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12話

 天正十一年 八月 安土城 真田信繁



 近江守様からの呼び出し。汗を流し正装に着替え、向かった先に待っていたのは、謁見と言うにはあまりにも少な過ぎる者達。

 一刀斎殿や兄妹剣士もいない。この場には、近江守様と丹羽様、滝川様。そして、記憶に無い狐顔の怪しげな男。

 私を入れても五名。小姓すら見当たらない。だだっ広い大広間には、薄気味悪い静けさが広がっていた。

 密談。情報規制。大老。初対面の男。様々な考えが脳裏を過ぎる中、私は促されるように腰を降ろして平伏する。

 そして、近江守様が本題を切り出した。

「真田源二郎。そなたは、これより鈴木源二郎幸村と名乗るのだ」

「…………ぇ」

 空気の抜けたような情けない声が漏れた。



 脈絡が無いその指示に、思わず思考が停止する。

(鈴木……幸村……? )

 鈴木とは、何処ぞの武家の家名なのか。私は、真田家から養子に出されるのか。いや……しかし、私は真田家の次期当主。それを養子になんて……そもそも、幸村とは何処から来たんだ!?

 近江守様は、真田家の忠義を……否、それは――



 思考を張り巡らせ意図を探るも、如何せん父上程の頭脳を持たぬ私では近江守様の真意を悟れなかった。

 私は、深々と平伏したまま意図を問う。

「そ、それは……私に真田家を出よ……と? 」

 恐る恐る近江守様を仰ぎ見ると、そこには眉間に皺を寄せた姿があった。

「たわけ。真田家の次期当主足るそなたを、むざむざ婿養子になど出すものか! それでは、真田家への義に反する。余は、偽名を使えと申しておるのだ」

「……っ! ははっ、近江守様の御心を察する事が出来ず申し訳ございませぬ」

 額を畳に打ち付けて謝罪する。一時でも、近江守様を疑った己を恥じる。天下泰平を願い、誰よりも民を家臣を慈しむ御方が、そのような無慈悲な沙汰を下す訳が無い。

 そして、近江守様と言葉を交わした事で、ようやく此度の呼び出しの意図を悟った。わざわざこんな少人数で、斯様なだだっ広い大広間を使った訳が。それを、謁見と評した訳が。

 近江守様は、公私を明確に区別する御方。それは、口調や表情に顕著に出る。現在、近江守様は『公』として、この場に立たれておられる。公の立場として、この場に立たなくてはならなかった。



 ――であれば、誰の為にそのような立ち振る舞いをしておられるのか。そんなもの、事理明白であった。



 私が、狐顔の男へと視線を向けると、その男は粘っこい笑みを浮かべた。

「そぅ睨みなさるな御武家様。某は、鈴木孫一。誉高い御武家様とは比べる事も無い、ただの金にがめつい野蛮な傭兵でございますよ。そうですなぁ〜雑賀孫市……の方が、通りが良いかも知れませんなぁ〜」

 その名に、思わず目を見開いて立ち上がる。

「雑賀……孫市!? あなたが、あの雑賀孫市ですか! 戦場無双の傭兵集団。雑賀孫市と言えば、その軍団長! お会い出来て光栄にございます!! 」

「……そのような目をお向けなさるな。御武家様が頭に描いた人は、おそらく先代雑賀孫市でしょう。雑賀孫市とは継承せし者の証。某は、何の戦果も挙げていない未熟者ですよ」

 謙遜する雑賀殿。しかし、私は身を乗り出してソレを否定した。

「であれば、貴方は雑賀孫市を継ぐに値すると認められた御方! それは誇るべき栄誉であり、称えられるべき研鑽の証ですよ! 」

 瞳を輝かせながら雑賀殿へ視線を向ける。

 鉄砲を自在に操る唯一無二の戦闘集団。個にして全。全にして個。一糸乱れぬ連携で敵を翻弄し、自軍に勝利を導く八咫烏。

 そんな雑賀衆が築きあげた輝かしい戦績は、『雑賀衆を味方にすれば勝ち、敵にすれば負ける』とまで、呼ばれるようになった。

 父上も一目置く歴戦の戦士。想像していた風貌とは違ったけど、それは胸に抱いていた敬意に何ら影響を与える事は無かった。

 そんな私の反応に、雑賀殿は面白いモノを見付けたように笑みを深める。

「某らのような下賎な身を、彼の真田家次期当主様が認知しておられるとは……いやはや、身に余る光栄にございます。ですが……某らの戦法は、奇襲・暗殺・策謀・謀略なんでもござれの外道。所詮、無法者が使う恥知らずな戦術にございます」



 ――それを、真田家次期当主足る貴方様が、お認めになられるので?



 怪しげな光を放ちながら問いかけてくる雑賀殿。しかし、私は何を言っているのかと首を傾げた。

「勝たねば何も守れませぬ。負ければ、全てを奪われて死するのみ。であれば、勝つ為に策を講じて何が悪いのですか? 」

 生きる為には頭を使わなくてはならない。情勢を見極める頭脳が無ければ、家を守る事は出来ない。国を豊かに出来ねば民を守れない。強大な敵を倒すには、己の土俵に叩き落とさねばならない。

 父上にそう教えられた私にとって、雑賀殿の戦い方は敬意を称するに値すべきモノであり、当たり前のことだと思った。



 しかし、どうやら雑賀殿からすれば当たり前のことでは無かったらしく、目を見開いて驚きを顕にすると、膝を叩いて笑い始めた。

「ふっ……くく……くっはっ……くはっはっはっはっはっはっ!!! いやぁ〜流石は、あの真田殿の御子息。噂に違わぬ大した度量よ! 」

 ひとしきり笑った雑賀殿は、近江守様の方へ向き直ると、笑みを浮かべながら頷いた。

「確かに、真田殿の器を拝見致しました。これであれば、実行に移しても宜しいでしょう」

「……であるか」

 二人の会話に首を傾げていると、不意に近江守様の視線がこちらへ向けられる。

「では、本題に入る。そなたには、そこの鈴木の養子として紀伊国へ向かって貰う。目指す場所は、真言宗の巣窟高野山である」

 凍えるような眼差しに貫かれながら、その名を口にする。

「高野……山。弘法大師が開いた真言宗の総本山」

「そうだ。その高野山だ」

 その言葉を発した瞬間、空間が軋むように濃密な圧が近江守様より放たれる。その傍に控える丹羽様と滝川様も同様に、凄まじい覇気を放ちながら憤怒の表情を浮かべた。

 ただそれだけで、私も雑賀殿も指一本動かす事は出来ない。ただただ、嵐が過ぎるのを待ちわびる村人のように、姿勢を低くするのみ。



 その背筋が凍る程の冷たい視線は、私が敬愛していた近江守様のソレとは、あまりにも掛け離れていた。



 ――あぁ、これ程までに両者の間には、二度と防げぬ溝があったのか。



 そんな嘆きは、誰に聞かれる事もなく宙へと溶けていった。



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