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21話

 天正十一年 九月 紀伊国 真田信繁



 未だ空は白く肌寒い風が吹き抜ける中、私が率いる五百名の兵士達は終始無言で山を登っていた。草を踏み締める音。僅かな灯り。立ち込める霧。張り詰めた緊張感が戦場へと向かう戦士を高揚させる。研ぎ澄まされた刃は、その力が解放される時を今か今かと待ちわびていた。

 そして、その思いは兵士達を率いる私とて同じ。殿が、慶次殿が、そして分隊長達が私のような若輩者を信じて兵を預けて下さった。同期達も、文句一つ言わずに付き従ってくれた。

 あの後、蔵から武器をせっせと運んでいると、示し合わせたかのように赤鬼隊の面々が現れた。慶次殿曰く、私を信じて既に殿が軍を編成して下さっていたとの事。私が、直ぐに出陣出来るように……と。

 私は、涙を必死に堪えながら皆に頭を下げた。どうか、私と共に戦って欲しい……と。皆の答えは、言うまでも無いだろう。私は、本当に幸せ者だ。

 その期待に応えたい。貴方達は間違っていなかったのだと証明したい。そして……今度こそ、あの童を救ってみせる。もう、二度とその手を離さない。握り拳を二度、三度と胸に叩き付けて決意を固めた。



 鳥のさえずりが聞こえ始めた頃、私達は目的地へと辿り着いた。その直後、先触れに出していた伝令が帰還。詳細を報告した。

「伝令っ! 盟約通り、粉河衆二百名が粉河寺にて戦支度を整えております! 周囲に高野山真言宗と思わしき者は見当たらず、源二郎殿率いる五百名は安心して進軍されたし……との事! 」

「良し! 聞いたな皆の衆! 計画は、順調に進んでいる。だが、既に此処は敵地である。ここから粉河寺まで半刻も掛からぬが、それは高野山とて同様である! 周囲の警戒は解かずに、このまま粉河寺まで駆け抜けるぞっ! 」

『おうっ!! 』

 一同が大地を踏み締める音と共に、近くの木から鳥が一斉に飛び立つ。その音に紛れるように、私達は全速力で山を駆け上がった。

 無論、隠密の観点からは下の下だが、今は事情が異なる。先の伝令は、周囲に高野山真言宗の者は居ないと言っていたが、それはつまり既に排除済みだと言う事に他ならない。その事実が、高野山側に知られるのも時間の問題だろう。

 些か予定とは異なるが、未だ挽回は出来る範囲。予定を多少前倒しにする為に、今こうして多少の物音を許容しながら駆け抜けているのだ。

 この霧も、私達の姿を隠すのにはうってつけであった事も理由の一つではあるけどね。

 さて、この速度ならば直ぐにでも粉河寺へ辿り着けるだろう。他の三部隊も、一斉に目的地へと駆け抜けている筈だ。

 計画は順調に進んでいる。これからの展開を考えつつ、私は今まで以上に力強く大地を踏み締めた。



 ***



 私の予想通り、半刻も掛からずに粉河寺へ到着。暖かく歓迎して下さった粉河衆の方々に感謝を述べつつ、私は幹部を引き連れて奥の本堂へ。それに続くように、粉河衆の幹部三名が本堂へと入り、周囲を見渡した後に静かに襖を閉めた。

 未だに陽は昇っておらず周囲は薄暗い。部屋の中央に置かれた蝋の灯りを囲うように、私達は円を作った。

 小姓が用意してくれた白湯で喉を潤すと、私は下座に座る粉河衆の方々へ頭を下げた。

「先ずは、私達に賛同し助力を申し出て下さった事に礼を言わせていただきたい。誠に忝ない」

「……っ!? い、いえ……私共は……そんな……」

 私が頭を下げた事に動揺しているのか、粉河衆の方々は声が震えている。しかし、私とて織田家での地位は低いし官位も無い。下げる頭など幾らでも持っている。

 それに、礼には礼をもって応えねば無礼極まりない。私は、姿勢を正すと真っ直ぐに彼等を見詰めた。

「……では、改めて。私は、真田源二郎信繁と申す。此度は、織田家当主近江守様より、高野山真言宗攻めの任を賜った。此度の策は貴殿等の助力が必要不可欠。此処まで無事に到達出来たのも、貴殿等の助力あってこそ。貴殿等の働きは、私が責任を持って殿へ報告致しましょう」

「へ……へへぇー!! 誠に忝なくぅー!! 」

 額を畳に擦り付けながら平伏する彼等の姿に、思わず苦笑いが溢れる。私としては、そこまで腰を低くしなくても良いんだけど、それを強要しても良い事は無いだろう。きっと、彼等は私が何を言ってもその態度を変える事は無い。



 ――だって、彼等は織田家が恐ろしくて堪らないのだから。



 その変えようの無い事実に溜め息をつきながらも、気持ちを切り替えて彼等へ視線を向ける。今、私がやるべきは織田家への認識を改めさせる事では無く、この高野山攻めを成功させる事なのだから。

「では、現在の各勢力の状況を教えて頂きたい」

 すると、彼等の代表者が懐から地図を取り出して、灯りの近くで広げた。

「ははっ! 第二部隊五百名並びに、第三・第四部隊各五百名は既に根来衆の砦に到着。援軍として、織田家に賛同した各勢力から精鋭を選抜、それぞれの砦に三百名が配置されております」

「……なるほど」

 かなり大雑把な地図だが、だいたいの場所が分かれば計画に支障は無いし、あるだけ良かったと思うしか無いな。それぞれの砦も、ここからそう遠く無い。援軍も合わせれば、これで総勢三千百五十人。後は……高野山の出方次第か。

「高野山の様子は? 」

「ははっ! 奴等は、既に織田家が兵を挙げた事を掴んでおります! 当初は、本堂で連日軍議が執り行われる程に慌てふためいておりました。ですが、その数が二千だと知ると態度を一変。織田家の狙いは、本格的な進軍では無く講和条件を有利に運ぶ為の小競り合いだと判断。集めていた浪人や地侍を解散し、雑賀衆・根来衆・粉河衆へ織田軍と対峙するように指示を出しました。現在、高野山の戦力は僧兵三千程かと思われます! 」

「……監視は? 」

「ははっ! 奴等は、二千程度であれば問題無いと碌に監視体制を整えておりませぬ。奴等は、織田軍の進軍経路は十ヶ郷からだと推定しております。おそらく、先の戦での織田家と雑賀衆の遺恨から判断されたのでしょう。根来衆・粉河衆に関しては、あくまでも予備であり、高野山もこれを機に雑賀衆を見捨てる腹積もりかと」

「…………そうか」

 溜め息を吐きそうになりながらも、どうにか堪えて相槌を打つ。確かに、織田家は高野山がそう考えるように誘導したが、ここまで上手く罠にかかっている所を見ると、あまりの馬鹿さ加減に溜め息の一つや二つ吐いてしまうものだ。



 ――本当に、奴等は戦の素人だな……と。



 そんな気持ちを振り払うように頬を叩く。乾いた音が響き渡り、皆が何事かと視線をこちらへ向ける。

「さ、真田殿? 」

「……いや、お気になさらず。ただ、あまりにもこちらの想定通りに事が運び過ぎております故、気が緩まぬように己を叱責したのです」

『…………っ!』

 私の言葉に、一同ハッとしながら己の頬を叩く。皆が皆、少しばかり気が緩んでいたのだろう。無事に拠点に到着した事も理由の一つかも知れない。

 だが、それでは確実に足元をすくわれる。彼の信玄公は、戦場にて家臣達に諭した言葉がある。

『およそ戦というものは、五分をもって上とし、七分を中とし、十分をもって下とす』

 つまり、五分の勝ちであれば、今後に対して励みの気持ちが生じ、七分の勝ちは怠り心が生じ、十分だと、敵を侮り驕りの気持ちが生まれると言われたのだ。

 まさに、その通りだ。先程までの私達は、順調過ぎる戦に驕っていた。敵を侮っていたのだ。そんな浮ついた気持ちでは、勝てる戦も勝てない!

 頬を叩いて気を引き締め直している一同を後目に、私は立ち上がって襖を開ける。

「一旦休憩を取る。準備が整い次第出発する。各々、最終確認をしてまいれ! 」

『御意! 』

 私が部屋を出ると同時に、幹部達が一斉に兵士達の元へと走る。これからの行軍予定を知らせる事もあるが、一番は気が緩んでいないか確認しにいったのだろう。この様子であれば、彼等に任せておけば問題無いだろう。

 走り去っていく彼等の背中から視線を切り、井戸の方へと足を進めた。





 その直後の事であった。



 ――ドォーンっ!!!



 身体を震わせる衝撃音。白から段々と青へと変わっていた空を真っ赤に塗り潰し、黒き煙が天高く昇っていく様子が此処からでもはっきり見えた。

 あれは――あれは――

「高……野山の方角だ……」

 事態は、私の思わぬ方向へと進んでいった。




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