8話
天正十一年 七月 安土城
うっすらと差し込む光。
「んん……」
小鳥の囀りが朝の訪れを告げる。
「あぁ……」
初夏の暑さに体力を奪われ、中々布団から出る事が叶わない。いけない。このままでは、あの姉妹に着せ替え人形にされてしまう。
「むー! むー!! 」
「……むぅ」
この心地よい感覚を捨て、致し方なく目覚めようと身体を左へ動かす。すると、マシュマロのような柔らかさと、しっとりとした人肌のような心地よさが襲いかかる。
「きゃっ! 」
(…………きゃっ? )
その小さな声音が、頭の中に並べられたリストアップから該当者を導きだす。この時には既に、脳裏を凄まじい警報が鳴り響いていた。
――だが、このままでは状況は変わらぬ! 死中に活あり! えーいままよ!!!
恐る恐る瞼を開き、朝陽が映し出す現実と対面する。……南無三っ!
カッと目を見開く。先ず飛び込んで来たのは、ずっしりと表現すべき豊かな谷間。視線を上げた先には、満面の笑みを浮かべながら俺を見詰める椿の姿。
「ふふっ。殿、おはようございますっ! 」
いつに無く上機嫌なご様子。語尾に音符マークが踊っているようだ。この時点で輝く瞳が、死んだ魚の瞳へとランクダウンした。
「むっ!? むー! むむー!!! 」
「……むむ……む……むむむ」
呆然としながら椿を見詰めていると、不意にくぐもった声が聞こえる。
何か嫌な予感を感じながら部屋の隅へ視線を向けると、そこには手拭いで口元を覆われ、ついでとばかりに縄で縛られた初と江がいた。
二人とも涙目でこちらを見詰めており、完全に誘拐された幼女そのもの。
――うん。ギルティです。
枕元に置かれた扇を掴むと、すがるような思いで激しく振り回した。混沌とした場にそぐわない涼やかな鈴の音が鳴り響く。
直後、椿の背後に死神が降り立った。
***
その後、死神による制裁を受けた椿は、頭に三段のたんこぶを乗せながら、嗚咽混じりに謝罪をした。その手には、『お馬鹿で、ごめんなさい』と書かれた板を持たされており、無駄に達筆なところが笑いを誘う。
「うぅ……ひっく……ぅう……大変、申し訳……ございま……せん……で……ぅう……ひっく……したぁ……」
正直に言えば、嗚咽のせいで謝罪の言葉が全然聞こえないけど、その悲壮感溢れる姿を見れば誰もが心からの謝罪と受け取るだろう。政治家が見習うべき姿である。
だが、そう簡単には許されない。椿の背後に佇む 死神が、それを許されない。人は、怒りを通り越すと無に至るのだと悟った。
「辞世の句を述べよ」
「ぴぃぃぃっ!? 」
死神……否、松の慈悲無き宣告に、椿の瞳が恐怖の色に染まる。その右手には、漆黒のオーラを纏ったデスサイズが握られており、まさに地獄より舞い降りた処刑人。椿の語彙力は、恐怖のあまり小動物にまで退化してしまった。
二人の様子を見て、溜め息をつきながら止める事を決めた。これ以上放置したら、マジでヤりかねないし松の目がガチだ。流石に、椿も反省しただろうて。
俺は、未だに身体を震わせながらしがみついている初と江の背中を優しく撫でる。
「初、江? 大丈夫? 」
「怖かったですー」
「……鬼」
余程怖い思いをしたのか、瞳を涙で濡らしながら青ざめている。いつものやんちゃな姿は鳴りを潜め、カタカタと小刻みに震えながら、椿から距離を取ろうとしている。一体何をしたんだ。
こればっかしは、椿が悪いしこの場を離れた方が二人の為だろう。
「初、江。立てるかい? 」
「無理ですー」
「……立てない」
顔を横に振りながら拒否する二人。どうやら腰が抜けているらしい。
二人の頭を撫でながら後ろに控えている雪へ視線を向ける。すると、俺の意図を即座に察して初と江の前へと回り、しゃがみこんで視線を合わせた。
「姫君、ここは危のぅございます。私が護衛致します故、お市様の元へ参りましょう」
にっこりと微笑む雪に、二人は困ったように顔を見合わせる。
「えっ……でもー」
「……三法師様は? 」
チラチラっと、俺の顔を伺う二人。その微笑ましい姿にほっこりしながら、二人の頭を優しく撫でる。
「高丸もいるし大丈夫だよ。二人は、先にお市お姉様と朝餉を済ませてきなさい。これが終わり次第、直ぐに向かうから」
諭すように優しく言い聞かせると、次第に二人の顔から恐怖が薄れていった。
「うん。分かりました。でもー」
「……直ぐに来てね? 」
ちょこんと裾を握る二人の顔をもう一度撫で、直ぐに向かうと約束する。雪に連れられて二人が部屋を後にする。
その背中を眺めながら一息入れると、恐る恐る背後を振り返った。そこには、巨大なデスサイズを巧みに操りながら椿の頬をぺちぺちする松の姿。死刑執行三秒前である。
「松、もう良いよ」
「……御意」
俺が止めると、先程までの死神オーラが嘘のように掻き消えた。どうやら、あのデスサイズは幻覚だったらしい。
そんな松の重圧から解放され、ぺたんと尻もちをつく椿の頬へ手を添える。
「もう、こんな悪戯はしないこと。良いね? 」
「……うぅ……ごめんなさい……」
涙を流しながら俯く椿。寂しがり屋な彼女は、きっと皆に会えなくて寂しかったのだろう。それを考えれば、此度の事件もそう目くじらを立てるモノでは無い。
指先で涙を拭うと、その小さな頭を胸元へ引き寄せて優しく撫でた。
「それと、長期任務お疲れ様。椿の元気な姿を見る事が出来て安心したよ」
「……っ! と、とのぉ〜」
おいおい泣き始めた椿をあやしながら、松へ視線を向けると、やれやれと肩を竦めていた。『殿は、甘すぎます』と言わんばかりだ。
しかし、椿は甘え上手なんだよね。ワンコ系? 柴犬タイプかな? まぁ、怒る時はちゃんと怒るし問題は無いね!
***
その後、ようやく落ち着きを取り戻した椿は、九州の現状を知らせてくれた。
……事態は、俺が考えている以上に緊迫していた。
「民が、奴隷として異国へ売り飛ばされて……」
「はっ! それだけではありませんわ。理不尽な圧政で民を苦しめ、無慈悲に民の命を搾取し、意味の無い戦を繰り返して国を荒す国主のなんと多い事でしょうか! 国を治める主が、民を苦しめ国を荒すなど言語道断! 奴等には、国を治める資格など有りはしませんわ! 」
言葉を荒らげる椿。きっと、彼女は想像を絶する光景を目の当たりにしたんだろう。
故に、続く言葉は容易に想像出来た。
「どうか、苦しむ民を救う為に兵を御挙げ下さいませ! 殿!! 」




