10話
天正十一年 八月 安土城 真田信繁
その日は、雲一つ無い晴天が広がる夏らしい一日であった。
乾いた風に灼熱の太陽が大地を照らす中、私は早朝より慶次郎殿と鍛錬を行っていた。模擬槍では無く、各々が持ちゆる愛槍での立ち会い故に、宙を数多の火花が走る。
豪快さと冷静さを兼ね合わせた絶技が、嵐のように私の周りを取り囲み攻め手を潰す。
どうにかこの窮地を切り抜ける術は無いかと、連撃に耐えながら思考を張り巡らせる。しかし、その隙を見逃す程、慶次郎殿は甘く無かった。
「そこ! 脇が甘いぞ!! 」
「ぬぐぅうっ! ……は、はいっ!! 」
慶次郎殿の鋭い突きを避けながら攻撃するも、即座に返された槍で軌道を外され横っ腹に手痛い反撃をくらう。
「……っ! ま、まだまだぁあああっ!!! 」
慶次郎殿の足技に合わせて横に飛び、威力を軽減させながら距離をとる。そして、着地した勢いそのままに、慶次郎殿の間合いへと飛び込んだ。
「はぁあああああっ!!! 」
絶叫を上げながら気合いを入れる。無謀にも、己の間合いへと足を踏み入れた愚か者の首を落とさんと振るわれる槍。
その刹那、歩幅を急激に変えて身体を沈める。
緩まる速度。目を見開く慶次郎殿。張り裂けんばかりに高鳴る鼓動。
その全てを感じながら、大地を踏み締めた足裏に全神経を集中させる。
まだだ。
まだ……溜めて……溜めて……溜めてっ!!!
視界が白く弾けた瞬間、全ての力を解き放った。
「がぁあぁあぁぁぁあああああっ!!! 」
爆ぜる大地。爆発的な加速が、限界を超えたその先へ私を連れていく。身体の節々から悲鳴が聞こえるが、ソレを無視して突き進む。
そんな私の姿に、慶次郎殿の笑みが深まる。
身体能力も槍の技量も、慶次郎殿には到底敵わない。だけど、それが諦める理由にはならない!
「力でも技量でも適わぬのならば、限界を超えた加速しか道はありませんでしたっ! 」
「源二郎ぉおおおっ!!! 」
振り払われる槍を半身になって躱す。その瞬間、身体の内側で何かが噛み合う。
勢いそのままに右足を一歩踏み出すと、凄まじい勢いで大地を踏み砕く。自然と伸びた右腕の勢いも加わり、片手とは思えぬ速度で槍先が慶次郎殿の首元へ迫る。
一瞬の超加速。
――討ち取っ……「そこまでっ!!! 」
突如響き渡ったその声に、視界が一気に明るくなっていく。槍先は、慶次郎殿の首皮一枚裂いたところで止まっていた。
「ぁ……」
呆然としながら慶次郎殿へ視線を向けると、呆れたように、喜ぶように笑っていた。
「……源二郎、そなたの勝ちだ」
「…………っ! 」
慶次郎殿の降伏に、身体の内側から熱い何かが込み上げてくる。何度か深呼吸をして荒い呼吸を整えると、慶次郎殿と向かい合った。
「勝者真田源二郎! 互いに……礼っ!! 」
『ありがとうございました! 』
立ち会い人を任された一刀斎殿の声に合わせ、互いに健闘を称え合う。本来であれば、ここで感想戦の一つや二つをするところだが、如何せん身体に力が入らない。
きっと、限界を超えた力を解き放ったからだろう。立ち会いの緊張感から解放された私は、そのまま尻もちをついて寝そべった。
(あぁ……そうか。遂に……勝てたんだ。私は、慶次郎殿に勝てたんだっ)
ようやく実感が湧いてきたソレに、思わず胸が締め付けられる。ソレは、私が何よりも焦がれたモノ。千を超える立ち会いの果てに、遂に掴んだ白星だった。
込み上げる涙を堪えて空を見上げる。そこには、雲一つ無い晴れやかな青空が広がっていた。
***
その後、朝の鍛錬を無事に終えると、皆と木陰にて休憩をとっていた。二、三口水を飲み、残りは頭から被って熱を冷ます。この瞬間が、たまらなく好きだった。
「あぁ〜生き返る〜」
木にもたれかかりながら、深い溜め息と共に呟く。両手を広げて身体を伸ばせば、涼やかな風が突き抜ける。
なんてことも無い日常。そんなささやかな幸せを感じながら、私は緩む頬を抑えられ無かった。案の定、そこを皆から指摘される。
「気が緩み過ぎだぞー源二郎ー」
「あんま浮かれてんなよー」
横から肩を抱かれ、もう一方からは頭を乱暴に撫でられる。不器用ながらも真摯に私を祝う気持ちが感じられ、「止めろよ〜」なんて軽口で返す。
肩を抱くのは三郎。頭を撫でるのが犬丸。二人を筆頭に、周りで休んでいた皆が次々と祝いの言葉をくれた。
彼らは、赤鬼隊の同期だ。素性は様々で、古くから織田家に仕える譜代大名の血筋だったり、周辺諸国から来た名門の子供だっている。
こんな多種多様な部隊が、天下の近江守様直属部隊なんだから不思議な感じだ。普通ならば、間者の類をいれないように身内で固めるし、「才能と根性があれば素性は問わない」……なんて、とんでもない話だよ。
まぁ……入隊試験であらかた落ちるし、一ヶ月後には新人の半分がいなくなるけどね。
あの地獄絵図を思い浮かべながら遠い目をしていると、犬丸が感慨深そうに呟いた。
「まっさか、もう隊長相手に白星挙げるたぁ〜な。部隊長でも、未だに勝った事が無い人がざらなのによぉ」
「だよな! 流石は、鬼の跡目だわな」
「んだな〜」
犬丸を皮切りに、次々と同意を示す友人達。その様子に、慌てて止めに入る。ちょっと過大評価過ぎるよ!
「いや〜偶然だよ。次も勝てるとは限らないしさ。まだまだ、精進しないと! 」
むん! っと、力こぶを作りながら胸を張る。
そう。私は、まだまだ未熟者だし、たった一回の勝利で調子に乗っちゃ駄目だ!
何の因果か、真田家を継ぐ事になっちゃったし、その影響で鬼の跡目なんて渾名が出来た。先の戦で活躍し、鬼真田の異名を轟かせた父上達から由来したものだ。
最初は戸惑ったけど、会津の地を得た兄上を引き止めるなんて出来ないし、ここまで来たら真田家の次期当主として立派な武士にならなきゃ!
父上や兄上の栄光に、泥を塗る醜態は晒せないからね。いつかきっと、私も父上や兄上みたいな歴史に名を残す英雄になるんだ!
そんな決意を固めていると、不意に前方から人影がこちらへ向かって来るのが分かった。最初は、その人の顔が影に隠れていて見えなかったが、日に照らされて正体が分かると、思わず身体を硬直させてその名を口に出す。
「つ、椿殿っ! 」
そこには、麗しき乙女が立っていた。




