26話
天正十一年 九月 紀伊国 高野山 真田信繁
童を抱き締めながら一頻り泣いた後、私は童を抱えてその場を後にした。残るのは、衛生兵達と手伝いに来た赤鬼隊の者達だけ。彼等は、これから犠牲者の墓を掘るのだ。変わり果てた姿になってしまった犠牲者達の。
もし、叶うのであれば彼女達の亡骸を抱えて山を下りたかった。それが無理でも、せめて粉河寺できちんと埋葬したかった。事情を説明すれば、粉河衆も快く引き受けてくれただろう。
しかし、それは叶わなかった。彼女達の亡骸は、あまりにも状態が悪く、運ぶ事すらままならない。私達に出来る事は、彼女達が安らかに眠れるように埋葬してあげる事だけだった。
(間に合わなかった。取りこぼしてしまった。救えなかった)
そんな無念を抱えながらも、速やかに本堂へ戻らんと足を進める。私も手伝いたかったが、まだやらねばならない仕事があるし、何よりこの童にこれ以上仲間達の亡骸を見せたくなかった。
この童は、感情を表現する事が苦手なだけで、何も感じない訳では無い。寝食を共にした仲間達の変わり果てた姿を見ていれば、どんな人間だって精神的苦痛を受けてしまう。この童には、これ以上辛い仕打ちを受けて欲しくなかった。
そこまで考えて、ふと童へ視線を向ける。
「私が、こんなにも感情移入するなんて……な」
「? 」
「いや、何でもないよ」
私の視線に気付いたのか、不思議に首を傾げる童。その頭を何度も何度も優しく撫でた。
(あぁ、本当に……たった一度あっただけの関係にも関わらず、私は命を掛けて童を救う為に兵を進めた。この童が生きようと死のうと、真田家には何ら関わりの無い筈なのに、この童が生きていると分かっただけで感極まって涙を流してしまった。もし……今の私の姿を父上が見たら、一体何と言うだろうか? )
今は遠く離れた父上の姿を幻視して、その大きな背に問いかける。呆れるだろうか。嘆くだろうか。怒るだろうか。それとも、笑って許して下さるだろうか。
『武士足る者、そう易々と弱音を吐いてはならない。ましてや、人前で涙を流すなど言語道断』
幼き頃に聞かされた武士の心得の一つ。武を磨き、肉体だけ成長しても意味は無いと、父上は私に精神的な成長もするように言われた。この言葉通り受け取れば、私は父上の教えを一つ破ってしまった事になる。
しかし、父上は他にも教えを授けてくれた。
『武士足る者、決して人の道を踏み外すべからず。人を守り、人を助けよ。胸を張って正道を進め』
あの日の光景が脳裏を過ぎる。
父上は、家を残す為ならば、手段を選ばずに敵を陥れる策を講じていた。そんな父上を批判する輩もいたが、父上は決して人の道を逸れない高潔な志を身体の芯として生きていた。
その生き様に憧れた。父上のような武士になりたいと心から願った。
ならば、今の私を見て父上が言う事など決まりきっていた。
――良くぞ、己が正道を貫き通した。誇れ! その童こそ、源二郎が正しき行いをした証だ!!
「……はい。父上っ」
豪快に笑う父上の姿に頷きながら、胸の中の童を優しく抱く。この小さな温もりが消えてしまわないように。私が紡いだ命の焔を確かめるように。
***
それから暫く歩き続け、私達が本堂へ着いた時には後処理の真っ最中だった。怒号や悲鳴は一切聞こえず、誰も彼もが黙々と作業に徹している。遺体の後始末や、瓦礫に埋まった書物を発掘したりと忙しなく行き来している。
ふと周囲を見渡せば、あれ程猛威を振るっていた炎も既に消火されており、空には今にも降り出しそうな曇天が広がっていた。
(成程、確かにこの天気だと急がなくては……)
とりあえず状況を確認し終わると、直ぐに指揮を預かってもらっていた斎藤殿と合流。自分勝手に現場を離れたにも関わらず、斎藤殿は笑顔で出迎えてくれた。胸元に抱えられた童を見た時に、多少首を傾げていたが、何も言わずに受け入れて下さった。
その些細な優しさが胸に染みた。
「……では、特に問題は起こっておらず、順調に制圧は進んでいる……と」
「うむ。多少、伏兵によって討ち取られた者もいたが、大した問題では無いだろう。伏兵と言っても、追い詰められた僧侶の最後っ屁だからな。そいつも、直ぐに俺が討ち取り仇は取った。秋本隊の方へ五十人程流れたが、既に対処済みだ。境内には、もう敵はいないと見て問題無いだろう」
「……そうですか。ご苦労さまでした。……では、一度全部隊を此処へ集めましょう。撤退をするにしても、此処を片付け無くてはいけませんし。神崎殿へも、伝令をお願いします」
「うむ! 承知した! 」
斎藤殿は力強く頷くと、陣から離れて小姓を呼び出した。その背中を見送りながら、深く息を吐きながら空を見上げた。
これで、半刻程度あれば皆が集まるだろう。雨が降っては下山が困難になる。負傷者もいるのだ。このような焼け崩れた寺院では、ろくに雨宿りも出来ないだろう。人海戦術で、さっさと片付けてしまうか。
今後の予定を練っていると、不意に陣幕が揺れて誰かが入って来た。視線を向ければ先程出ていった斎藤殿。その後ろには、小柄な男を一人連れていた。
「神崎へ伝令を走らせた。半刻程度で着くだろう」
「ありがとうございます。……ところで、そちらは斎藤殿の家臣ですか? 」
視線を向けながら尋ねると、男は申し訳無さそうに眉を下げながら平伏した。
「報告致します。焼け落ちた本堂並びに、境内にある建物の中を捜索した結果、帳簿と思わしき書物を発見する事は出来ませんでした。書物が管理されていたとされる倉も発見しましたが、既に焼け落ちており、もはや灰しか残っておりません」
「そう……か……」
予想通りの報告に肩を落とすと、男は顔が汚れる事も構わずに地面に額を擦り付けた。
「大変申し訳ございませんっ! 近江守様直々の御命令でありながら、その期待に応える事が出来ませんでした! これでは……ここまでした意味が…………っ。せめてもの償いとして、この腹を斬ってお詫び申し上げますっ!! 」
言うや否や、勢い良く腹をむき出しにする男。それを見た私と斎藤殿は、慌てて男を取り押さえた。
「待て待て! そなた達は良くやった。そもそも火災が発生した時点で半ば諦めていたのだ。物がモノだからな。それに、心優しき殿ならば、例え目的の物が見付からなくとも、そなた達の献身を無下にはしないだろう」
「そうだ、そうだ! あの御方は、そんな器の小さい御方では無い! 落胆はするかもしれんが、お前達を処罰するような沙汰は下さんだろう! 俺も進言する! だから、安心しろ! 」
「うぅ……ぅぅ…………誠に……忝くっ」
私と斎藤殿が励ますと、男は涙を流しながら感謝を述べた。正直心配し過ぎだと思うが、こんな一般兵では殿の顔すら見た事ないのだ。人となりが分からなければ、先代様の印象から恐怖を覚えてしまっても致し方無いのかもしれない。
斎藤殿は、泣き崩れる男の肩を抱くと一礼して陣から出て行く。その後ろ姿を眺めながら、深く深く溜め息をついた。
「そうか……やはり見付からなかったか」
落胆していないと言えば嘘になる。何と言っても、今回の高野山攻めにおける最終目標だったからだ。
勿論、囚われた童達を救い出すのも大切だ。決して軽く捉えている訳では無い。しかし、殿は根本から解決する為に、高野山が隠し持っているだろう帳簿を欲した。奴らが人身売買で利を得ているならば、そこには必ず記録を記した帳簿がある筈だから。
そう……慶次殿が言っていた大元を切り崩す為に必要不可欠なモノだ。奴らの悪事を明らかにし、織田家の正当性を示す為にも、どうしても必要なモノだった。
しかし、それは燃えてしまった。
火事だから仕方無い……だが、それでも肩を落としながら溜め息をついてしまう。
そんな時、不意に下から裾を引かれた。
「ん? 童か……どうかしたのか? 」
頭を撫でながら尋ねると、童は首を傾げながら口を開いた。
「はい。帳簿とは大切な物でしょうか? 」
「うん。そうだね……お金は大切だろう? それをしっかり管理しなくては、直ぐに生活が困ってしまう。だから、高野山のような大きな組織では、帳簿としてお金の動きを記録しておくんだよ。分かるかな? 」
「はい。それは、隠す物でしょうか? 」
「……うん。人目にはつかない場所へ隠すだろうね。間者に見られたりしたら、敵に大切な情報を盗まれてしまうから。だから、存在を知っている者は極小数に限られているだろうね。……心当たりでもあるのかな? 」
冗談交じりに尋ねると、童は小さく頷いた。
「はい。あります」
その言葉は、一筋の希望のようにも聞こえた。




