めきれていないのだろう。信用に足る存在か。縁を結ぶに足る存在か。だから、婚姻を結ばず反応を確かめているのだ。勿論、昨今の情勢も関係しているだろうけど。

 だが、北条家からしたらたまったものじゃない。織田家は、強大だ。あの武田家や上杉家が滅亡寸前にまで追い込まれている。北条家は、一度も織田家と矛を交えたことがないとはいえ、正直気が気ではないことは簡単に予想がつく。家を守る為にも、一刻も早く織田家との関係を確固たるモノにしたいだろう。



 そこで、俺の存在が重要になってくるのだ。

 北条家からしたら、俺は現当主の嫡男であり順調にいけば次代の当主は俺だ。親父に嫁を送る選択肢もあるが、既に親父の周りはガチガチ固められている。側室も、既にリストアップ済み。家臣団も、強固な絆で結ばれているし、今更人を送り出しても周回遅れという訳だ。

 故にこそ、まだ誰も手をつけていない俺の価値が高まる。流石に、この年齢だと婚約止まりだろうけど、この時代では幼子の時から許嫁がいても何らおかしくはない。俺との婚姻関係なら北条家も不満はないだろうし、織田家にとっても奥州や対武田家・上杉家を見据えた布石になる。双方にとって利があるのだ。

 これが、俺がずっと考えてた徳川封じの第一手。織田家と北条家で固い同盟を結び、左右から家康を抑えつける。勿論、ただ抑えつけるだけではなく、家康にも利があるように仕向ける。

 もし、織田・徳川・北条と確固たる関係を築けたのなら、三家を繋ぐ街道は日本一安全な交易ラインとなる。間にある徳川領にも、莫大な益をもたらしてくれるだろう。情ではなく、利で縛るのだ。



 そして、当然のことではあるが、人の流れが出来れば物の流れも読みやすくなる。挙兵しようとすれば、否が応でも人と物の流れに兆しが現れる。戦は、人も金もかかるからね。至る所に間者を忍ばせ、物流を監視下に置けば謀反を起こす前に叩き潰すことも可能だろう。北条家との婚姻同盟は、ここまで見据えた布石なのだ。

「北条家は、東の大国。織田家の居城とは距離があり、例え私の代で強力な影響力を持ったとしても、ある程度は抑えることが出来ます。足利のように、分家を関東に置いて領地を分断させることも。北条家と縁を結んだことで生じる懸念材料は、十分対処可能ではないでしょうか? 」

「……だが、最早この織田家に婚姻を結んででも繋がりを作る必要のある相手はいない。故に、奇妙の我儘を許したのだ」

「縁を作るに越したことはございませぬ。それが、結果として幾つかの戦を省くことが出来るのであれば、積極的に動くべきです! そもそも、同盟とは無駄な戦をしない為のものの筈! 」

「……京へ行くのとは訳が違う。陸路は使えん。敵地を通るからな。途中、海路を使わねばならん。海賊も出る。武田の軍勢が道を妨げるやも知れん。お前が人質なれば、これまで流してきた幾万の血が無駄になるだろう。……それでも、意思は変わらぬか? 」

「変わりませぬ」

「…………はぁ、奇妙」

「織田家当主としては、三法師が小田原へ向かうことに異議はありません。北条家は、新参者。下手なことは致しますまい。武田家も、こちらとの講和を望んでいる以上、交渉の話をチラつかせながら十分な護衛を持たせれば三法師に危害は与えないでしょう。勿論、親としては反対ですが。……しかし、この子は父上に似て一度決めたら絶対に退かない頑固者です。ならば、万全を期して送り出して上げた方が安全でしょう」

「父上……」

「お前のことだ。ちゃんと考えがあってのことなのだろう? 」

「……はい」

 親父の温かい右手が頭を撫でる。そこには、確かな愛があった。



 ……親父、心配かけてごめん。でも、譲れないんだ。このままでは、爺さんは足元をすくわれて殺されてしまう。それを知っていながら、力不足を理由に見過ごすなんてもう出来ない。

 俺は、馬鹿だ。テストは、いつも赤点だった。……でも、もう馬鹿のままではいたくない! 俺にとって、もう織田信長は歴史上の人物じゃない。大好きなおじいちゃんなんだ! 生きて欲しい、この先の未来を。その為ならば、もうなりふり構わず進むと決めた!!

「お爺様、お願い致します。どうか、小田原行きをお許しください」

「……三法師よ、本気なのだな」

「はい」

「岐阜では、駄目なのだな」

「今しか、機会はないのです。小田原に行き、北条家と誼を結ぶ。それは、織田家にとっても重要なことの筈です! 絶対に、家名に泥を塗るようなことは致しませぬ。どうか、お許しください!! 」

 深く、深く頭を下げ許しを乞う。本能寺の変の詳細が分からない以上、全てを言う訳にはいかない。それが、どんな影響を及ぼすのか分からないから。だから、これが俺に出来る精一杯の誠意だ。

「………………はぁ」

 長く、深い溜め息。そして、爺さんは諦めたように俺の頭を撫でる。

「分かった。小田原行きを認めよう。……ただし、無理無茶無謀な行動は絶対にしないこと! 護衛無しで勝手に出歩かないこと! 正月迄には帰って来ること! この三つを絶対に守ると誓えるか? 」

「はい! 」

「……であるか! ならば、頑張りなさい」

 頬に右手が添えられる。ここに、俺の小田原行きが決定した。



 ***



 その後、爺さんは安土城へと戻っていった。俺の為に、色々準備が必要らしい。俺も、何時出発しても良いように支度を整えておくように言われた。

 さぁ、小田原だ。関東の雄 北条氏。彼らの協力を得ることが出来るかどうかに、この先何十年の織田家の未来がかかっている。そのことを忘れぬように魂に刻み、俺は来たる出立の日を待ち続けた。


 

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 武田家もう滅ぼしてましたっけ? 歩き巫女が来てるから滅びてるような気になってましたが、滅びて無ければ駿河は武田領で通れない筈ですが…… [一言] 光秀の裏切りは時期からいって、長宗我部…
[良い点] 三法師の普通じゃない行動が面白い、ひらがなせりふがまっちしている。 [気になる点] 家康の祖父と父は家来に斬られたんで織田は無関係では?北条家は織田に臣従はしていないと思うんですが? [一…
[良い点] 家康対策、三法師の後ろ盾という意味で一ついい選択肢ですね。 風魔も一部配下に入れることができるというのはメリットですね。 [気になる点] 問題は今の規模のままで北条が外戚となると心強い以上…
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