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23話

 天正十一年 九月 紀伊国 高野山 真田信繁



 山を駆ける。

 聞こえるのは皆の息遣いと全てを焼き尽くす業火のみ。幸い、風の影響か黒煙はこちらへ来ていない。真っ直ぐ天高く昇っている。あの黒煙を吸えば命に関わる。運が良かった、本当に。

 ただ、もう秋だと言うのに汗が吹き出して止まらない。胸が痛い。息が苦しい。だけど、絶対に足を止めない。止めてやるものか!

 だって、ここで引き返したら絶対に後悔する。皆には言わなかったけど、進軍を強行したのは攻め込む千載一遇の好機だっただけじゃ無い。

 あの場所には、多くの子供達が居るはずだ。連れ去られた女子も。そして……あの童も。

 あの童が、火事の現場から逃げれる訳が無い。命令が無ければ動けないように調教されているのだ。既に逃げている想像よりも、指示された場所で座り込んでいる想像の方が鮮明に思い浮かべられる。

 今も、苦しんでいるかもしれない。そう思えば、この程度の疲労で音を上げるなんて出来なかった。

(必ず助ける。だから……どうか、どうか無事でいてくれ! )

 そんな声にならない悲鳴を上げると、不意に前方から騒がしい声が聞こえ始めた。目的地付近へ辿り着いたのだ。

 静かに右手を上げると、一同息を殺して耳をすませる。

「……が…………まだ」

「水……は…………ろ」

「が…………を……逃げ――」

 聞こえた。直ぐに、その声の方へ視線を向ければ、坊主頭の男の姿が三人。逃げるようにこちらへ向かって来ている。

 その瞬間、腹の底から怒りが込み上げてきた。



 ――何故、こいつらは逃げようとしているのだ。多くの尊い命を置き去りにして……。



 そのまま息を潜め、男の一人が射程圏内へ入った瞬間に茂みから飛び出して掴みかかる。

「なぁっ!? …………ごぉがァ!? 」

 喉輪を締め上げながら近くの木の幹へ叩きつける。勢いが強過ぎたのか、男の口から空気が漏れて身体が小刻みに震えている。僅かに力を緩めると、男の瞳に光が戻った。

 ふと視線を横に向ければ、残りの二名が血の海に沈んでいた。どうやら、既に処理されていたらしい。情報を得るには、この男から聞くしかない。時間も無いんだ。多少手荒になっても仕方ない。

 小刀を抜いて男の首筋に添える。

「貴様は、高野山真言宗の僧侶か? 」

 冷たい刀身に恐怖を感じたのか、男は小さく頷く。

「火事の原因は何だ」

「わ、分からない…………ひぃっ?! ほ、本当だ!! 本当に分からないんだ! 朝起きたら……こ、小僧達が騒いでいて。あっという間に火が広がって…………い、今は段々と火の勢いが収まってきたが……」

 軽く刃を押し当てると、男は慌てて口を開いた。その瞳に嘘は見当たらず、ただただ恐怖の色が広がるばかり。どうやら、嘘は言ってないらしい。

 しかし、男が口を開いたおかげである事に気付いた。思わず小刀を握る手に力が入る。

「何故、貴様等は火災に気が付かなかった。何故、子供達が先に気付いたのだ」

「そ、それは…………昨夜は宴をしていて……」

「………………」

 そう……その酒臭い姿から、酔い潰れたせいで火災に気が付かなかった様子が容易に想像出来た。怒りで視界が真っ赤に染まる。男の首筋も、いつの間にか真っ赤に染まっていた。

「ひぃ!? し、仕方なかったんだ!! 京から演者が来るなんて滅多に無い! た、確かに多少飲み過ぎたが……そもそも、小僧共が火を消せなかったのが悪いんだ! 俺達は悪くない! あの使えない屑共が悪いんだ!! 」

「……それが、金目の物を盗んで逃げた口実か? 」

「…………っ!? 」

 驚愕の色に染まる男。何故分かったのか……そんな疑問が透けて見えた。既に処理した男達の懐から銭が出てきたのだ。間違いなくこの男も持っている確信があった。

 そして、この男が救う価値の無い外道だと言う事も理解出来た。

「最後に、一つだけ聞くことがある。童達は、いつも何処に居る」

「は、はぁ? アレは、いつも家畜小屋に――」

 ……続く言葉は無かった。地面に落ちる首を踏み砕くと、真っ直ぐに前方を睨みつける。そこには、あの男達が通った獣道があった。この先に、境内へ繋がる門がある。

「行くぞ」

『おぅ!! 』

 身体の底から湧き上がる怒りが、疲れ果てていた体力を回復させる。抹殺しなければいけない。一人残らず狩り尽くさせばならない。一人でも生き残れば、別の場所で同じ事を繰り返すだろう。



 ――これ以上、悲劇を起こさせてはならない。



 皆が皆、同じ誓いを胸に足を進める。そこにあるのは、決意を固めた戦士の顔触れ。大切なモノを守る為に、人を殺す覚悟を決めた男の顔だった。



 ***



 道無き道を駆け抜け全身に細やかな傷を作り、ようやく辿り着いた境内は、以前とは掛け離れた姿を私達に見せた。

「……よもや、これ程とは」

 誰かが呟いた言葉が風に乗って耳へ届く。思い浮かべるのは、森林に囲まれた涼やかな風が吹く場所。神秘的な雰囲気は人々の心を癒し、彼の弘法大師に選ばれるべくして選ばれたと、誰もが納得する風情溢れる場所だった。

 しかし、今はその姿は欠けらも無い。

 前に訪れた時に感じた凛とした涼やかな景色は消え失せ、灰と煤で汚れた残骸は散らばるばかり。火は大分収まって来ているけど、まだ火種が燻っている建物が殆ど。空には、真っ黒な曇天が広がっており、もう間もなく雨が降ってくるだろう。あの規模の火災だったのだ。雨が降っても可笑しくは無い。



 そんな中、前方の建物より坊主頭の男が慌てふためきながら飛び出して来た。そして、私達を見るや否や、絶望感溢れる表情を浮かべながら絶叫した。

「お、織田じゃああああっ!!? 織田軍じゃああああっ!! 」

『…………っ! 』

 不味い……そう思った私達は、速やかに処理せんと動き出す。そんな私達を見て、男は半狂乱になりながら逃げて行く。

「織田じゃああああああああぁぁ!? 嫌じゃ! 嫌じゃああああ! まだ、まだ死にとうないっ!! 死にとうなぁ――」

 その時、横の茂みより矢が飛び出して男の眉間を貫いた。力無く倒れる男。血の染みが広がっていく中、矢を放った者が姿を現した。矛先を、その影へ向ける。

「すまぬ、源二郎! ちと遅れてしまったな! 」

「……斎藤殿でしたか」

 構えた槍を下ろす。先の男を殺したのは、赤鬼隊に属する仲間だった。彼は、根来衆の砦にて兵を集めていた筈だが、どうやら事態の急変を察して駆けつけてくれたらしい。彼の後ろには、私達同様に装備で身を固めた兵士達がいる。

「他の部隊は? 」

「秋本隊は、南側へ回ってもらっている。神崎隊は、もう少しかかりそうだな」

「……では、神崎隊は後方へ回ってもらいましょう。討ち漏らした敵兵が逃げ出してはいけませんから。斎藤殿は、このまま私達に合流して下さい」

「おぅ! 承知した! 神崎には、俺から伝令を送っておこう! 」

「ありがとうございます」

 右手で力強く胸を叩く斎藤殿に頭を下げる。部隊長の一角である斎藤殿は、やはり戦慣れした歴戦と将足る堂々とした立ち振る舞いだった。私も、斎藤殿のように一軍を預かる将足らん姿を見せなくては!

 今一度兵士達の方へと向き直り槍を掲げる。

「これより対峙するは人に非ず、人道外れたケモノなり! 一匹残らず狩り尽くせ! 草木を掻き分けてでも見つけ出せ! 囚われた女子供を救い出せ! 私達の手で悲劇を終わらせるのだっ!! 」

『おおおおおおおおおぉぉぉぉっ!!! 』

「突撃ぃぃぃいいいっ!!! 」

 雄叫びを上げながら、私達は高野山真言宗の本堂へと狙いを定め、力強く足を踏み出した。



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