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27話

 天正十一年 九月 紀伊国 高野山 真田信繁



 童を背負いながら道無き道を行く。ぽつりぽつりと雫が頬を濡らす。幼子とは言え、人ひとり背負いながら山道を進むのはかなり苦しいが、そんな弱音を吐いてはいられない。

 一度立ち止まって童を背負い直すと、大地を踏み締めるように足を進めた。



 ***



 時は少し巻き戻る。斎藤殿が陣から出ると、今まで静かにしていた童が突然質問を投げかけてきた。

 今までは、私の方から話しかけねば無表情で口を閉ざしていただけに、ようやく心を開いてくれたのかと思うと自然と胸が熱くなった。そんな童の変化が嬉しくなり、私は喜んで童の話し相手となった。

 しかし、その内容は良い意味で予想とは掛け離れていた。

「はい。あります」

「…………っ!? 」

 何故、帳簿の事を聞くのかと思い、冗談交じりに所在を尋ねると返ってきた答えは肯定。この童は、私達が探し続けてきた帳簿の在り処を知っていると言うのだ。

「それは……誠か? 」

「はい。私達には、お坊様から絶対に行ってはならない場所を教えられております。今まで四人がそこへ行き、ただの一人も帰ってきませんでした。そして、決まってその日は全員が鞭打ちをされる為、良く覚えております」

「…………そう……か」

 何とか返事を捻り出して曖昧に頷く。予想外の展開に動揺していると、先程出て行った斎藤殿が戻ってきた。

「いや〜何とか落ち着きを取り戻せたようだから、他の奴に任せてきたぞ。一人でも不安を抱えていると他の奴には伝染するからなぁ。早めに対処しないと……て。…………ん? 何かあったのかぁ? 」

「…………っ! い、いえ何でも……」

「…………そうか。なら、良いんだが」

 首を傾げる斎藤殿から視線を逸らして考える。童の言葉を信じて動くのか、それとも適当に誤魔化して下山するのか。



 少しだけ童に視線を向けると、ただ黙ってこちらを見詰めていた。私の答えを待つように、その真っ黒な瞳を向けていた。

 その瞳には、一切の偽りの色は見えない。

 ……否、そもそも童が嘘をつく道理が無い……か。嘘をついたところで童に利は無いし、嘘をつくような躾を受けていないだろう。それに、この場所で暮らしていた童が、私達より詳しい事を知っているのは当たり前だった。

 じっと、童を見詰めながら思い浮かべる。私が、童の言葉を信じずに下山した未来を。それは、あまりにも簡単に想像出来た。

(もし……私が童の言葉を信じなくても、きっと何も言わずに受け入れてしまうのだろうな)

 少しだけ乱暴に頭を撫でる。その際、ほんの少しだが童の瞳が細まって肩の力が抜ける。その様子は、まるで暴力に怯えていた幼子が安堵したかのようで――



 その時、全身を衝撃が走った。

「――あぁ……そうか、そうだったんだね」

 全てを悟った私は、自然と胸が締め付けられる痛みに駆られた。童は、怖かったのだ。何も言わずに黙り続ける私を見て、余計な事を言ってしまったばかりに殴られると思ってしまったのだ。常日頃から、理不尽な暴力を受けていたばかりに……。

 童は、その恐怖を知っていながら帳簿の在り処と思わしき場所を教えてくれた。当然、先程の口振りから、童が直接行った訳でも無いし見た訳でも無い。間違っている可能性は大いにあるし、間違っていたら折檻される事も考えただろう。

 それでも、それでも童は私にその場所を告げた。恐怖に怯えながらも、私の為を思って勇気を出してくれた。それを、直ぐに悟れ無かった私はとんだ大馬鹿野郎だ。

 確かに問題点はある。その場所を童しか知らない事。確かな根拠が無い事。その童の証言を元に指示を出しても、それを知った部下が嫌がる可能性。そして、童が心を開いているのが私だけな事。

 ならば、私のすべき事は一つだけでは無いか――



 童を撫でていた手を止めると、地図を見ながら唸っている斎藤殿へ声をかける。

「斎藤殿。今一度、皆の指揮を頼めませんか? 」

「ん? ……俺は構わないが、そろそろ秋本達も合流してくるだろう。この空模様だ、残された時間はあまり無いぞ? 」

「はい。分かっております。ただ、どうしても向かわねばならぬ場所があるのです」

「向かわねばならぬ場所? 」

「……私の予想が正しければ、その場所に帳簿が隠されています」

「…………っ!? 」

 目を見開きながら立ち上がる斎藤殿。無理も無い。私達が追い求めた物の隠し場所が分かったと言ったのだ。あれだけ探し続けて見付からなかった物の。

 童を抱えながら立ち上がると、陣の外へと歩き出す。斎藤殿は、その童を見て悟ったのか、深く溜め息をついて頷いた。

「神崎隊到着後、後始末を終えて下山の準備が整うまで約一刻程度だろう。流石に、それ以上遅くなるようでは困るぞ」

「……はい。分かっておりますとも」

 にこやかに微笑み頭を下げると、斎藤殿は苦笑しながら手を払った。早く行けって事だろう。その気遣いに感謝しながら、私達は陣を出て目的地へと走り出した。



 ***



 そして、暫く山道を歩き続けていると、不意に前方に大きな岩が現れた。草木を掻き分けながら進み、途中から足場の悪い岩場へと変わる。

 少し戸惑いながらも何とか辿り着くと、そこには大きな二つの岩が重なり合っていた。良く見てみれば、岩と岩を繋ぐように紙垂が巻かれており、岩の間に人ひとり分の隙間が空いているのが分かる。

「この場所か? 」

「はい。此処です」

 童に確認すると、小さく頷いて答える。その姿を見て、意を決した私は力強く頷いた。童を降ろし、膝を曲げて視線を合わせる。

「……分かった。行ってこよう。直ぐに戻るから、童は此処で待っていなさい。もし、何かあれば大声で私を呼びなさい。直ぐに、駆け付けるから。野犬や熊であれば、背中を見せないように視線を逸らしながら後退し、この穴へ逃げ込みなさい」

「はい。分かりました」

「……うん」

 少しだけ乱暴に撫でると、私は穴へと入っていった。薄暗く、四つん這いにならなくては入れないくらい狭い。後ろから、小さな声で『行ってらっしゃいませ』と、聞こえた気がした。





 どれくらいの時が流れただろうか。真っ暗な闇の中を、手の感触を頼りにひたすら進む。昼間だと言うのに、太陽の日差しは一切感じられない。

 感覚が狂いそうだ。

 本当にあっているのか。

 ちゃんと進んでいるのか。

 不安ばかりが思考を埋めつくし、身体の芯が凍るような寒気を感じた――その時、前方に微かな明かりが見えた。

 縋るような気持ちで進む。膝を岩に強打するも、その痛みを振り切るように必死に進む。荒い息遣いだけが耳に残る中、遂にそれは姿を現した。

「これは…………祠……か? 」

 天から降り注ぐ一筋の日差しが、ぽつんと佇んだ小さな祠を闇から浮かび上がらせる。いっそ幻想的なまでに神秘に包まれたその場所は、これ以上無い程に聖域に相応しい。

 間違いない。

 直感的に悟った私は、足元に気を付けながら祠へ向かう。慎重に扉へ手をかけ、ゆっくりと開いていく。ギィーと嫌な音が響く。中にあった物は、一冊の書物。つい最近取り出したばかりなのか、汚れ一つ見当たらない。

 丁寧に管理された書物。震える手で真ん中を開くと、そこには『女三、十一月三日引き渡し』と書かれていた。高野山が管理していた帳簿に、間違いなかった。

「あぁ……これだ。あった! あったぞ!! 」

 帳簿を抱き締めながら喜びの声を上げる。これを殿へ渡せば、今まで人身売買で私腹を肥やしてきた屑共を一掃出来る。これで、無惨にも殺された彼女達も報われる。それだけで、涙が込み上げる程に嬉しかった。



 ***



 これにて、此度の高野山攻めは無事に終わりを告げた。囚われた幼子を救い出し、悪の根源足る高野山を焼き払い、織田家の正当性を示す高野山真言宗の悪事の証拠を手に入れた。

 まさに、完全勝利。後は、安土城へ凱旋し、主君へ勝利を献上するのみ――

 そう思っていた矢先、事態は思わぬ急展開を迎える事になる。



 ***



 書物を懐に仕舞って狭い穴を進む。これを手に入れられたのは、全て童のお陰だ。いっぱい頭を撫でて、優しく抱き締めて感謝を述べよう。私が出来る限り、精一杯の感謝を尽くそう。あの童が、笑顔を浮かべられるその日まで。

 そんな暖かな未来を想像していると、不意に気色悪い笑い声が聞こえてきた。

「ギャッハッハッハァァァ!!! 」

「…………っ! 」

 急いで穴を抜けて外へ躍り出る。

 そこには、坊主頭に袈裟姿の大男が、童を抱えてこちらへ視線を向けていた。

 粘つくような視線。童の頬に添えれた刃こぼれした刀。血が沸騰したかのような激情が、全身を駆け巡った。



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