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19話

 天正十一年 八月 安土 真田信繁



 あれから暫くして、私は城下に建てられたある蔵を目指して歩いていた。胸元に、殿から授けられた文を仕舞いながら。

 ふと立ち止まって城の方へ視線を向ける。既に、そこには居ないと分かっていながらも、私は自然と天守を見上げていた。

 ゆっくりと瞳を閉じながら、あの時の光景を思い浮かべる。



 ***



 殿の言葉は、私の中に空いていた空洞を暖かく満たしてくれた。その溢れる慈愛で塞いでくれた。愚かにも力を持つが故に味わう苦しみを理解せず、言葉と言う名の刃で御身を切り裂いた私を許して下さった。

 ただそれだけでも感謝の念が尽きないと言うのに、殿は私の中に渦巻くこの想いに決着をつける機会まで用意して下さったのだ。

 あの時……殿への生涯の忠誠を誓ったあの時、深々と平伏する私に対して、殿はわざわざ視線を合わせるように身を屈めて一枚の文を私に手渡した。

「源二郎、この文に書かれた場所へ向かいなさい。そこに、そなたが欲しているモノがある。きっと、そなたの力になるだろう。使うか使わないかは、そなたに任せるよ」

「……ははっ」

 柔らかく微笑む殿から、恭しく文を受け取る。この場所に、あの童を救えるモノがある。そう思うだけで、この文が何よりも輝いて見えた。



 ***



「…………殿」

 瞳をゆっくりと開き、懐に仕舞ってある文に手を当てながら呟く。綺麗に畳まれた文に記されていたのは、私ですら訪れた事が無い安土城城下町の外れに位置する場所だった。

 治安が悪いって訳でも無いが、ただ単純に日照りが悪く薄暗い雰囲気に包まれたその場所は、大人でも立ち入らない程に薄気味悪いと評判だった。

『昼間に白い着物を着た女を見た』

『先の大戦で死んだ亡者が出る』

『何かに足を掴まれた』

『怪しげな呪術師が、逆に呪われて帰ってきた』

『妖怪が住もう忌み地である』

 そんな噂話が、武士も民も問わずに語り継がれている。わざわざそんな場所へ向かうのは、余程物好きか、城下町の見廻りを任されている赤鬼隊の者達だけだ。

 その赤鬼隊でも、任されるのは隊長である慶次殿と部隊長。まさに、精鋭中の精鋭。私を含め、同期達も訪れた事が無い場所。



 向かっている場所の事が脳裏を過ぎり、少しばかり薄気味悪さを感じた私は、先程よりほんの少し歩みを速めて道沿いを行く。

 あの場所に、一体何があるのか定かでは無い。行けば呪われるとか、祟りが起こるとか言われている故に、何か恐ろしいモノがある……かもしれない。

 だが、あの聡明な殿が無駄な事をするとは思えない。そもそも、殿は私が欲しているモノがあると仰っていた。私は、別に妖怪の類いが欲しい訳では無い。

(であるならば、あの噂は偽りなんだろう。偽りの筈だ。偽りに決まっている)

 自分自身に言い聞かせるように何度も繰り返し呟くと、一度頬を叩いて気を引き締め直す。周囲を伺いながら文を取り出し、今一度手順を確認すると駆け足でその場を去った。

 きっとそこには、私に必要なモノがある筈だ……と信じながら。



 ***



 行き合う人並みを掻き分けながら、ただひたすらに目的地へ足を進める。道中、入り組んだ路地裏を迂回したり、一刀斎殿の屋敷の庭先を通過したり等、明らかに正しい手順を知らなければ目的地に辿り着けないようになっている。

 そして、歩き始めてから一刻後、遂に私はその場所へ辿り着いた。

「ここが、彼の忌み地……か」

 唾を呑む音が聞こえた。少しだけ覚束無い足取りで先へ進む。

 その場所は、昼間だと言うのに薄暗く、地面はしっとりと湿っている。昨夜は、別に雨降って無かったのに。塀は苔で覆われ、所々に罅割れが見える。今にも崩れそうな門を警戒しながら、立て付けの悪い扉をこじ開けて中へと入る。

 すると、まるで私を迎えるように朽ちた屋敷が顔を見せた。あまりにもらしいその風貌に、これではあんな噂が立つのも納得だと頷く。

 そして、周りに誰もいない事を確認すると、恐る恐る指定された壁板を外した――次の瞬間、鴉の鳴き声と共に瓦が数枚落下。耳に残る衝撃音。砂埃が舞う。

「ごほっ! ……けほっ! ……けほっ! 」

 少し砂を吸ってしまったのか、咳払いしながら手を振って埃を払う。暫くそのまま継続していると、段々と砂埃が晴れていき、ようやくソレが私の前に現れた。

 瓦礫が散乱する中、地面に空いた真っ黒な大穴。そう、地下へと続く階段である。

「この先に、私が欲しているモノが……」

 一度大きく深呼吸をして気を整える。腰にぶら下げた袋から蝋と火付け道具一式を取り出すと、いつものように火を起こして灯りを確保する。

「これで準備は整った。……良し、行くぞ! 」

 私は、地下へと続く階段へと一歩足を進めた。



 湿った空気に包まれた地下道を、僅かな灯りを頼りに進む。地下は、私の想像以上に広く、道幅は大人が三人程は通れるだろう。所々に備え付けられた蝋に火を移しながら先を行く。私の足音だけが響く中、私は周囲を警戒しながら慎重に足を進めた。

 あのような大掛かりな仕掛けがあった以上、盗人対策を殿が用意していない筈が無い。確かに、正規の手順は限られた者達しか知らないだろうけど、そのような有り触れた対策ならば誰でも隙を突ける。



 そんな疑念を抱きながら暫く歩いていると、遂にソレは姿を現した。ソレを見た途端に、溜め息と共に私の仮説が正しかった事を悟った。

「一体、此処で何をされておられるのですか? …………慶次殿? 」

「……ん? おぉ! ようやく来たか、源二郎! 随分と遅かったじゃねぇか。カッカッカッ! 」

 地下道の終着路。頑丈な門を備えた大きな蔵の前にその人は居た。織田家最強の武将。織田家当主直轄部隊『赤鬼隊』隊長。彼の前右府様直々に朱槍を持つ事を許された武人。

 そう、前田慶次郎殿が門番として蔵を守っておられた。周りを見渡せば、ここだけやけに広い空間がある。そう……槍を振るっても壁に当たらないくらいには。そして、目を凝らして見れば三ヶ所程の抜け道があるのが分かった。どうやら、他にも道筋が用意されていたらしい。

 しっかし……この御方を前にして立っていられる人間等、この日ノ本で五人もいないだろう。あの武田征伐で名を挙げた森殿でさえ、慶次殿には勝てなかったと言う。

 そんな武人が守っている宝を、盗人程度が盗めるものか。幾ら策を張り巡らせても、結局の所当人の力が無ければ塵芥のように屍を晒すだけなのだから。

『如何に隙が無いようにしても、必ず何処かに隙が出来てしまうもの。その隙を突かれるのならば、圧倒的な武で塞げば良い』

 殿が用意した守りは、そんな単純明快にして強力無比な代物であった。単純故に対抗策など皆無である。

「……此処の守りは、慶次殿御一人で? 」

「んあ? ……いや、一刀斎と交代交代だなぁ」

「左様ですか」

 どうやら、万に一つも抜かりは無いらしい。織田家最強の槍使いに剣豪。そのあまりにも厳重な守りに、蔵の中身よりもその周到さに若干父上の香りがした。

(あぁ……きっと、一枚噛んでいるのだろうな)

 内心溜め息をつきながら、そっと腹を優しく撫でた。兄上が良くしていた仕草だけど、ようやくその一端に触れられた気がする。全く嬉しく無いけどね。




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